第28話:愛する人にだけは嘘はつきたくないです

 

 その夜は二人一緒に布団に入る。

 仲良く並んで眠るのは彼女のお気に入りだ。

 猛と淡雪の関係は撫子の想像以上に濃密な関係らしい。

 

――彼らが恋人ごっこで遊んでたなんて信じられない。


 仲の良い雰囲気は感じていたけども、そんな事情があったとは思いもせず。

 でも、気になる事もある。


――どうして“あの人”は、あんな“嘘”をついたのか。


 引っ掛かりを感じたのは彼の話のある一場面だ。

 嘘をついた、その理由は分からない。

 ただ、嘘をついたことに意味はあると考えられる。

 人は無意味には嘘をつかないものだから。


――興味があるから調べてみようかな。


 撫子は嘘を嫌うのは、ある信条からだ。

 人は平気で嘘をつくから、自らの心を汚すんだ、と――。


「兄さん、兄さん~。ふふっ、この温もりが最高ですよ」

「撫子? そろそろ、離れてくれないかな? ずっとこんな体勢なんだけども。さすがに撫子も疲れたりしてないか?」


 同じ布団の中で猛に抱きついて離さない。

 至福の時間を誰にも邪魔させない。

 腕枕を要望して、それを実行中である。


「疲れる? 意味が分かりません。兄さんに甘えて疲れるなんてどうしてそんな言葉が出てくるのかが意味不明ですね。兄さんは私と一緒にいて疲れますか?」

「……ごめん。抱きつかれ過ぎて疲れてきた」

「えぇ!? どうしてですかぁ。いいじゃないですか、今こそ兄妹の愛を深めあう時。それとも兄さんは自分の立場がまだ分かっていないんでしょうか」


 それはまさに、脅しともとれる一言。


「私の愛を拒絶するのなら許してあげませんよ?」

「そんなつもりはないけどさ。お願いだから、離れて。さすがに辛い」


 げんなりとした声に撫子は大きくため息をつく。


「仕方ありません。兄さんが辛そうな顔をするのは私の本意ではありません」

「ありがと」


 そっと手を離して彼を解放すると、どっと疲れた顔をする。

 地味に抱きつかれるという行為は体力を消耗する。


「……人に抱きしめられ続けるのがこんなに苦しいものだとは思わなかったよ」

「私の身体は柔らかいので苦しいと感じる事はなかったはずですが。私の胸は固くありませんよ? 触ってみます?」

「そっちの意味も込みでだよ!?」


 下手に意識させられ続けるのもつらい。

 その嘆きに撫子は「怒られてしまいました」と拗ねる。


「大体、兄さんが悪いんですよ? 過去回想の話を聞いていれば、私の事を妹扱い。ただの妹ですよ、そんなの嫌です。そこに恋人関係がないです」

「……いや、撫子は俺の妹じゃん」

「兄さんの話を聞いていれば、私の想いを否定する発言も少なからずありましたね」

「それは言葉が足りていなかったと反省しています」

「そもそも、兄さんはシスコンと呼ばれる事をひどく嫌います」


 彼は事あるごとにシスコンであることを否定していた。

 それに対して、たまりにたまったフラストレーションをぶつける。


「いい加減にご自分がシスコンであることを認めて下さい」

「いや、シスコン気味だとは思うけど、まだ自分をシスコンだと認めたくないっ」

「……では、シスコンじゃないかどうか検定してみましょう」

「どんな風に?」

「兄さん、簡単な質問をしますので答えて下さい」


 そっと顔を近づけて甘く囁いてみせた。


「私の事が好きですか?」

「……好きだよ。可愛い妹だと思ってる」

「私の事が大切ですか?」

「大切だよ。自慢の妹だし、こんなに素敵な妹は世界を探しても撫子だけだ」

「やっぱり、兄さんは素敵です。惚れなおしてしまいます」


人を褒める時の彼は自分の気持ちのままを伝えてくれる。

ただし、昔の彼はもっと甘く、撫子の心をときめかせてくれた。


「では、最後の質問です。兄さんはシスコンですよね?」

「違います」

「どうしてですか!? そこまで行けば十分に世間ではシスコンですよ?」

「……俺の最後の一線なんだよ。自覚はあっても人前でシスコンって認めてしまうと、もう戻れない世界に入り込んでしまう気がするんだ」


 猛を攻略するのは時間の問題。


――うふふ。兄さんの心は思いのほか、私に惹かれてるようですねぇ。

 

 自分の顔がにやけてしまうのを止められない。


「満足ですよ。兄さんは妹の私を愛してるんですね」

「だ、だからそれは……」


 慌てふためく彼だけども、もう遅い。

 

「いいんですよ、照れなくても。さぁ、思う存分に愛を確かめ合いましょう」

「ちょっと、また抱きつこうとしないで」

「兄さん、フォーエバーラブ♪」

「ふ、服を脱ごうとしない。ダメ、レッドカード!?」


 少しだけ騒いだので、落ち着き直した。


「……兄さんが私を愛してくれてるのは分かりました」

「愛は愛でも兄妹愛、家族愛ですよ。愛違いですよー」


 彼にとって必死の抵抗である。


「その愛はいつか真の愛へと変わるんです。そして、兄さんはいつしか私の胸に飛び込んでくる日がきます」

「ないんじゃないかな」

「いいえ、兄さんが手ずから育ててくれたこの胸は、兄さんのためだけにあるんですよ。いつだって、私は兄さんのためなら……」

「もうやめてくれ。そのネタ禁止。お願いだから過去をいじらないで」


 ぐったりと落ち込ませてしまった。

 

――兄さんはピュアな方なのでからかうのも加減が必要だ。


 嫌われてしまっては意味がないので自制はする。


「兄さんだけですよ。私が心の底から信じられるのは……」

「撫子ってあんまり人を信じないよなぁ。人見知りな方だし」

「……人は嘘をつく生き物ですから。嘘はいけません。世の中についていい嘘なんてありません。優しい嘘とか言いますけど、そんな言い訳は嫌いですね。どんな嘘も嘘には違いありません。人を騙すと言う行為は愚かで汚らわしい事です」


 心の底から嫌な気持ちをはきだす。

 この世界は嘘だらけ。

 綺麗な世界があるとは思っていないけども、本当にひどい世の中に失望している。


「撫子はひどく嘘を嫌うよね。どうしてかな」

「嘘をつかれて嬉しい人なんているんでしょうか?」

「いや、いないかもしれないけど。撫子の場合は過剰気味じゃないか?」

「確かに、私は嘘を嫌います。大嫌いです。どうして、と言われたら単純な理由です。嘘は見苦しく、自分勝手なものです」


 嘘を嫌うがゆえに、他人の嘘を見抜きやすい。

 そして、大抵の人はその嘘を見抜かれた事に、焦り、慌てて、また嘘をつく。

 積み重ねた嘘にどんな意味があるというのか、問いたい。


「嘘をつくシチュエーションと言えば、自己保身だっり、見栄だったり、隠し事だったり、何かしらの人には言いたくない事が背景にありますよね」

「確かに。嘘をつくのは逃げだからな」

「例えば、先生に怒られたくないから嘘で誤魔化す、同級生に見栄を張りたいから恋愛経験を捏造する、など、些細なことでも人は嘘をつくんです」


 嘘は現実逃避として最低の行為。


「嘘をつけば、時に痛い目を見る事もあります。ついた嘘のせいで人生を棒に振る、そんな事も珍しい話でありません」

「そうだね。言葉一つで失職するのもよくある話だ」


 社会的な問題で言えば、どこかの会社が大きな問題を起こして、隠ぺいしようとして失敗したが、ついた嘘の言い訳のせいで余計に信頼を失墜してしまう事もよくある。

 企業であっても、政治家であっても、失ってはいけないのは信頼だ。

 信頼がなくては世の中、うまくは回らない。


「誰だって、嘘はつきます。潔く嘘をつかない、私のようなタイプは稀でしょう。嘘の程度にもよりますが、全ての嘘が悪だとは言いません」

「嘘の質にもよる、と?」

「些細な嘘、人を守るための嘘もあるでしょう。嘘の意味も、重みも理解しています」

 

 彼女は「自分を守るための嘘だけは絶対に認めません」と断言する。

 改めて強い口調で言っておくと、彼は顔をひきつらせながら静かに頷いた。

 牽制しておくのは忘れてはいけない。


「どんな嘘でも、嘘をつくのは罪です。人を欺き、偽り、騙す。隠したい事があり、嘘をつく人は世の中にいくらでもいますけど、その嘘が発覚した結果、嘘をつかなかった時より罪が軽くなる人はほとんどいませんよね?」

「無様な末路を迎えるよね。大抵は恥ずかしい思いをしながら怒られる」

「みじめなだけですよ。嘘の悪い所はバレないように、と嘘を重ねてしまう所です。自分が傷つかないように、人は嘘を重ね続けていく。私はそう言う人の汚れたところが嫌いです。だから、人の事もあまり信じていません。両親でさえも」

「……せめて、育ててくれてる両親くらいは信じようよ」


 もちろん、撫子だって家族くらいは信じたい。


「でも、ダメですよ。あの人達は私に嘘をついています」

「どんな嘘を?」

「……愛で結ばれた私たちを、血の繋がりのある兄妹だと言う、嘘を。ひゃん!?」


 いきなり猛が撫子のおでこを軽くでこぴんした。


「それが嘘だろ!? 撫子、嘘をつくのは良くないぞ」

「嘘ではなく、本心でした。証拠はありませんがいつか見つけます」

「……証拠なんてないよ。あったら、本当に怖いよ。やめてくれ」


 呆れてしまう猛だが、撫子はある疑惑を抱いている。


――あの人達が嘘をついているのは本当のことだもの。


 彼女はある事実をひとつだけ知ってる。

 ……それは猛が知らない、両親の秘密だった。


「とにかく、嘘つきは嫌いなんですっ。どうしても、嘘をつくのなら、絶対にばれないように、嘘をつき続ける覚悟がないといけません」

「それができないから嘘ってバレるんだよね」

「とても辛いですよ。嘘をつき通すと言う覚悟は思っている以上に重いものです」

「……嘘をつき通すこと、か。確かにそうかもな」

「嘘をつかない、それは理想で、綺麗事なんでしょう。世の中の人はいつだって嘘をつく、それが生きていく上で仕方なく、必要なこともあるんでしょう」


 静かな口調で撫子は、はっきりと言い切る。


「だとしても……私は愛する人にだけは嘘はつきたくないです」


 嘘をついて誰かを騙したくないし、騙されたくもない。

 そっと頭を撫でながら「撫子は強いな」と囁いたのだった。

 

――私は強くなんてない。弱いから誰かに裏切られたりするのが嫌いなだけなの。


「兄さん。貴方だけは私に嘘をつかないでください。最後の希望なんですから」

「善処するよ」

「してくれないと、ひどい目に合わせます。痛い経験をすればもうしなくなるでしょ」

「俺は畑を食い散らかす害獣か何かなのか」

「経験というのは便利ですよ。嫌な思いをしたくないのなら素直に生きましょうよ」


 彼の温もりに包まれながら、眠りにつく。

 嘘のない世界なんてない。

 そんなのは子供じみた理想論でしかないことは分かってる。

 

――それでも、兄さんだけには裏切られたくない。


 この世界で一番愛している人に裏切られるのだけは嫌だから――。

 

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