第32話:自分の名前の意味を知ってる?



 その話の最初のきっかけは緋色の名前だった。

 単純な疑問が、少しの謎を生み出していく。


「ねぇ、奈保さん。緋色の名前ってどうして、緋色なんですか?」

「ん?」


 お店の営業も終わって、後片付けをしていた。

 この後は日暮家で夕食にご招待されている。

 最近は緋色の家で三人で夕食を取ることも多いのだ。

 奈保からはすっかりと家族同然の扱いをされている。


「緋色って朱色みたいな色の事でしょ?」

「そうね。英語ではスカーレットとも言うわ」

「やっぱり、日暮だから夕日をイメージして?」

「それもあるけど、緋色は特別な言葉だったから」


 彼女は「どうしても子供の名前につけたかったんだ」と小さく笑う。


「色の名前を名前にするなぁって、お父さんには怒られたけど。旦那はあっさりOKしてくれたので緋色の名前になったのよ」

「そんなに気に入ってるんですか」

「うん。お気に入り」

「それは日暮の名字じゃなくても?」

「私の旧姓、高津でも、多分、その名前をあの子にはつけていたわ」


 緋色の名前に込められた意味。

 ふとしたことで知りたくなった。


「朝陽ちゃんの名前にも親が込めた想いがあるでしょう?」

「……どうなんでしょう」


 あまりそういう話を両親に聞いたことはない。


――政宗、乙姫、朝陽だもんねぇ。共通性もなさそうだし。


 朝陽の場合は日本の朝が来る、そんな意味が込められているかもしれない。


「今時は変わった名前を付ける親も多いけど、親が子供に名前を付ける時って特別な想いを込めるものなのよ」

「特別な想い……」

「私には緋色と言う名前に思い入れがあるからつけたの」


 どんな言葉や名前にも思い入れがあるからつけるもの。


――それってどんなものなのかな。


 朝陽は興味がわいて、踏み込んで聞いてみることにした。


「奈保さんはこの村の出身なんでしたっけ」

「そうよ。私と亡くなった旦那は年の差があってね。私が20歳の頃には彼は30代半ばだった。当時は年の差婚と言われたものよ」


 お皿を片付けながら奈保は懐かしそうに、


「あの頃、私は温泉宿の従業員だったの。高校卒業してから知り合いの所でお世話になっていて……東京から旅行に来ていた道宏|(みちひろ)さんと出会ったんだ」

「へぇ、旦那さんは東京出身だったんですね」

「こんな片田舎にまでやってきた彼と結婚するなんてその時は思いもしなかったなぁ。運命の出会いでした。ホント、懐かしいなぁ」


 日暮緋色。

 その名前に込めた本当の意味をその時、奈保は話してくれなかった。

 ただ、それは緋色がこの村に生まれた事と関係しているらしい。






「緋色は自分の名前の意味を知ってる?」


 日暮家で夕食を食べたその帰り、家まで緋色が送ってくれる。

 すっかりと初夏になり、夜でも少し蒸し暑さがある。


「なんだ、それ? 緋色は夕焼けって意味でつけたんだろ」

「日暮緋色。私もそう思ってたんだけど、それだけじゃないみたいだよ?」

「母さんに聞いたのか?」

「ちゃんとは教えてくれなかったけど。緋色は特別な意味があるからつけたんだって。なんだろうね、気にならない?」


 奈保は緋色と言う言葉に特別な思い入れがあるらしい。


「緋色に思い入れ? 分からんな」

「それに緋色のお父さんって東京出身だって聞いた」


 そう言った瞬間に彼は思いっきり不機嫌そうな顔をしながら、

 

「そうなんだよ。親父は東京出身で、父方の親戚はあっちにいるらしい」

「いるらしい?」

「葬式以来あってないからな。なんでも都会を捨てて逃げてきた落ち武者だとか」

「……言い方がひどいや」

「くっ、こんな片田舎に住まず、あちらで暮らしてくれていればよかったものを……」

「そんなにこの村が嫌いですか?」

「嫌いと言うか何もなさ過ぎてな。コンビニだって夜になると閉まってるんだぜ」


 小さな頃から緋色は外の世界に憧れていた。

 都会に憧れる田舎者だって自虐的に言ってた事もあった。

 田舎特有の閉塞感、若者には辛いものもあるだろう。


「どうして、緋色のお父さんはこの村に移り住んだの?」

「知らん。生きてる間に聞いたこともなかったからなぁ」

「そうなの?」

「親父はコーヒーバカだったからな。コーヒーの淹れ方は教わったが、あんまり親父とはそう言う話をしなかったよ」


 五十代半ば、突然の病で亡くなってしまった緋色の父親。

 彼がここに来た理由、それは何か特別な事があるんじゃないか。


「奈保さんと出会ったのは温泉旅館だって」

「あぁ。昔、沙羅の旅館で働いてたんだろ。親父が旅行客だって言うのは聞いたことがあるな。そこで知り合ったんだとか」

「旅行客と旅館の従業員。年の差をもろともしないロマンスの恋。素敵」

「そんなものはねぇよ」


 あっさりと否定すると緋色は呆れたような表情をしつつ、


「母さんの方が熱烈にアプローチをかけたって話だが、それに手を出したのが親父だ。年上好きな母さんにあっさりと籠絡されただけだろ」

「そんな言い方しなくても」

「……だけど、親父は何でこんな田舎に住もうと思ったんだろうな」


 それは緋色も知らない事らしい。


「都会から見ればこんな田舎に魅力もないだろうに。どうせなら母さんを連れて東京で暮らしてくれれば、俺も田舎暮らしなどしなくてよかったものを」

「そうなると私と緋色は出会ってすら、いないんですが」


 大事な接点が失われてしまう。


――そこを否定されると悲しいです。出会いまで否定しないでよ。


 きっと都会に住んでいたなら二人は出逢うこともなかった。


「喫茶店を作ったのも、関係あったりして?」

「昔からコーヒーが好きだって言うのは聞いた事があったな。店を持つのが夢でもあったって……そういや、東京時代に親父は何の職業をしていたんだ?」


 どうやら、緋色はお父さんの事をあまり知らないようだ。


「お父さんのこと、知らない事が多いんだね」

「父親ってそんなものだろ。男同士ってのは深くお互いの事を話し合ったりしない。ただ、親父がこの村を好きだったのはよく覚えている」


 彼がなぜこの村で喫茶店を始めたのか。

 奈保と出会って恋に落ちた事だけが全てではないということ――。


「こんな村のどこに魅力を感じたのやら。今となっては分からないけどな」


 それを語る人はもうこの世にいない。

 緋色は話し合ったりしないと言ったけども。

 そういうことをちゃんと話し合わなかった事を後悔しているのかもしれない。

 

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