第77話:猛クンのそういう所が私は好き

 

「こんな風に猛クンとデートをするのは久しぶりね」

「たまにはお友達を遊びにくらい誘うさ」

「ふふっ。それは嬉しいわ」

 

 結衣のお願いごと。

 そのために、淡雪を説得しようと、猛は彼女に協力することになった。

 本題に入る前に場を和ませるつもりで、彼女を遊びに誘ったのだ。

 淡雪お気に入りのパンケーキ専門店。

 美味しそうなパンケーキを前にして、


「いつも、ここのパンケーキを食べるの」

「お気に入りのお店なんだ」

「えぇ。味もいいし、雰囲気も素敵でしょ」

「前に結衣ちゃんが言ってた。お姉ちゃんは和風のお菓子よりも洋風のお菓子が好きって話。ホントだったんだな」

「家ではお祖母さまがいい顔をしなくてね。その反動でつい」

 

 溶けるバター、たっぷりのはちみつの香り。

 焼き立ての香ばしいパンケーキの匂いが食欲をそそる。

 添えられた生クリームとの相性は抜群で、かなり美味しい。

 ……ただし、お値段だけがそれ相当な代物だ。


「こういうお店には撫子さんとよく来る?」

「一度だけ来たかな。パンケーキが流行ってるのは知ってたけど、すごい人気だ」

「待つのに時間がかかるけども、それだけ美味しいお店なの」


 ホットケーキとパンケーキの違いは色々と諸説ある。


「子供の頃によく食べた薄いホットケーキと違い、厚みのあるパンケーキ。俺のイメージ的にはそんな感じだな。淡雪さんはホットケーキは好き?」

「そうね。ホットケーキの方なら昔、よく作ったわ。結衣が作ってとねだるから」

「結衣ちゃんが好きなんだ?」

「うちの場合はお茶菓子といえば、和菓子が多かったから。あの子はそれに飽きて、お友達の家で食べたホットケーキが食べたいって我がままをよく言ってたのよ」


 そういう所が実に結衣らしい。

 その我が侭に付き合ってあげるのも、姉の優しさだ。


「それで、私が良く作ってあげたの。……私も和菓子には飽き気味だったもの」


 口元に手を当てて、微笑しながら、


「結衣を言い訳にして、私もホットケーキを食べて喜んでたりしたわ」

「淡雪さんにとっても思い出の味なのか」

「忘れられなくてね」

「結衣ちゃんが我がままを言っても、家族は許してあげるんだ?」

「甘えたがりなのは妹の特権なんでしょう。お祖母様も許可をしてくれたわ」

「へぇ、そうなんだ。淡雪さんは我がままとか言わなかった?」

「……私の我がままはひとつだけよ。それを叶えてもらえたから、言わないわ」


 ナイフでパンケーキを切りながら彼女は囁く。


「……たったひとつだけ?」

「そうよ。ひとつだけ。私が我が儘らしい我が儘を言ったのはアレだけね」


 淡雪の我がまま。


――確か実母の方のお母さんと定期的に会えるようにしてもらえたって話だな。


 離婚した母親との面会。

 それさえ認めてもらえるのなら、どんなことも我慢できる。


「結衣みたいに私まで我が儘し放題なら、とんでもない姉妹になってたでしょ」


 確かに、いわゆるお金持ちのお嬢様っぽく高飛車系なら猛も嫌だ。

 立場を振りかざすこともなく、我が儘を言うわけでもない。

 自分を律することのできる彼女の生き方は憧れる。


「お姉ちゃんは大変だな」

「本当に、あの子には困らされてばかり。けれど……」

「けれど?」

「ああいう所を含めて、結衣だと思っているわ。自分のやりたいことをやりたいようにしている。自由に生きているあの子には勇気がある」


 彼女は「私にはその勇気がないから」と寂しそうに呟く。

 空を飛ぶ鳥を見上げて羨ましいと思ったことはないだろうか。

 猛にはある。


――自由に羽を広げて空を飛び回れるあんな鳥のようになりたい、と。


 だけど、自由というのは良い事ばかりじゃない。

 自分の行動の責任がすべて、己に伴う。

 自己責任が自由の代償と言える。

 彼女はそれを体現している。


「私は祖母の言う通りに、両親の望むように生きてきたつもり」

「須藤家のお嬢様の使命みたいなものだな」

「えぇ。そういう生き方をしてると、自由が怖いと思えるのよ」

 

 自由が怖い、と彼女は怯えた。


「あの子はダンスが趣味でしょ。他の習い事なんて無視。遊びたいように遊んで、やりたいようにやる。それが許される妹の立場を最大限に利用してね」

「……淡雪さんは何か趣味とかないの?」

「夢中になってることはほとんどないわ。華道や茶道の稽古は趣味ではなく、仕事みたいな使命感のあるようなものだから。しなくてはいけないという当たり前もの」

 

 苦笑気味にそう言うと、紅茶のカップに口をつけて、


「当たり前のことを当たり前のようにし続ける人生って面白みはないものよ」

「自分で決められることもない?」

「そうね。刺激的な事もない。だからかもしれない。私は……」


 本当に小さな声で、淡雪は猛に言った。


「私はあの子の事が羨ましいのよ」

 まるで羨望のようなものを込めて言う。


「結衣のように、私はなれないから」


 家族の敷いたレールの上を歩く人生と、自由に生きてきた人生。

 

――淡雪さんと結衣ちゃんは実に対称的な生き方をしている姉妹と言える。


 羨ましいと思う淡雪も、同じような生き方をしたかったんだろうか?


「ねぇ、淡雪さん。心のままに、自分の望むままに生きてみたらどう?」

「え?」

「淡雪さんは甘えるのが下手な女の子だ。小さな頃から人に甘えたりしてこなかったからだろうね。だけど、淡雪さんは人に甘えるのって好きなんだよ」


 彼女と接していて一番感じるのはそのことだ。

 

――結衣ちゃんや撫子みたいに、甘えるのが得意な女の子とは違う。


 彼女達は末っ子特有の無自覚な甘え体質がある。

 けれども、彼女も人に甘える行為は好きなのだ。


「もっと他の人を頼ったりしてもいいと思うよ」

「人に甘えるのはよくないことだわ」

「いや、他人に甘える事は悪い事じゃないんだ」

「どういう意味?」

「問題は人に甘える、その甘え方だと思うから」


 はっきり言って、淡雪には人に甘える行為にトラウマ的なものがある。

 彼女は真面目だし、責任感もある、しっかりとした性格だ。

 それゆえに、意地を張ってでも自分ひとりで何とかしてしまおうとする傾向がある。

 甘える行為が悪い事で、相手に迷惑で邪魔だと思い込んでしまっている。

 

「人に甘える事を怖がってない?」

「……否定はしないわ」

「大丈夫だよ。淡雪さんはちゃんとした自分を持ってる女の子だ。他人に甘えても、ダメになることなんてない」

「……猛クン」


 猛は安心させるように、彼女の手に自分の手を重ねて、


「甘える事がダメだって決めつけないで。自分に甘えてもいいんだ」

甘えすぎる事はダメでも、楽しく生きるためには、自分や他人に甘えたらいい。

「俺も似たようなことで悩んで事があって。その時に姉ちゃんから言われたんだ。自分の心のままに行動してみたらいいって。今の自分を変えたいならさ」


 猛の場合は撫子に対する思いだったわけだが。


――けれど、姉ちゃんに言われたあの言葉が自分を突き動かした。


 姉の後押しが決め手となり、自分は一歩を踏み出した。

 自分の想いに、自分の心に素直になろうと決められた。


「淡雪さんはもっと甘えるべきだ。そこから始めたらきっと変われるよ」


 猛や彼女のような性格の子にはそれは少し難しい。

 

――だからこそ、最初の一歩は他人からの後押しが必要なんだ。


 甘えるという行為を当たり前だと思ってるタイプの子と違う。

 ちゃんと線引きをすることができるからこそ。


「甘える事が迷惑だと思わないで。もっと素直に生きたら、楽しく生きられる」

 

 淡雪には、少しずつでいいから変わっていって欲しい。


「……猛クンのそういう所が私は好き」


 その言葉を受け止めた彼女はほんのりと顔を赤らめて囁く。


「相手を信頼しているからこそ、心を委ねる。甘え方の下手な私を、甘やかせてくれる貴方だから。……貴方の言葉は特別ね。心が楽になれる自分がいるもの」


 本音で向き合う、時にはこんな時間があってもいい。

 

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