第83話:それは揺るぎない事実よ

 

 真実にたどり着いた。

 それは撫子の想定外のもので、ひどく動揺している。


「まずはケーキでも食べよっか」


 リビングのテーブルの上にはケーキが並べられている。

 人気店の箱をちらっとみて「あのお店の?」と尋ねた。


「並んで買ってきましたぁ。それで、撫子を探してたら、まさかの場所にいてびっくりよ。お話は紅茶でも飲みながらしましょう」

「……姉さんは落ち着いてますね」

「私? だって、私が隠したかった秘密じゃないもの。秘密を知られて困るのは私じゃない。隠しておきたかったのはお母さんなだけ」


 余裕のある物言いに、「姉さんらしいですね」と呟いた。

 雅は常に穏やかな性格だ。

 話していると人を和ませる雰囲気がある。


「お母さんの言葉で言うのなら『真実』じゃなくて、ただの『過去』だもの」

「真実ではなく、過去?」

「あえて秘密にしておく必要があったのかすらも、私は当事者じゃないから分からない。でもね、これを秘密にしておくのは大和家が決めたルールみたいなものだから」

「つまり、親族ぐるみでついた“嘘”ってことですか?」


 彼女は紅茶をカップに注ぎ込みながら「嘘とは違うかな?」とやんわりと否定。


「貴方達に話さなかっただけで、これは嘘ではないもの。どうぞ」


 差し出された紅茶も美味しそうなケーキ。

 のんびりと食べている場合ではないが、姉に進められて断れず。


「まずは落ち着いて。聞きたいことは話してあげるわ」

「お願いします」

「今の撫子に必要なのは落ち着きを取り戻すことよ」

 

 頭が混乱して、考えがまとまらないのが現状だった。

 ケーキをフォークで切り分けて口にする。

 甘く広がる味が興奮気味に動揺した気持ちを少しずつ落ち着かせていく。


「美味しいでしょ? 新作のケーキだって。猛の分も買ってあるけど、留守みたいだし。そうだ、こっちは半分こにして食べちゃおうか」

「いいんでしょうか?」

「いいの。食べちゃえ、食べちゃえ」


 いつも通りの感じで、すごく余裕を感じる。


「……分かりません。姉さんのその余裕は何ですか?」

「言ったでしょ。私は当事者じゃないから」

「でも、このアルバムの真実を知っていましたよね?」

「これがバレた所で私に恐れるものは何もない。ただ、姉妹の中で年長者ってだけで知っていた事実があるだけだもの。はい、半分こ。こっちも美味しそう」


 そう言ってお皿にもう半分のケーキを乗せる。


「ほら、怖い顔をしない。ケーキを食べて、ティータイムを楽しみましょう」

「とてもその余裕が私にはないんですが」

「なら、無理にでも余裕を作りなさい。貴方の知りたがっていた真実は、私には関係なくても“貴方達”にはとても影響のあることだから」


 真顔でそう告げる彼女。

 

――時々、姉さんのその動じない心の余裕が怖くなる。


 常に余裕を持つということ。

 心に余裕もなく、刺々しい自分とは正反対だ。


「真実を知りたくて、あそこまで撫子はたどり着いたんでしょう」

「はい。隠されていることがあるのなら、それを知りたいと思いました」

「そして、見つけた。だったら、その真実を受け止める勇気も持たないと」


 真実を受け止める勇気。


「何の覚悟もないなら、これは全部見なかったことにする?」

「いえ、そ、それは……」

「だったら、覚悟を持つしかないわ。覚悟を決めないと、触れて良い事でもない」


 その言葉が心に重くのしかかる。

 

――知りたかったのは私と兄さんが幸せになるための“都合のいい真実”だ。


 都合の悪い“現実”ならみたくはない。

 黙々とケーキを食べ続けて、心を何とか落ち着かせた。


「……はい、ごちそうさま。美味しかったねー」

「美味しいケーキでした。淹れてくれた紅茶も美味しかったです」

「ありがと。それじゃ、話をしましょうか」


 お皿を片付けて、古いアルバムを箱から取り出す。

 数冊のアルバム、これが隠され続けたもの。

 『雅』『撫子』『猛』と名前をつけられて、整理されていた。


「これの中身は全部見た?」

「いいえ、すべてではありません」

「見てないなら、一通り見てみなさい。私も見ようっと」


 自分の赤ちゃんの写真なんて初めてみる。

 撫子はページをめくりながら、


「私にもこんな無垢な時代があったんですね」

「誰にでもあるわよ。これなんて超かわいい。この頃から撫子は美少女オーラが出てるもの。そして、ちゃんと成長しても美少女になりました」

「この頃はきっと純粋無垢だったんでしょう」

「今は違うの?」

「自分で言うのも変ですが、ひねくれてますよ。私、純粋には育ってません」

 

 生まれたての頃はまだ無垢な赤ん坊の姿をしている。

 写真の中で見る過去と、成長した自分の違い。


「育ちの良さはともかく、撫子は別にひねくれてないでしょ」

「どうでしょう」

「ただ、極端に物事を“分けちゃう子”になっただけ。捨てるもの、残しておくもの。無駄なくダラダラと置いておかない。取捨選択のできる子なだけよ」

「それは褒められてます?」

「褒めてるよ。私なんて、いつかいるかもって、無駄にものを置いておきたくなるタイプ。取捨選択が苦手だもの」


 物も思い出も、人間関係ですらも――。

 撫子は、きっぱりと必要と不要を分けてきた。


「……見れば見るほど、理解ができないんです」

「こっちのアルバムを見れば分かる。ホント、隠すほどの事でもないのに」

「姉さんがそう思うだけでしょう」


 これは十分に隠しておくだけの代物だった。

 

――少なくとも、私に与えた衝撃は過去最大級のものだったから。

 

 まったくもって理解できない。


「猛のアルバムの方を見た感想はどう?」

「……驚きですよ。兄さんの赤ちゃんの写真がたった3枚しかないことに」

「驚くのはそれが全部だって事実の方よ。本当にびっくり」


 アルバムに収められている、彼の写真は3枚。

 他に収められている写真には“彼”が写っていない。

 撫子の方には山のように写真が飾られているというのに。

 この差はなんなのか。


「残念なことにあの子の写真は生まれてから3歳になるまで、たった3枚しか撮られていないらしいの。これが真実のひとつよ」


 それは何を意味しているのか。


「……撫子。私は何でも教えてあげるつもりだったけど、この写真を見て思ったの」

「何をですか?」

「やっぱり、私の口から言うのはやめるわ。ごめんね」


 寂しそうな顔をする雅は「私が言う事じゃない」と謝った。


「その代わり、聞くべき人に聞けばいいと思う。言うべき人が言うべき問題よ」


 きゅっと唇をかみしめて、その名を口にする。


「お母様に直接聞くしかない――という事ですね。直接対決ですか」

「知りたいこと。知らなきゃいけないこと。全部、尋ねてみればいい」

「教えてくれますか? はぐらかされて終わりではありませんか?」

「そうさせないのが貴方でしょ?」


 彼女にこれを突きつければ、否が応でも真実を話さなくてはいけなくなる。

 望んでいた通りに追い込めるだけの材料にはなる。


「……えぇ。切り札を手にしたことで、イニシアチブはこちらのものです」

「なら、徹底的に思いをぶつけてごらん。あの人は受け止めてくれるわ」

「逃げません?」

「今回ばかりは逃げないと思う。だって、それは自分が逃げずに向き合ってきたことでもあるから。だからこそ、撫子も相当の覚悟をしておいて」


 実際にアルバムを見て、真実を知ることに躊躇もあった。

 隠された真実を知る……その覚悟をちゃんと持たないといけない。


「私の方からお母さんに連絡しておく。運が良ければ今日にも来てくれるはず」

「お願いします。姉さんは私が真実を知ることを恐れていないと言いましたよね」


 その言葉の意味、私は次の彼女の言葉で思い知る。


「えぇ、そうね。この事実だけは貴方に伝えておくわ」


 変えようもない事実、それは――。


「撫子は私と同じ両親から生まれた本当の“姉妹”。それは揺るぎない事実よ」

「姉さん」

「これは嘘じゃない。事実だからね。うふふ」

 

 彼女はそっと撫子を抱きしめて、そう言ってくれたんだ。

 

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