第7話:アンタは今、人生の迷子でしょ



 野鳥の囀る音。

 小川のせせらぎ。

 聞こえてくるのはありのままの自然の音。


「いいね。懐かしい、私の好きだった音だ」


 都会の騒音とは違い、心を穏やかにしてくれる。

 ただ、それが普通の状況ならば。


「い、今はそれが不安でしかないよ、誰か助けてー」


 朝陽は誰もいない森の中で叫ぶことしかできなかった。

 どこを見渡しても緑一色、木々しかない。

 鳥の声とかよりも人の声が聴きたい。

 歩いている道がどこに向かっているのか、それすらも分からない。


「ぐすっ、迷子になりました」


 村についてから屋敷を目指して道なりに進んでいた。

 朝陽は幼い頃の記憶を頼りに、近道と思われる道を選んだ。

 それが大きな間違いで気づけば山奥へ。


「昔の記憶を頼りにした私が大バカです。どうしよっ」


 記憶なんてあやふやなものだし、朝陽一人では遊んだりしていなかった。

 引きかえすにも似たような獣道で、完全に迷子になっていた。


「どうしよう。迷子の私、どこに行くの?」


 荷物を抱えて、力なく歩き続ける朝陽の脳裏によぎったのは、

 

『――アンタは今、人生の迷子でしょ』


 リアルに乙姫に鼻で笑われた気がした。

 

――失礼な、まだ人生の迷子じゃないよ!


 幻聴にムスッと不満げになりながら、


「この程度の迷子、なんとかなるはず」


 不安はあるが、道はどこかに繋がっているもの。

 進んでいけば、いずれはどこかへたどり着くはず。

 自信なく前へと進もうとする朝陽は思わず立ち止まってしまう。

 それは山奥に設置された薄汚れた一枚の看板。


『――熊、出没注意。この付近で熊の目撃談あり』


 デンジャラスビースト=熊。


「森のくまさん!?」


 朝陽は慌てふためいて、周囲を見渡した。

 木漏れ日の涼しげな空気。

 春の陽気に誘われてお昼寝でもしたら気持ちよさそうな温もり。

 つまり、冬眠から目覚めた熊が起きてくる時期。

 お腹を空かせた彼らはまずエサを求めるだろう。


「わ、私、熊さんに食べられちゃう!?」


 よくテレビとかで見る事件の被害者にだけはなりたくない。


「み、道はどこ。ここで合ってる?」


 慌てて荷物を持ちながら、急いで森を抜けようとする。

 その時だった。

 ガサガサ。

 大きな音を立ててこちらに近づくもの。

 草木をかき分けてくる気配に朝陽は足をすくませる。


「ま、まさか?」


 ……ある日、森の中、クマさんに出会った。

 あの有名すぎる音楽が脳裏に聞こえてくる。


「私なんて食べても美味しくないよ? 食べる所もないし!」


 震える声をあげて彼女は身体をすくませる。


「こ、来ないで~!? クマさん、私は食べちゃダメー」


 そう木々の奥から近づく相手に叫んだ。


「――きゃんきゃん、うるせぇよ」


 その相手は朝陽に低い声で言う。


「ふぇ?」


 獣ではなく人の声に振り向くと森の奥からやってきたのは、


「お前、どこの観光客だ。こんな山道に入るなんてバカじゃないのか」

「クマさんじゃない?」


 悪態をついてため息をつく若い男性。


「誰が熊だ。人をクマに間違えるな」

「ご、ごめんなさい」


 その横顔に朝陽はある男の子の面影を見た。


「あれ……もしかして、緋色?」


 朝陽が昔、よく遊んでもらっていた男の子。

 日暮緋色(ひぐれ ひいろ)。

 親は夕焼けをイメージさせる名前をつけたんだと彼から聞いた覚えがある。


「えっと、緋色だよね?」

「はぁ? 見知らぬ女が何で俺の名前を知ってるんだよ」

「私だよ。大和朝陽! 覚えてない?」


 朝陽は横ピースでポーズを取りながら彼に名乗る。


「大和朝陽?」


 怪訝そうな顔をしていた彼の表情が変わる。


「そうだよ。私、朝陽です」

「……お嬢か」


 かつて、朝陽を彼はそう呼んでいた。

 懐かしい呼び名。


「覚えていてくれた? えへへっ。緋色だ、緋色だ」


 朝陽は彼に近づこうとすると、「ちっ」と舌打ちをひとつ。


「何で今さら、お嬢がこんなところに。バカが」

「え?」

「……何しにやってきたんだ、お嬢様。ここはお前が来るような場所じゃねぇよ」


 そう吐き捨てるように呟くと彼は朝陽から視線を逸らす。

 冷たい拒絶反応。

 それは朝陽が想像もしていなかったことだった。

 緋色はよく遊んでくれていた年上の男の子。

 

――それなのに、どうして?

 

 何かが彼を変えたのか。

 それとも大人になるとはそういうことなのか。

 日暮緋色にはかつての温かさはなく。

 現実と言う二文字が朝陽に突き付けられるのだった。

 

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