第六十三話
「ば、化け物……が!」
ミコトに組み伏せられ、顔面を滅多打ちにされているガンドが、吐き捨てた。
その拳の一撃一撃が必殺技級であり、並みの者であればもう反撃しようとする気概すら失っているだろう。
ミコトはなおも髪を振り乱し、笑いながらガンドの顔を何度も殴り続けるが、それでもガンドの目は死んではいなかった。
「あらあら、どうされたんです? 気に入りませんよ、その目。あ、それとももしかしてまだ手があるんですか? じゃあ早く使ってください。でないと……このまま殺してしまいますよ?」
ミコトが更に拳を一撃、振り下ろそうとしたその時、ガンドが歯でガリっと何かを噛み砕いた音がした。
と、同時にガンドの体がみるみる大きく膨れ上がっていく。
その皮膚は赤く輝くルビーのような鱗となり、巨大な体躯を支える極太の四肢、長き尻尾が形作られていき、その姿はまるで火竜のごとき威容であった。
「ド、ドラゴンになりやがっただと!? どうなってんだ、こりゃ!?」
ギスタが叫び、あまりの迫力に思わず数歩後ずさった。
「……竜人族ではないな。これはライゼルア家当主である俺の勘だが、どちらかと言うと、こいつが醸し出す異質な雰囲気は
俺は傷ついた体を起こし、異形の竜へと変化したガンドを睨み付けた。
だが、ゼルが俺の肩を掴んで攻撃に入ろうとしていた俺を止めた。
「危険です、アラケア殿」
「だが……いくらミコトが強いとしてもあれほどの巨躯となったガンドをそう簡単に倒せるとは……」
「彼女なら心配無用です。私達は私達の仕事をこなしましょう」
ゼルは俺とギスタの手を引いて、城内を二階へと進むことを促す。
階段を上る途中、振り返って見てみたが、一階の入口の大きなホールにてミコトは火竜となったガンドと向かい合っており、その表情は恍惚として手には抜き放たれた村正が握りしめられていた。
「ゼル、彼女は一体……」
「あれは……『血の酩酊に目覚めた獣』。あの陛下さえ苦戦を強いられた正真正銘の怪物です。今は陛下によって首に鎖を繋がれた状態とはいえ、この場に残れば私達も確実に巻き添えを食います。ですから、見境のない彼女には好き放題、暴れてもらい敵を引き付けている間に、私達は別行動をして陛下のサポートを行うのが最善かと」
ゼルは階段を駆け上がりながら、ミコトについて語ったが、背後では戦闘が再開されたのか、耳を劈く咆哮や斬撃音が聞こえてきた。
「俺などまだまだだな。世の中にはまだ上には上がいる。これは立ち止まってなどいられん。これからも精進しなくては……」
未熟を思い知らされた俺は背後で行われている人知を超えた戦いに、いずれはそこに届いてみせると決意し、すぐにまた任務を成功させることに意識を戻した。
二階に上がった俺達だったが、やはり城内の至いたる所が蜘蛛の糸のようなものに覆い尽くされていた。
これほどの糸を吐く蜘蛛となるといかなるサイズのものなのか、見当もつかなかったが、俺が今、考えていたのはこの糸の働きについてだった。
「そういえば蜘蛛は糸に触れた振動を感知して、獲物を捕食するというが、もしかしたらこの糸も同様の働きがあるのかもしれない。ならば……こそこそしても仕方ない。このまま上階を目指して国王ダルドアの元まで駆け上がっていくしかあるまい」
「敵の総本山で我々は今、僅か三人。茨の道になりそうですね」
「へっ、上等だ。望む所だぜ」
俺達がこれからの行動指針を決めたその刹那、東方武士団の新手の兵士達がこちらへと向かってきていた。
俺達は現れた敵の一群を蹴散らすべく、それぞれ武器を構えると、敵兵目掛けて飛びかかっていった。
だが、敵はそれどころではないといった様子で一部を除いてその多くは俺達をすり抜けて、一階への階段を慌ただしく駆け下りていってしまったのだ。
奴らが向かった先、一階では相変わらず、建物が崩れんばかりの戦闘音が響き渡っており、その戦いの激しさを物語っていた。
「ミコトに助けられたな。敵にとって俺達よりもまず下の戦いを制することが最優先ということか。だが、この状況はやはり俺達にとって追い風だ。このまま三手に分かれて、それぞれ上階を目指そう。そうすれば敵の戦力も分散され、戦いやすくなるはずだ」
「1人行動か。構わねぇぜ、俺もそっちの方が動きやすいしな」
「分かりました。では最上階で落ち合いましょう、アラケア殿、ギスタ殿」
ギスタとゼルがこくりと頷く。
その2人の意思を確認した俺は、作戦開始の合図を出した。
「よし、では行くぞ!」
俺達はその合図と共に、三方向に散って立ち塞がる敵兵士の壁に斬り込んでいく。
俺はルーンアックスで迫りくる敵を次々と薙ぎ払い、ギスタとゼルもそれぞれ己の力と技を行使し敵陣を突破していった。
――そして三手に分かれてからどれくらいしただろう。
一人、通路を進んでいた俺の目に不可解な光景が飛び込んできた。
足元には明らかに俺達が殺したのではない、兵士達の死体が転がっていたのだ。
「これは……喉を鋭い刃のようなもので斬り裂かれている。……それも一撃でか。かなりの使い手がこの惨状を作り出したのだ。だが、何者だ? 俺達以外にも侵入者がいるというのか?」
俺は足元の死体を屈んで調べていたが、その時だった。
俺は鋭い殺気を背後に感じ、咄嗟に振り返った。
「っ!?」
しかしそこには誰もいない。いや、気配の残り香が僅かに残っている。
すでに立ち去った後だったのだ。だが、何者かがたった今までそこにいた。
「……誰だ。一体、誰がいたのだ」
と、そこに一枚の紙きれが落ちているのを見つけると、そこに何か文字が書かれていることに気付いた。そこに書かれていたのは……。
――私と手を組みませんか?
「何だ、これは」
その紙の文字を読み終わったその時だった。
物陰から一人の敵兵士が刀を振りかざし、飛び出してきたのだ。
俺が紙を放り捨て、即座にそれに対応しようとした時、更に別の物陰から現れた一人の女性らしき影が素早く兵士の背後へと迫った。
ザグッ!!
背後からの一撃。恐らく致命的なものだったのだろう。
兵士は信じられないと言った顔で背後の女性を振り返ると、床に崩れ落ちた。
そのことで兵士の背に隠されていた、女性の顔が露わとなる。
「お、お前は……! お前は……エリクシア!!」
そう、長い緑の髪に長耳を備えた美しいその少女の姿は紛れもなく、いつぞや俺達がデルドラン王国で一戦を交えたエリクシアであった。
「ふふ、エリクシア? 生憎と私は彼女ではないのですよ。まあ、こんな姿では貴方が見間違えるのも無理はありませんがねえ。またお会い出来ましたね、アラケアさん」
「何?」
確かに俺はこの口調に覚えがあった。このやけに丁寧な言葉使いは……。
だが、目の前のこいつはどう見てもエリクシアそのものだ。
変装してどうにかなるレベルを越えている。
「そうそう、先ほどのガンドとの戦いですが、遠目に拝見させて頂きましたよ。ずいぶん劣勢だったようですが、もし貴方が奴を倒すことに全力を尽くしていれば勝っていたのは恐らく貴方の方だったでしょう。違いますか?」
エリクシアの姿をした何者かは、俺の反応を面白そうに見ながら更に続ける。
俺はその大仰な態度に目の前のこいつの正体に確信を持ち始めた。
「しかしこの先の戦いに勝ち抜くために余力を残そうと、貴方はペース配分を考えてしまった。私との戦いで見せたあの『光速分断破・無頼閃』とやらも結局、使わずじまいでしたからねえ。本気の出し惜しみ……それがあの戦いの貴方の敗因でしょう」
「貴様……貴様がなぜここにいる? その姿はなんだ? 一体、何を企んでいる、マクシムス」
エリクシアの姿をしたマクシムスはくつくつと喉を鳴らして笑った。
しかし殺気も闘志もまるで感じられず、戦うつもりがないように見えた。
「ああ、この姿ですか。これは擬態です。この忌まわしい体となってからこのような能力が私に備わりましてねえ。あまり長時間は擬態することは出来ないのですが、敵の攪乱には実に有効で重宝しているのですよ」
「なるほど、それは便利なものだな。それで先ほど見つけたあの紙を書いたのは貴様か? 俺と手を組みたいと? 本気で言っているのか?」
マクシムスは腕を組みながら、愉快そうに答えた。
「ええ、ご不満でしょうか? 私はギア王国のある男に恨みがあるのですが、まずはその男の後ろ盾を潰しておきたく思いましてねえ。この城にいる主要な人物は現在、国王ダルドアとエリクシアとガンドのみ。宰相シャリムとカルギデはすでに城を離れ、港で船の出港準備を行っています。貴方も見ましたか? あの要塞のごとき巨大な船を。彼らはこれからあの船で出港しようとしているのですよ」
「ああ、そうらしいな。グロウスはそれを目指していると俺達に言っていた。この城に奴がいないのは残念だが、半分は安心と言った所だな……。奴の実力は身をもって味わっている。戦うのが先延ばしになるのは内心では少しほっとしているのも事実だ」
それを聞いたマクシムスはくつくつと喉を鳴らしながら、俺へと手を差し出してきた。
「利害は一致していると思いますが? ちなみにこの城は貴方達を誘き寄せるための国王ダルドアが仕掛けた罠です。ダルドアは大蜘蛛の
「……いいだろう。お前を信用するつもりはないが、確かに利害は一致している。それに敵地で余計な敵を増やすのも愚策だ。国王ダルドアを倒すためお前の力を貸してもらうぞ」
俺は奴がさし伸ばした手を握ると、握手をした。
その手から感じる体温はひんやりとしており、まるで死人のようだった。
「ええ、一時的とはいえ、お互いに良きパートナーでありたいものですねえ。では参りますか、アラケアさん。道順は調べてありますので、ご案内しましょう」
マクシムスは含み笑いを浮かべると、奴を先頭に俺達は上階を目指し走り出した。
まさかこの男と手を組むことになるとは思いもせず、俺は運命の悪戯と言うものを感じていた。
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