皆既日食・中編
第三十九話
「よう、また一段と腕を上げたんじゃないか、アラケアさんよ。あんたと別れてから、そんなに時間は経ってないってのにな」
俺の前に姿を現したのは、皆既日食が始まる前に姿を消したギスタだった。
だが、その顔には細かい傷痕が増えたように見える。
恐らく行方をくらましていた間、血の滲むような実戦に近い訓練を行っていただろうことが、容易に想像できた。
「ああ、お前が消えてから一度、俺は死にかけたからな。だが、俺も転んでもただでは起きない性分だ。敗北によって、より強くなるきっかけとなったと思っている。駆けつけてくれて礼を言う、ギスタ。お前ほどの暗殺者がいれば
「へっ、だといいがな」
俺とギスタはぐっと握手をして、再会を喜ぶと、隣にいたヴァイツもギスタに微笑みかける。
「君が本当に来てくれるなんてね。ここにいるのは兵士や騎士ばかりだし、暗殺稼業の君がいてくれると、僕らじゃ対応の出来ないことが起きても切り抜けられるかもしれない。歓迎するよ、ギスタ」
「お前こそ一皮むけたって感じじゃねぇか、ヴァイツ。目を見れば分かるぜ。次の襲撃があったらお互いに
「うん」
ヴァイツとギスタも力強く握手を交わす。
そしてギスタは塀の上を端まで、暗殺者特有の気配を感じさせない足運びで歩を進めると、目を細めて遠く南の方向を見渡した。
「なるほどな。俺がいない間に相当、激しい戦闘があったって訳かよ。にも関わらずここにいる兵士達の目から希望の光が失われてねぇのはあんた達の活躍があったからって訳だな。ん……?」
「どうした、ギスタ?」
何かに気づいたかのようなギスタが気になり、俺もギスタが見ている方向に目を凝らしてみた。
だが、皆既日食による暗さのため視界が悪く、ギスタが何を見ているのか、俺には分からなかった。
「おい……おいおい! なんだよ、ありゃ!」
ギスタの形相がみるみる驚愕の表情に変わるのを見て、今度は望遠レンズでよく目を凝らしてその方向を見た。
そして若干ながら、暗闇の中で何かが動いたのを捉えた。
最初、俺は山が望遠レンズで覗く視界を遮っているのかと思った。
しかしそれは山ではなかった。
なぜならその姿は、天まで届く、巨大でどす黒い大木のような形状であり、そこから伸びた先端部には、触手のようなものが蠢いている。
それが徐々に徐々に、赤く煌々と輝きだした……。
「なっ……馬鹿な! まさか……あれは生き物だというのか! 途轍もなく巨大な山のような化け物がこちらへ向かっているぞ!」
ようやく俺もヴァイツも事態を把握し、戦慄が電撃のように走る。
そしてあれの姿が皆の目にもはっきりと目視出来るほどに触手が赤く強く輝き始めると、戦闘準備を整えていた兵士や騎士達にも敵の姿の全貌が露わとなり、それを見た皆の心に、瞬く間にある二つの感情が伝搬していった。
――抗おうという気すら起きなくなる程の、絶対的な恐怖と絶望という感情が。
やがてあちこちから悲鳴のような叫びが、聞こえ始めた。
戦意を喪失したのか、我先にと昇降リフトで逃げ出そうとする者、神に祈りを捧げだす者、放心した表情で立ち尽くす者など……様々だったが、すでに士気は極限まで低下し、これからあれと戦える状態ではなくなっていた。
俺は何とか皆を鼓舞させようとした試みたが、一度、伝搬してしまった恐怖はもう歯止めが効かなかった。
「……百メートル以上はある。皆が戦意を喪失するのも頷けるが、かと言ってこの塀を突破されては、陛下に申し訳が立たない。やるしかあるまい」
「けど……あれじゃまるで世界を焼き尽くし蹂躙する魔神か何かのようだよ。あんな化け物……今まで聞いたことも見たこともない。あれも
「ちっ、逃げる奴はほっといて俺達だけで迎え撃つしかねぇな。ん……っ!? おい、あのデカブツ、何かをしようとしてるぞ」
肉眼でも俺にもはっきりと見えた。
無数に生えた大蛇の如き長い触手の先をこちらへと向け、赤い光が収束している。
そして……それらが一斉に火を噴いた。
何十と言う火の玉が放たれ、次々と塀へと被弾……爆発と共に崩壊していった。
塀ががらがらと崩れ落ち、俺とヴァイツとギスタは成す術なく地上へと落下し、すでに総崩れ状態だった南側の防衛陣は大きな被害を受けた。
「くっ……」
俺は崩れ落ちた瓦礫の下から這い出し、顔を上げると今、俺達が置かれてる状況を一瞬にして把握した。塀が崩れ落ちたのだ。
南の方向を見ると、
「……何てことだ。これでは奴らにここを突破される……! 誰かっ! まだ生きている者はいないのか!?」
俺は藁にも縋る思いで、周囲に向けて叫ぶ。その時だった。
「アラケア様!」
俺の叫びに応えるかのように、背後から聞き覚えがある声がした。
振り返ると、そこにいたのはノルンだった。
「ノルン、なぜここに? お前は北側で戦っていたはずだろう」
「陛下がアラケア様の元へ向かえと。しかしまさか、こんなことになっていたなんて……」
ノルンは微かに震えていた。
しかし俺の前で気丈に振る舞おうとしているようだった。
そんなノルンを見て、俺は逆に余裕を取り戻し、肩をぽんと叩くと勇気づけた。
「そうか、よく来てくれた。ともかく生き残りを集めて奴らと戦わねば。一緒に戦ってくれ。まずい状況だ、このままでは奴らにここを突破される。残った戦える者達がまだどれだけいるか分からんがな……」
「へっ、安心しろよ、アラケア。最悪の状況になっちまった訳だが、不幸中の幸いでまだ俺がいる。あんたもまだ諦めちゃいねぇんだろ?」
いつのまにそこにいたのか、俺の視界の外にギスタが立っていた。
手にはアサシンナイフを持ち、迫りくる
「……ギスタ。お前も無事だったか。お前がいてくれることに感謝しかない」
「ああ、弟分の仇を討たずに死ねるかよ。それにそんな台詞は生き残ってからだぜ、アラケアさんよ」
ギスタは向こうを見たまま、横顔に微かに笑みを浮かべたが、その時だった。
俺の足元から声がしたのである。
「いたたた、あんな高所から落下してよく生きてたよね、僕ら。アラケア~、僕だってここにいるよ」
崩れ落ちた瓦礫の下から手が飛び出たかと思うと、瓦礫をよかしてそこから俺のよく知る者が這い出してきた。
「あ~あ、せっかく新調したオーダーメイドの甲冑が埃だらけだよ。戦いが終わった後で綺麗にしとかないとね」
「お前も生きていたんだな。安心したぞ、ヴァイツ。ふっ、後があればいいがな。お前も力を貸してくれ。頼りにしてるぞ」
「うん、勿論だよ。さあ、気合い入れていかなきゃ。来るよ、奴らがもうここに。残った面子だけで戦い抜かなきゃ」
ヴァイツは、そして俺達は地平の向こうを見る。
地平を埋め尽くす異形の
だが、それでも抗おうと、俺達はそれぞれ武器を構え、臨戦態勢をとった。
「いくぞ……奴らの侵攻をここで止める。王都に1匹たりとも入れるな」
「……ああ」
「うん」
「はい、アラケア様」
俺の言葉に肯定の返事で答えた三人と俺は、絶望的な状況の中ではあったが、それでも諦めることなく、
最後の抵抗を試みるために。
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