第101話:母親として、子供を守りたかった
それは少し前のあの夜にまで話はさかのぼる。
撫子が全ての謎を明らかにするために母の優子と対決した夜のこと。
「お母様。私があげた誕生プレゼント、“ゆるキャラのお風呂セット”は使ってもらえているでしょうか? えぇ、そうです。こんなにも素敵な、相手を想うプレゼントを残念ながら私は差し上げた覚えがないんですよ」
誕生石のペリドットの装飾が可愛らしい、クローバーのアクセサリー。
「――こんな『貴方に幸福を』と願いを込めたクローバーの飾りなんて」
「そ、それは……」
信じられない、と言った顔。
ここまでたどり着くのに時間もかかった。
「これをどなたからもらったのか、なぜそれを隠すような嘘をついたのか。ぜひとも教えてもらいたいものです、お母様。貴方の嘘を今夜、暴きます」
それが兄妹の秘密に繋がるはず。
黙り込んでしまう優子に撫子は詰め寄る。
「沈黙ですか? あいにくと黙秘権は使用してもらうと困りますよ」
「……言い逃れても、私を追い込める証拠は他にもあるんでしょう」
「ですね。言い逃れをできない程度に」
「はぁ。怖い子だわ」
「聞きたいことはいくつかあります。雅姉さんは直接、お母様に聞いたらいいと言われました。だから、聞かせてもらいますよ」
両親は撫子達に隠し事をしている。
それがどんな意味を持っているのか、知りたいのは“真実”だ。
彼女は小さくため息をついて降参のポーズをして見せた。
「……私の負けね。追及されて説明できないのは分かっていても、これを手元に置いておいた私の負け。大切なプレゼントだから、身につけておきたかったのよ」
愛おしそうにクローバーのアクセサリーを撫でる。
「紅茶でも淹れましょうか。長い夜になりそうです」
こうもあっさりと、優子が敗北を認めて話してくれるとは思わなかった。
それゆえに、少しだけ肩すかしもくらった気分だ。
ふたりで紅茶を飲みながら、過去の紐を解いていく。
「どこから話せばいいのかしら」
「初めからですね。このアルバムの話からしてもらえますか?」
そっと撫子が差し出したのは古いアルバムだ。
「これは……はぁ、なるほど。もうこれも見ていたんだ」
肩をすくめて「降参します」と嘆く。
「撫子は将来、弁護士になれると思う。彰人さんにそっくりだもの」
「……お父様譲りの性格だと自分でも思います」
大和彰人|(やまと あきと)、撫子の父であり、元弁護士の政治家だ。
政治家で忙しい方だから家に帰ってくることはあまりない。
「そうね。なら、ここから始めましょうか」
古いアルバムを開いていくと、撫子がショックを受けたページが開かれる。
「これです。私はこれを見て、理解ができなくなりました」
「……撫子の赤ちゃんの頃の写真は今見ても可愛いわ」
「ですが、私を抱いている人がお母様ではありません」
そう、このアルバムには優子自身が一枚も写っていない。
幼い撫子を抱くのは見知らぬ女性と父の彰人だけ。
そして、そこには兄である猛の姿もなかった。
「私はお母様とお父様の間に生まれた子ではありませんね?」
「そうよ。雅も私の実子ではないわ。実の子のように思い育ててきたけどね」
「お母様の愛情を疑ってはいませんよ。大切な家族です。私はただ真実を知りたいだけですから、そこの心配はしなくても大丈夫です」
「……その言葉に救われるわ」
愛情を疑い、関係を引き裂くつもりはないのだけは信じて欲しい。
――私は真実だけが知りたい。
重い口を開いて、優子は過去を話してくれた。
「この家の庭には百合の花が多いでしょう。それは撫子の本当のお母さんが好きだったの。貴方の本当のお母さんの名前は大和華恋|(やまと かれん)と言うの」
「華恋。それが私のお母様の名前ですか」
「彰人さんと華恋さん、そして私の兄は仲が良くて幼馴染のようなものだったの。私も小さな頃は彼らに妹同然としてよく遊んでもらっていたわ」
懐かしそうに彼女は語る。
実の母と幼馴染、そんな関係だったのは思いもしていなかった。
「私が高校に入る前に二人は結婚して、雅が生まれたわ。同じ頃、私にも縁談が来てね。私の家も古い家だったから家同士のお見合いなんて自然の流れだった」
「……それでは、お母様が結婚した相手は?」
紅茶を一口飲んで、母はその名前を口にする。
「――須藤辰夫|(すどう たつお)。そう。最初、私は須藤家に嫁いだの」
「では、兄さんは私と血の繋がりのない兄という事ですか」
「えぇ。あの子は私と辰夫さんの子供だもの。だから、ふたりは義理の兄妹ね」
あれほど望んでいた彼と血の繋がりのない兄妹だと判明したのに。
撫子は嬉しさよりも、ショックの方が大きかった。
その理由はただひとつ。
「……須藤淡雪」
撫子がその名を口にすると、彼女は「私の娘よ」とそれを認めた。
同じ学校に通っているクラスメイト同士。
「淡雪と猛は双子の兄妹なの。出産が少し難しくて、淡雪の方は日付をまたいでしまったから、誕生日は違うんだけどね」
双子ならば、同じ生年月日にできるが、あえて、そうしなかったらしい。
「須藤先輩と兄さんが双子……想定はしていましたが驚きですよ」
思えば、あのふたりは容姿こそ男女の差はあるけども、よく似ている。
雰囲気すらも似ていて、最初は戸惑ったのを思い出す。
「それに、須藤先輩の髪色はお母様と同じ茶色ですね」
「えぇ。あの子はよく私に似ていると思うわ」
それで納得した。
以前からずっとどこかで彼女に会った気がした理由。
簡単な話だ、見た目が母である優子にそっくりだったからだ。
「幼い頃の須藤先輩の写真が家にありましたね」
「たまに須藤家から送ってきてくれるのよ。それも見つけられていたんだ?」
「今、言われて分かりました。誰かに似ていると思い、考えても分からなかったんです。そうですね、お母様によく似ていましたよ」
何で、もっと早く気付けなかったんだろう。
言われて気づけば、ふたりは本当によく似ているというのに。
「誰かに言われるまで気づかないことって、意外とあるものです」
空になった紅茶のカップをテーブルに置く。
「だけど、生まれた家が悪かったのよ」
「須藤家に問題が?」
「知ってるかしら。須藤家は男尊女卑ではなく、女尊男卑がひどい独特のルールがある家なの。そして、私はすぐに猛から引き離されたわ」
「兄さんが? 彼はどうしたんですか?」
「私もあの頃はどう育てられたのか、はっきりと知らないの。母親なのにね」
自嘲するように彼女は視線を背ける。
「あの子は私の手を離れて、ずっと屋敷の離れで育てられていた。ずっと私は淡雪だけをこの手で育てていたの。猛はこの手を離してしまった」
想像以上に重い話だった。
猛の境遇は撫子の想像を超えていた。
「そんなことがあるんですか? 子供に罪はないでしょう」
「ある日、須藤家の方針で、淡雪は次期当主に。猛はいつか養子に出されると話を聞いて、私はひどく困惑していたわ」
「子供に容赦もない。ひどすぎます」
「私も母親なのに、あの子には何もしてあげられなくて」
猛は生まれてから母親を知らずに育ってきた。
――ひどい、あまりにもひどい。家族はすぐ近くにいたはずなのに……。
無慈悲すぎて憤りを撫子ですらも覚えるのだから、母も辛かったはずだ。
「男の子であるということ。たったそれだけで、猛には自由を奪われていたの。私は猛を救いたかった。母親として、子供を守りたかった」
「でも、できなかったんですね?」
静かにうなずいて「私にはその力がなかったもの」と唇をかみしめる。
悩み苦しんだ末の答えが離婚だったらしい。
猛が2歳を過ぎた頃に決断して、ふたりで須藤家を出た。
「辰夫さんも苦渋の決断を受け入れてくれたわ。あの人も立場的に辛かったはず」
「お母様は離婚して、兄さんを引き取ったんですね」
「えぇ。正直に言って、ここまでひどいとは思わなかったの。でも、淡雪は須藤家の跡取りとして残さなくてはいけなかったわ」
「……そして、2人の兄妹の絆は引き裂かれたわけですか」
家の事情なんてもので、引き離されたのはひどすぎる話だ。
こうして話すのでさえ、優子は苦しそうだ。
当時は想像を絶する心の痛みを覚えたはずだ。
「けれど、淡雪は私と離れるのを嫌がってね。どうしても、という事で、月に一度は会う機会を須藤家も認めてくれたの。それは今でも続いているわ」
「なるほど。須藤先輩のマザコンの理由も納得できました」
時折、幼い頃から優子が誰かと会うためにどこかに出かけているのは知っていた。
それは淡雪との面会だったのだ。
「クローバーのアクセサリーは……?」
「去年の誕生日に淡雪が私にくれたものよ。お母さんによく似合うだろうって」
大切なものだから、身に着けていた。
それが追及され困るものだと知っていながら……。
話を聞いて、撫子は悪いことをしたなと反省していた。
――何が決戦だ、何が秘密を暴くだ。私は最低だわ。
自己嫌悪に襲われて、自分の行動を恥じるしかなかった。
母の子供を想う気持ちや覚悟に比べれば、その浅はかな行動には嫌悪しかない。
「……須藤先輩は兄さんと兄妹であることを知っているんですよね?」
だけど、意外なことに彼女は首を横に振る。
「どうかしら?」
「え?」
「気づいていないかもしれない。須藤家は男子の誕生自体を隠ぺいして、撫子も知っての通り写真もごく僅かしかないの。私もあの子には教えていない」
「ま、待ってください。さすがに兄妹であることを隠すのは無理があるのでは?」
「淡雪と猛は確かに双子の兄妹よ。ただし、ふたりが一緒だったのは生まれた時だけ。家で育てられた頃には対面することは一切なかったもの」
深い愛情を持って育てられた淡雪と区別するように。
猛はひとりぼっちで離れに閉じ込められていた。
優子も含めて、彼との接触は固く禁じていたそうだ。
「猛の世話はずっとお手伝いの子がしてくれていたの。私は母親らしいことを須藤家にいる間は一度もしてあげることができなかった」
思い返すだけで優子の目に涙が光る。
本当に辛い立場だったんだろう。
「離婚して二人で暮らしても、猛は私の事を母だと認識してくれたわ。あれだけ離れていたのに、ちゃんと私のことを覚えてくれていたのが嬉しかった」
愛のためには全てを敵に回す事ができる、それが本当の愛だ。
――お母様も強い愛を持って兄さんを守っていた。
その愛に、撫子は深い感銘を受けたのだった。
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