第48話:兄さん、私を裏切りましたね?


 

「――貴方の恋人を泣かせました。ごめんなさい」


 掃除を終えて教室に戻ってきた猛に淡雪は開口一番に謝罪した。

 唖然とする表情を見せる彼はきょとんとして、


「マジっすか。え、えっと……どういう状況? 」


 と、戸惑いながらも淡雪の話を聞くことに。

 些細な意見の衝突から、淡雪が説教をしてしまい彼女を泣かせた。

 あんな風に撫子が泣いてしまうのは予想外だった。

 

――あの子も、私が思っている以上に強い子ではなかった。


 ただ、強がっているだけの子供だった。

 

「多分、私は先生に向いてないわ。『アイドルになりたい』という生徒に真顔で『現実見て生きなさい』と諭すタイプね。絶対に応援しないもの」

「あはは……淡雪らしいと言えばらしいんだけどね」


 苦笑いをする彼は「真面目なんだよなぁ」と気落ちする淡雪の髪を撫でた。

 妹の失敗を慰めてくれる兄の顔をしている。


「淡雪って、いい意味でも悪い意味でも“お姉ちゃん”なんだよ」

「え? どういうこと?」

「結衣ちゃんの時もそうだったけど、撫子のことも姉目線なんだ。例えば、結衣ちゃんは自分のしたいようにするタイプ。放っておけないから説教もする」

「そうね。あの子は未だに説教ばかりしてるわ」


 その説教を全然、真に受けないのはどうかと思う。


「撫子の事もさ、別に嫌いだからそんなことを言ったわけじゃなくて。あの子のためにと思ったからそういう発言もしちゃったわけだ」

「私の性格がよく分かっていてくれて嬉しいわ」


 自分の融通の利かない性格が嫌になり、深いため息をついてしまう。


「そうね。私は撫子さんにはもっと周囲へ視線を向けてほしい。あの子の視野が狭すぎることに憂いていたのかもしれない。世界を広げて欲しいと願ってる」

「あぁ。それは俺も思うよ」

「理想や夢も大事なことだけど、呪いのように縛られ続けるのはよくないわ」


 言わなくていい事まで言ってしまったのは淡雪の責任。

 泣かせたことは素直に謝るしかない

 放課後の教室、いつのまにか誰もいなくなってしまっていた。

 淡雪たちだけになった教室はどこかもの寂しい。

 猛は責める事もなく、穏やかな表情を浮かべていた。


「撫子も分かってたんじゃないかな。現実と理想の問題にはさ」


 彼も撫子には思う所があったらしい。


「痛い所をつかれたから、淡雪にも突っかかって泣いちゃったわけで」

「あの子って強いようで脆いの。本当に猛だけが生きる意味なんだと思うわ」


 撫子は不器用な子で、自分のための夢がきっとない。

 

――愛するお兄ちゃん一筋で生きてきたんだ。


 もっと自分を大切にした方がいいのに。


「さぁて。一応、撫子に電話をしてみるか」


 彼は携帯電話で連絡をすると撫子がすぐに出たようだ。


「やぁ、撫子。俺だよ。うん、話は聞いてる。今はどこに? あぁ、中庭か」


 どうやら中庭の方にいるようだ。

 あそこは彼女のお気に入りの場所でもある。


「今からそちらに行くから。淡雪の事は……え?」


 彼は電話越しに慌てた様子で、


「いや、ちょっと待って。待ちなさい、戦争はダメです。仲良くしましょう」


 向こうは既に臨戦態勢のようだった。

 彼女の中で淡雪は敵として認識されてしまってる様子。


「……はぁ。予想以上にこれは困難な展開だ」


 電話を終えた彼は深く嘆き悲しみながら、


「なぜこんなことに。思わぬ形で妹たちの戦いに巻き込まれてしまった」

「それがお兄ちゃんの役目だもの」

「嫌な役目だなぁ。俺、平和が好きなのに。お願いだから仲良くしてください」

「ホント、不器用な妹のせいでごめんね」


 迷惑をかけてしまったことを謝りながら淡雪達は中庭の方へと移動した。





「――兄さん、私を裏切りましたね?」


 中庭にたどり着くや否や、不愉快そうな顔と共に猛にかみつく。

 撫子は淡雪が一緒だったことが相当、嫌だったようだ。


「落ち着け、撫子。裏切るとかじゃないから、変な誤解はやめれ」

「なぜ彼女を連れてきたんですか。その人に泣かされました。私、大嫌いです」

「泣かせてしまったのは謝るわ。思っていた以上に子供だったんだもの」

「あ、謝る気があるんですか!?」


 苛立ちを隠さない撫子。

 泣き止んではいたようで、感情をむき出しのままに憤慨する。


「上等です。戦争ということでいいですか? いいですよね? 開戦です!」

「いいわけがない。撫子、戦うのはなしでお願いします」

「嫌です。今日の事でよく分かりました。私達は折り合いが悪すぎます」


 今にも飛びかかりそうな撫子を彼はたしなめるのに必死だ。

 

「頑張ってくれてありがとう、お兄ちゃん」

「他人事のように言わないで。こっちは必死だよ」

「邪魔しないでください。兄さん。その人を●●できません」

「文字を伏せなきゃいけないことをしないで」

「私のプライドを砕こうとしたこの人だけは許せませんっ」


 まさに妹たちの板挟みの猛が不幸すぎる。


「全面戦争ですよ。ふふふっ。私、この人に敗北したのは二度目ですからね。遠慮容赦しませんよ。倒すどころか、潰してくれます」

「……頼むから仲良くしてくれ。お兄ちゃんの切なる願いだ」


 淡雪達の間に入ることで、これ以上の関係悪化を阻止しようとする。

 彼女はふくれっ面で淡雪を睨みつけながら、


「……もうっ。兄さんはこの人の味方なんですか」

「淡雪の味方でもあり、撫子の味方でもある」

「くっ。優柔不断な兄さんに期待しても無意味なようです。役立たずですね」

「男としての評価を下げるのはやめてください」

「ヘタレなくせに、いい顔をしようとするダメな男の人に思えます」

「……本気で傷つくので俺に暴言もやめて」


 気の強い彼女に困惑する猛。

 こういう状態の女の子をどうにかできる男の子はいない。


「撫子さん。まずは謝らせて。貴方の夢や理想を現実という正論で論破して、悔しい想いをさせて泣かせてしまったことに対しては謝るわ。ごめんなさいね」

「全然、謝る気がないですよ、この人!?」

「……ホントに泣かせるつもりはなかったのよ。それだけは謝るわ」


 淡雪にとっても妹のような存在。

 説教をしても、泣かせてしまうのだけは本意ではなかった。

 先ほど、途中になってしまった話を続ける。


「兄妹で恋をするのは難しいことよ。そのために失うものも多い。貴方が世界を敵に回して、なんて覚悟を決めたことも仕方のなかったことなのかもしれない」

「先輩はそれを夢見がちな少女の妄想扱いしましたけどね」

「だって、あまりにも現実味のないことだもの。子供の願望そのもので、呆れてしまうほどに純粋なもの。そこは否定しないわ」


 世界を敵に回す。

 本当の意味での覚悟もないのにそれを実現できると信じている。

 それをお子様だと言わずして何と言うか。


「貴方の愛はひどく自分勝手なもの。自分の愛の成就のために他を犠牲にするなんて言う考え方は子供としか言えないわ」

「子供、子供って……先輩はそんなに大人なんですか?」

「私?」

「自分だって嫉妬心で騒動を起こすようなお子様のくせに。人に偉そうに物を言えますか。言えませんよね?」

「……そうね。私も未熟な子供よ。ただ、貴方よりは年上で、世界を広い目で見ている自覚はあるわ。だからこそ、撫子さんにいろいろと言いたくもなる」


 苦笑気味に淡雪はそう告げた。

 それでも、彼女の愛情には一定の評価ができる。


「でも、貴方の愛は羨ましくもあるの。私は心で恋をできない人間だから」


 友人にも言われたことがある。

 淡雪は頭で恋をする人間だ、と――。


「ふっ、先輩は頭で考えてばかりで、つまらないことでウジウジと悩み続けるタイプです。まるで兄さんみたいですよ。さすが双子、思考回路も似てるんですね」

「……あのー、誤爆で俺も攻撃してますよ、撫子」


 ひとり、赤い夕焼け空を眺めながら猛が嘆いていた。

 その後姿が悲壮感を抱いた寂しげなものだったので声もかけられない。


――本当につまらない争いに巻き込んでごめんなさい。


 妹として兄に申し訳なさすぎる。


「自分の心のままに恋をできる事が羨ましいから、正論でしか人を否定できないんでしょ。須藤先輩はつまらないですね」

「そうかもね。子供の頃から恋に焦がれることもなかったのよ」

「なら、私の気持ちなんて理解できないでしょう」


 恋愛をしたのも、異性を意識するのも遅かった。

 だけど、初恋の気持ちに焦がれ、憧れた経験は彼女のようにあるんだ。


「私も貴方みたいに、白馬に乗った王子様がいつか迎えに来てくれるような甘い考えのロマンチストだったらよかったのに」

「わ、私はそこまでお子様じゃありませんっ!」

「そう? 似たようなものじゃない。私が現実主義者なら、貴方は理想主義者。いつだって、口ばかりの理想を追い求めている」

「言ってくれますねぇ。ふふふ、兄さん。この人を倒しますけどいいですか?」


 猛は撫子に「ダメです」と一言で大人しくさせる。

 謝るつもりだったのに、再び言い争いに発展してしまう。

 こんなことがしたいわけではないのについ熱くなってしまった……反省。


「恋愛において必要なのは感情ですよ。心のままに行動する、それが愛です」

「私は正反対に頭で恋をしてしまう。だからかなぁ、撫子さんと折り合いが悪いのは……。正反対ね、私達。価値観がまるで違うもの」

「到底、仲良くできそうにもありません。さぁ、戦争をしましょう」

「妹同士の戦争はお兄ちゃんが許しません」


 どうしようもなく、ぶつかりあってしまう。


――同族嫌悪。羨望と嫉妬心。いろんな意味で私たちはダメだなぁ。


 仲良くしたいのに、その未来が遠のいていく。

 自分の不器用さを悲しむ淡雪だった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る