第七十二話

 勝利の祝杯を上げてから、日が明けた。

 俺は屋敷の修練場で愛用のルーンアックスを振りながら、鍛錬に励んでいたが、そこへまだ酔いが抜け切らないヴァイツが、気怠そうな表情でやって来た。


「アラケア、客人だ。シンシアって女性が君にお目通りを願ってるよ。なんだけど彼女、人間じゃなく妖精族でね。しかも護衛の竜人族数人も一緒だ。デルドラン王国から来たって言ってるけど、どうする?」


「デルドラン王国からの客人だと? 構わんが、その状態で客と顔を合わせてきたんじゃないだろうな?」


 俺はヴァイツを厳しく睨んだが、ヴァイツは全力で首を振って否定した。


「まさか! そこまで常識外れじゃないつもりだよ。接客した部下から取り次いで僕が君に伝えに来たのさ。だから断じて家の名を汚すような失礼はしてないよ、安心して」


「だと良いがな。客間にお通ししろ、準備をしてから俺もすぐ行く」


 ヴァイツは俺の言葉を聞くと、二つ返事で大急ぎで修練場から出て行った。

 俺も1度自室に戻り、汗をかいた服を着替えてから、客間へ足を運んだ。

 そこにいたのは確かに種族独特の長耳を備えた、妖精種族の女性だった。

 ……しかし彼女は非力な妖精種族のイメージとはかけ離れた、白銀の鎧に身を包み、勇ましい騎士風の出で立ちをしていた。

 そして左右に五人の屈強な竜人族の戦士を伴っている。


「貴殿がライゼルア家の当主アラケア殿か。お初にお目にかかる。私はシンシアと申す者。デルドラン王国現国王ポワン様にお仕えしている」


「遠路遥々よく来られた、シンシア殿。ぜひとも歓迎したい所なのですが、黒い霧を抜けてきてまでアールダン王国に足を運ばれた要件はなんです?」


 俺はさっそく本題に入る。デルドラン王国は俺とも無縁ではない国。

 そこからの来訪者ということで、恐らくは俺に関係する事柄だと思われた。


「ああ、そのことなのだが……単刀直入に申し上げよう。この王国にラグウェルという竜人族の少年がやって来ていないか? そして私達も危惧していることだが……もし彼が貴殿に迷惑をかけていたなら私達はお詫びしなくてはならない」


 非常に毅然とした滑舌が良い喋りで、シンシアは来訪の目的を告げた。

 だが、あの竜人族の少年、ラグウェルの名前を出されたことに驚きはなかった。

 デルドラン王国からの客人ということで、心のどこかであの少年の話が切り出されるのではないかと、予感していたからだ。


「確かにラグウェルという少年はアールダン王国を訪れている。だが、今は王城の牢獄に投獄されている身だ。彼が雇った暗殺者と共に王都を襲撃し無関係である者を殺して回った罪でな。恨みを抱く俺の命を奪うために」


 それを聞くなり、シンシアと護衛の竜人族達は一斉に頭を深く下げた。

 そしてしばしして顔を上げると、謝罪の言葉を切り出した。


「やはり……危惧していたことだ。申し訳ない。彼は貴方の母上ナルテイシアが亡くなられてから、ずっと貴殿やライゼルア家に恨みを持っていたようなのだ。アラケア殿は彼の身の上はご存知か? ラグウェルは我が国の『夜の刻の王』である黒竜族の血縁に連なる者なのだ。そのような高貴な者がしでかした失態、我が国の恥を見せてしまった。だが、問題はここからなのだ。彼の父、カルティケア王は大変ご立腹でな。ラグウェルの身に万が一があればアールダン王国に攻め入ることも辞さないと息子の安否を案じておられるのだ。だから……恥を忍んで申し上げる。ラグウェルを牢から解放してやってくれないだろうか。今ならまだ穏便に済ませられる。どうか、お願いする」


 シンシアは再び俺に深々と頭を下げた。

 遠く南の地デルドラン王国で事態が、悪い方向に動いているのは彼女の切羽詰まった様子からも伝わって来た。

 しかし彼の釈放については、俺の一存ではどうにもならない。

 陛下にお伺いを立てる必要があるだろう。


「話は分かった。戦争となる事態は避けたいのは俺とて同じだ。これから陛下にその旨を伝えに向かってみようと思う。だから貴方達も同行して頂けないだろうか。その話を聞いてから、どうされるかは陛下がご判断されるだろう」


「ありがとう、感謝する」


 俺はヴァイツにガルナス城に向かうと伝えると、シンシアらを連れて屋敷を出た。

 今ではデルドラン王国以外の国で希少な種族となっているシンシア殿と、人間よりも体格が一際大きい竜人族の護衛達は王都の人々から人目を引いたが、彼女らは気にする様子もなく、威風堂々と俺の後ろに続いて闊歩していた。


「さて、陛下は何と言われるか。陛下は寛大なお方だが、国や民衆に害を与えようとする者には容赦がないからな。未だ俺への敵意を抱いている彼の無条件での釈放を果たして認めて頂けるかどうか……」


「心配されるな、アラケア殿。これは我が国の身から出た錆だ。だからたとえ彼の釈放に関してこちらに不利な条件を出されても私達は出来るだけ吞むつもりでいる。金でも資源でも妖精鉱でも何でも差し出そう。それで戦争が避けられるなら、安いものだ。そのために私達は来たのだからな」


 シンシアは堂々とした態度で、交渉にあたる覚悟があることを俺に見せつけた。

 だが、確かに陛下は話の分かるお方でもある。

 戦争を回避するためなら、交渉に応じられる可能性は十分に考えられるだろう。

 そう願いながら、ガルナス城に到着した俺達は兵士達に陛下への面会を求めると、戻って来た兵士から要求が通ったことが伝えられた。


「さて、果たしてどうなるか。交渉が成功するよう俺も力を尽くすつもりだがな」


「そう言ってくれて感謝する、アラケア殿」


 若干の不安を抱きながら、俺達は玉座の間に足を踏み入れると、玉座に鎮座する陛下に跪いた。


「よく会いにきてくれた、アラケア。しかし昨日の祝杯の席は楽しかったな。出したのは決して高価な酒ではないが、友と共に飲み交わす酒というのはやはり格別というものだろう。して、今日は何の要件で来たのだ? 伴った同行者の真剣な顔を見れば、重要な話があってやって来たのだろう?」


「はっ。多忙の中、面会の要求に応じて下さり、ありがとうございます、陛下。まずは私の同行者、シンシア殿のお話をお聞きください」


 シンシアは顔を上げると、先ほど俺に話した内容を再び陛下に申し上げた。

 だが、それを聞き終えても陛下は顔色を一切、変えずその心の内は伺えなかった。


「話は分かった、シンシア殿。皆既日食が終わり、互いに国力が疲弊した国同士で戦争になるという展開は私も望んでいない。その要求を呑もう。だが、黒竜族の少年を牢から釈放するのに際し、こちらから一つ条件がある」


「感謝いたします、ガイラン国王。こちらの不手際であります故、私達はどんな条件も呑む次第。何なりと条件をお出しください」


 陛下はそこでようやくニヤリと笑うと、口を開かれた。


「私達はこれから軍艦を率いて外海を北へ向かう予定でな。その道中では同じく北に向かったギア王国の宰相シャリム一派との戦闘も予想されるだろう。そこでだ……黒竜族に協力を頼みたい。私達と共に海を渡って魔物ゴルグやギア王国の残党どもと戦って欲しいのだ。これが私が出す条件だ。どうかな、シンシア殿?」


 そのお言葉に、さすがのシンシアも驚きを隠しきれない様子だった。

 だが、確かにその条件は俺も予想すらしていなかった。


「そ、それは! それは……さすがに私の一存では決められませぬ。カルティケア王にお伺いを立てるため一度、デルドラン王国に戻らなくては」


「ああ、そうされると良いだろう。だが、貴方達にアラケアも同行させたい。そこで彼に、自分のもう一つの故郷を案内してやって欲しいのだ。この間の訪問では碌に故郷巡りを楽しむことも、叶わなかったようだからな。構わないか、シンシア殿?」


 陛下の更なる提案に俺も驚いたが、それはシンシアも同様だったようで、これまで貫いていたポーカーフェイスが大きく崩れてしまっている。

 しかしすぐに表情を毅然としたものに戻すと、こくりと頷いた。


「最初からどのような条件でも吞むつもりでしたので。構いませぬ」


「決まりだな。お前も分かったな、アラケア。すぐにでも準備をして出立するのだ。今回は期限はない。お前が戻るまで私は待つつもりだ。だから遠慮なく行ってくるがいい。そうだ、黒い霧を抜けねばならぬから腕の立つ同行者もいるだろうな。お前にゼルとミコトを一緒に同行させる。後はヴァイツとノルンも連れていくといいだろう。良い報告を持ち帰ってくることを期待しているぞ、アラケア」


「は、はっ! それがご命令とあらば……」


 陛下の真意が見えず、内心、動揺していた俺だったが、命令である以上、従う以外にない。

 そう納得させると俺は立ち上がり、一礼すると玉座の間を後にした。

 シンシアらも俺の後に続き退室したが、彼女は俺の肩をポンと叩いた。


「思いがけない条件だったが、上手くいくよう私も全力を尽くす。アラケア殿、貴殿にも迷惑はかけない。道中、よろしく頼む」


 その言葉に俺は「ああ……」とだけ答えると、再び訪問することになる第二の故郷であるデルドラン王国に思いを馳せた。

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