第98話:まだこの事件は終わっていないんです



 自らがこの騒動を起こした張本人である。

 椎名眞子は開き直り、子供っぽさの残るいつもの口調で、


「私が目撃したのは大和さんと撫子さんがキスをしていた光景。これは事実なんだよ?事実をありのまま、誰かに話す事の何が悪いの?」

「その後、貴方は関係のない噂も流しましたよね? 悪意を持って、私達を追い詰めたことはどう説明しますか?」

「ちょっと悪ノリして、後押しをしただけ。それが非難されるほどのこと? みんなだってやってるでしょ。だから、こんなにいろんな噂が広まったんだもん」


 何の気もないただの悪口でも、人のとらえ方ひとつで悪意は増大する。


「貴方達は間違えている。それを正そうとするのは当然のこと。私は何も悪いことを言ってるとは思っていない。……違う? 違わないよね?」

「それが本音ですか?」

「本音だけど」

「ふざけないでください。貴方は単純に兄さんが好きなだけですよ」


 きっと威嚇するような撫子の視線。

 彼女は驚きながら真っ直ぐに受け止める。


「……兄妹の恋愛を批判する、貴方の行為は確かに世間的には当然とも思えます。ですが、貴方の本音は違うでしょう? ただショックだったんですよ」

「私が何にショックを受けたって……」

「貴方は兄さんが好きだった、片思いの相手だと言うのは周知の事実です。周囲にはこういってたそうですね。『私は片思いのままでもいい、見ているだけで幸せだ』と」

 

 眞子が猛に好意を向けてくれたのには気づいていた。

 その純粋な好意は、鈍感で乙女心も分からない彼でも気づけるほどだった。


「見てるだけで幸せ? 人間はそんなに都合よくはできていませんよ。人は欲望に支配されて生きています。愛しているのなら、愛されたい。それが人です」

「私はそうじゃない。そういう人もいるでしょ」

「いいえ、貴方は諦めているように見えて、諦めきれていないんです」

「勝手に決めつけないで」

「いいえ。本当に想いを諦めて生きていれば、こんな真似はしませんよ。未練と嫉妬で実に醜い感情を持っています」


 撫子の言葉は感情的ではなく、静かな物言いで責める。

 それゆえに、言葉の重さが確実に突き刺さっていく。

 

「貴方は私と兄さんの幸せを妬んでいます。悔しい、どうして? 兄妹のはずなのに。と、嫉妬したはずです。だから、許せなかったんでしょう?」


 あの日、彼女が見たのは自分の恋心を裏切るものだった。

 好意を抱いてた男が妹とキスをしてたら誰だって許せない気持ちにはなる。

 

「見ているだけでよかった恋は、そこで終わったんです。幸せな彼らが許せない、どうしてその相手が自分ではないのか? そう嫉妬した結果がこれですよ」

「……ち、違う、違うっ! 私は、そんな気持ちなんて持ってない!」


 声を荒げて否定する彼女に撫子は言葉を続ける。

 

「貴方の気持ち、私、少しだけ理解できますよ。私も嫉妬しやすい性格ですから。ですが、貴方と私は大きく違う所があります。何か分かりますか?」

「……分からない。何だっていうの?」

「愛情の重さです。私は見ているだけの恋じゃ満足できません。欲しいと思ったものは手に入れたいと努力し、手に入れます。愛した分だけ、愛されたいと思います」


 瞳の中に怒りを見せて、辛辣な言葉を投げつける。


「貴方は恋を諦めて何もしてこなかった、私とは違います。私はこの10年間、兄さんの事だけを考えて愛してきました。何度も告白して、何度もフラれてきました」 


それでも、撫子は諦めなかった。


「告白すらせず、諦めたフリをして現実から逃げ続けてきた貴方とは違いますっ!」


 その想いの強さが込められた言葉が眞子の心を突き刺す。

 

「……わ、私だって大和さんが好きだった」 

「だから!?」

「――ひっっ!?」

「好きだからなんですか? 貴方がしたことは、悔しいからと相手の幸せを壊そうとしただけです。兄さんが今回の事でどれだけ苦悩したのか知っていますか?」


 そっと眞子は猛の方へ顔を向ける。


「優しい彼の心を傷つけたことを自覚してください。貴方はひどいことをしたんです。好きだからと言う理由で許される事ではありません」

「……大和さん」

「兄さんに対して、悩み苦しみ、辛い思いをさせた事、私は決して許しません。好きな人を傷つけた、それが事実です。貴方は自ら、自分の恋心を終わらせたんですよ」


 ずっと好きだった。

 男の子を傷つけようとしてしまった。

 撫子の言葉は重い。

 自らの過ちに気づき、やがて眞子の瞳には涙が溢れていた。


「うぅっ、ぁあ……わたし、は……」

「私は兄妹だからって理由で諦めませんよ。初恋ならばなおさらです。諦めても良い恋なら最初からしていません。貴方だって本当はそうだったはずでしょう?」


 眞子だって本当は素直で優しい子だ。

 人を傷つける事の痛みを知っている、だから――。


「うぁっ、ぐすっ。ごめんなさい、大和さん……ひどい真似して、ごめんなさい」


 謝罪の言葉と共に大粒の涙をこぼしながら泣き始めた。

 その涙を見て「もっと早く自分に素直になっていれば」と撫子は呟く。

 少しは同情もするし、複雑な心境にもなる。


「椎名先輩。好きな想いを心の内に秘めたままでは誰も幸せになんてなれません。胸に抱えた想いは告白しなければ、諦めることさえできないんですよ」


 眞子の嗚咽とすすり泣く声が響く教室内、誰も何も言わずに彼女を見守る。

 純粋な恋の暴走が招いた騒動がここで静かに終わりを迎えたのだ。

 やがて、彼女は自らの罪を告白する。


「……ぐすっ。はじめはただの悪戯半分だったの」


 すっかりと意気消沈した彼女は涙ながらに想いを語る。


「ずっと前から気になった大和さんが妹さんとキスしてる光景を見て、胸の中がもやもやが消えなくて、悔しさとか変な気持ちがわいてきて……」

「魔が差したというわけですか? それでこんな噂を流したんですね」


 撫子の問いに椎名さんは小さく頷く。


「クラスメイトの子に相談したら、私が止めなきゃって気持ちにさせられて」

「……クラスメイト、ですか」


 ふいに撫子は思案するそぶりを見せた。


「噂でも流せばきっと貴方達の抑止力になるんじゃないか。そう思った」

「なるほど。でも、思うようにはいかなかった」

「最初はただの噂で終わると思ってた。こんなに大きな騒動になるとは思わなくて、ちょっと怖くなった。だから……早く終わらせなくちゃって焦って」

「それで脅迫してくる時点で大きな間違いですけど」

「わ、私は大和さんには兄妹の恋は過ちだって気づいてもらいたかっただけ」


 何と言葉をかけて良いのか分からずにいた。

 慰めるのもおかしいと思うし、かといってこれ以上は責める気もなかった。


「……椎名さん」


 撫子にフルボッコにされた後に猛が追い打ちをかけるのも忍びない。


――心の底から悪気があったわけじゃないんだよな。


 そもそもは、猛が一目を気にせずキスしたのも悪いわけで。

 負い目があるがゆえに、彼女に何も言えず。

 ただ涙をこぼす彼女の肩を軽くたたいた。


「ごめんなさい……うぅっ……」


 反省してくれているのなら、もう何も言うべきではない。


「……甘いんですね。どんな形でも行為を向けてくれた相手を責められませんか」

「ごめんな」

「でも、兄さんのそういう甘さ、嫌いじゃないですよ」


 心を見透かした撫子が小声で囁く。


「とにかく、これで終わりというわけでもありません。噂が流れてしまっている以上、私達の恋愛は白日の下に晒されたワケですから」


 そして、それを皆が認めてくれるとも思えない。

 “兄妹が恋愛をしている”。

 この事実はやはり、到底、受け止められるものでもないだろう。

 

「世界は敵に回ったまま、か」


 状況を変えるだけの事にはならない。

 クラスメイト達も何も言えずに黙り込んでいる。

 嗚咽を漏らす眞子に撫子は声をかけた。


「椎名先輩。貴方は自らの行為を後悔しても、それをなかったことにはできません」

「……ひっく、ぁあっ、本当にごめんなさい」

「ですが、私達にはそれをひっくり返せるだけの切り札があります」

「切り札?」


 問いに彼女は応えてくれない。


「……椎名先輩、少し耳を貸してください」


 椎名さんの傍に近づいて、その耳元にある言葉を呟く。


「――っ」


 撫子は何かを彼女に伝える。


「……え? う、嘘? 本当に?」


 驚いた顔をする彼女は涙でぬれた顔をこちらに見上げる。

 

――なんだ、何を言われたんだ?


 むしろ、彼もそれが聞きたい。

 眞子は目をぱちくりとさせて、驚きを隠せないでいる。


「そんなことって……?」

「これは本当の事です。これが事実です。椎名先輩、悔やんでいるのなら、反省する気持ちがあるのなら、今度はこの事実を噂として流してください」

「で、でも、私の言葉なんか……」

「貴方は信頼されていました。このクラス以外にも噂を広めるほどです。その発信力を今度は正しいものにつかってもらえますよね?」

「……それだけが私にできる、唯一の償いだとしたら」


 撫子の言葉に頷く彼女。

 何かしらの秘策があるのだろうか。


「あとひとつだけ。椎名先輩がこんな行為をした、きっかけが気になりますね」

「きっかけ?」

「そうですよ、兄さん。いくら椎名先輩が私達のキスを目撃しても、普通ならばこんな真似をする人ではないでしょう。おかしいと思いません?」

「いや、それは思ったけど……?」


 何か他にきっかけがあったということ。


「誰かが嫉妬した気持ちに火をつけて、こうなったんです」

「……つまり、えっと、どういうこと?」

「彼女はあくまでも“実行犯”にすぎないと言うことですよ」

「実行犯?」

「はい。“主犯”は別にいます。黒幕がいるんです」


 静かに撫子は「まだ事件は終わっていません」と明言するのだった。

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