第七十五話

 ミコトは俺の手を掴んだまま、圧倒されるような威圧感と殺気を放ち、俺は力で対抗しようと抵抗するものの、まるで身動きが取れなかった。


「ミコト、それがお前の本性だと言うのか。隙あらば欲望のままに人を殺す機会を窺っていたと……。これまで陛下が選定した栄えある聖騎士の一人として信頼していたのだがな。残念だ……ミコト」


 ドンッ!!

 俺は全身の気を体内で爆発させると、絶え間なく蒸気を噴出させる。

 そして向上した身体能力で、ミコトに腕力で対抗しようと手に力を込めた。


「あら、本気みたいですね。そう、それでいいんです。どうせ殺すなら、反撃された方が面白いですから。抗おうとする者の希望を打ち砕き、絶望のままに殺し、その血を浴びる。それでこそ、殺しの愉悦にとことん浸ることが出来るというものですからね。ですから、足掻くのは結構なことですよ、アラケア殿」


 だが、ミコトは俺の手を掴んだまま、腕を捩じり上げた。

 それは今の状態の俺ですら、対抗することが叶わない尋常ならざる腕力だった。

 俺の腕の筋肉は次第に悲鳴を上げるが、ミコトはそのまま俺を地面に叩き伏せた。


「アラケア!!」


 ヴァイツが叫び、連射式ボウガンの狙いを定めようとする。

 しかしミコトと密着して地面に組み伏せられている俺に当たることを躊躇して、それ以上の行動には出られなかった。


「くそっ、ああも密着されてちゃ、迂闊に攻撃出来ないよ!」


 突然、仲間内で起きた戦いに、シンシアや竜人族の兵士は事情をよく呑み込めていないのか、手を出すことなく離れた位置から成り行きを見守っている。

 だが、正解だ。これから向かう他国の人間に犠牲者を出させる訳にはいかない。


「何をしているの? 貴方は今、何をしているか分かっているの、ミコト」


 そこへノルンが光臨の槍を手にして、静かに、しかし怒気が籠った声で言った。

 そしてザッザッと地面を踏みしめながら、俺達に近づいてきた。


「アラケア様を放しなさい。でないと貴方を殺さなくてはならないわ」


 ミコトは無言のまま言葉を聞いていたが、そこにノルンは槍を突き付けた。

 俺を組み伏せるミコトは無防備と言える体勢だったが、まるで動揺はなかった。


「やってみればいいですよ。私を止められるのはガイラン陛下お一人のみ。貴方達が全員で来たとしても、私を殺せるとは思わないですけどね」


 ミコトがその言葉を言い終えるや否や、ノルンに躊躇はなかった。

 怒りの形相でミコトを貫くべく槍を突き出し、必殺の一撃を繰り出したのだ。


「『鬼哭血覇』!!」


 だが、その刹那だった。ミコトは今の態勢を崩すことなく、左手でその槍の柄を掴むと、ノルンの技の発動そのものを直前に止めてしまった。


「そんなっ、まさか!? くっ、さっさと放しなさい、ミコト! 今度こそお前を殺してやるわ!」


 ノルンは激昂し、槍を動かそうとしたが、動かない。

 獣となったミコトは女とは思えない異常な膂力を誇り、何者も対抗することが出来ないと思われるほど圧倒的だったからだ。ならば……と、俺は意を決した。


「悪いな、ヴァイツ、ノルン、ゼル。魔物ゴルグの接近を許してしまうが、耐えてくれ。一旦、解除するぞ……『覇王影』をな」


 俺の言葉と共に、馬車の周囲を取り囲んでいた影の牢獄が力を失い崩れ去り、地面へと沈んでいった。

 と、同時に機を窺っていた魔物ゴルグ達が堰を切るように一斉に牙を剥いて、俺達へと押し寄せてやって来た。


「さて、放してもらうぞ、ミコト。お前と言えども、この状況……本腰を入れて魔物ゴルグ達の相手もしなくてはならないだろう。ゼルから聞いている。お前の肉体とて無敵ではなく、普通の人間同様にダメージは致命傷になるのだと」


「考えましたね、アラケア殿。いいですよ、一度、仕切り直しですね」


 ミコトは大きく跳躍し飛び退くと、腰の鞘に納められていた村正を抜き放った。

 そして次々と襲い来る魔物ゴルグ達を斬り伏せると、返り血を浴びる度に恍惚とした表情を浮かべていた。


「……殺しに酔い、血に酔い、隙あらば俺達をも殺そうと。あいつはもう救えない、ただの殺人鬼だ。陛下はこのことを知っていたのか? ゼル、殺す気でいかせてもらうぞ。でなければ勝ち目はない。構わないな?」


「構いません。陛下にはそのように報告しておきましょう。ですが……申し訳ありません、アラケア殿。このことはミコトの見張り役である私の責任です」


 ミコトの一部始終から目を離さずに、俺は自由になった体でルーンアックスを片手に持ち、駆け寄ってきたヴァイツとノルンとゼルと共に、ミコトと対峙した。

 だが、その間も黒い霧内の魔物ゴルグ達は俺達の事情になど関係なく、この場にいる全員へと等しく飛びかかって来ては俺達の肉を食らおうとしてくる。


「あらあら、皆さん揃って、私を殺す気満々なんですね。けれど……多分、無理ですよ。貴方達に私は殺せない。分かるんですよ。それでも遊んであげますけど、仕掛けるなら、せめて陛下の半分くらいのスピードでお願いしますね……じゃあまずは私から!」


 ……見えなかった。

 ミコトが踏み込んだのを見たのを最後に、その後の動きが辛うじて残像を捉えることくらいしか。

 気付いた時には俺達とミコトの間合いの直線上にいた魔物ゴルグ達は両断され、俺の横に立っていたヴァイツが斬り裂かれていた。


「……え? そ、そんな……何て動き、だよ……」


 ヴァイツはそのまま白目を剥いて、ぐったりとして前方にうつ伏せで倒れた。

 口からは吐血し、顔周辺の地面を鮮血に染めていた。


「ヴァイツ兄っ! な、何てこと……何てことなの!」


 ノルンがミコトを殺意の籠った目で睨み付けるが、ミコトは意に介すことなくヴァイツの頭を掴んで持ち上げると、その唇に口づけをした。

 いや、ヴァイツの口から吐血した血を啜っている。


「ふふ、やっぱり美味しいですね。血はどんな美酒よりも美味なんですよ。特に魔物ゴルグなんかよりも、人間の血は格別なんです。ふふふ、あははははは……」


 ミコトは口元から血を滴らせながら無邪気に笑ったが、俺や皆は一様にその様子に戦慄するしかなかった。

 だが、不幸中の幸いか、まだヴァイツは死んでいない。

 かの刀匠ダールの作である黒甲冑の性能のお陰か、鎧に亀裂が入ったものの、まだ息はあるようだった。


「……強い。敵として対峙して初めて感じる。これが、陛下が切り札と呼んでいた『血の酩酊に目覚めた獣』、ミコトの戦闘力ということか……」


 俺はヴァイツの無事に安堵したのも束の間、自分とミコトの如何ともしがたい実力差を感じ取っていた。

 まともに戦っても、相手にならないということ……。

 そして犠牲を覚悟しなくては、勝ち目などないことに俺は肌で感じ取っていた。


 ――その時だった。


 ゼルがヴァイツの頭を掴むミコトの背後に素早く回り込むと、後ろから羽交い締めにしたのだ。

 そこでミコトはようやく手からヴァイツを手放した。

 そしてゼルは俺達に向かって叫んだ。


「アラケア殿、ノルン殿。いざという時にミコトを止めるのは陛下の命を受けたこの私の仕事です! 皆さんは巻き添えを食わないよう離れていてください!」


「ゼル、何をするつもりだ!? あまり無茶はするなよ!」


 俺はゼルの身を案じていたが、ゼルは死をも覚悟した目をしていた。

 ゼルはミコトを羽交い絞めにしたまま、後方に飛んで俺達や馬車から距離を取ると、ミコトに向かって言った。


「貴方の殺戮衝動が増してきているのに気付けなかったのは、この私のミスでした。ミコト、こうなってしまって残念です。ですが、いつかはこのような日が来る気がしていました。せめてこれ以上の犠牲者を出さない内に……私と共に天へと旅立ちましょう」


「あら、火薬の匂いがしますね。ゼル、貴方……もしかして」


 魔物ゴルグ達が一斉にゼルとミコトに襲い掛かる。

 ゼルがあえて魔物ゴルグが密集している場所へと飛び込んだからだろう。


「こうするしかないのであれば。アラケア殿、皆さん、後のことは頼み……」


 ――グギョッ!


 その瞬間だった。ゼルが言い終わらない内に、首が圧し折れる音がした。

 ミコトがゼルの頭を掴み、瞬時に骨を破壊し、頭をあらぬ方向に向けさせたのだ。


「死ぬなら貴方一人で逝ってくださいね。私はまだこの現世を楽しみたいんです。貴方とは聖騎士になってから、それなりに長い付き合いでしたけど……彼らもすぐにそっちへ送ってあげますから、安心してくださいね。さようなら、ゼル」


 ミコトはゼルの体を投げ捨てると、ゼルの体に巻かれていた火薬が爆発した。

 そして……ゼルの体は周囲に群がった魔物ゴルグ達と共に爆散してしまった。

 だが、俺達にはその死を悲しむ暇もなくミコトがこちらを振り返ったのである。

 その表情は同胞の死を悲しむ様子もなく、ただ欲望に酔いしれていた。


「さあ、こっちは片付きましたよ、アラケア殿。貴方達を殺した後は、今度はデルドラン王国で殺戮を楽しむのも悪くないかもしれませんね。陛下以外に私を止められる者はいないですから、きっと毎日が楽しい日々になるに違いないと思いますよ。ふふ、あはははは……」


 ミコトのその人の死を何とも思わない不快な笑みに、俺はゼルを殺された悲しみが沸くよりも、怒りによって理性と言う箍が外れかけていた。

 俺の中にどす黒い殺意が湧き上がってきていたのである。


「ミコト、貴様……」


 俺は殺意の籠った目でミコトを睨み付けたが……いつの間にか俺の全身からは黄金のオーラが立ち昇っていたのである。

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