第26話:恋人ごっこは終わりにしましょう



「まったく。猛クンも男の子よね」

 

 呆れ気味の声で淡雪さんは猛に言った。

 夏休みに入り、彼女とかねてから約束をしていた海へ来た。

 つい水着の他の女性に視線を奪われてしまい、彼女に怒られたのだった。

 

「いや、この程度は許容範囲内でしょう」

「他人に見惚れるのは面白くないわ」

「淡雪さんに見惚れるのはいいんだ?」

「それは……他の女の子をジロジロとみられるよりはいいわよ」

 

 気恥ずかしそうにつぶやく彼女。

 もちろん、淡雪のスタイルもよく水着姿には十分に見惚れる。

 美人な彼女に熱い視線を向けるのは猛だけではない。

 周囲の男たちからも興味津々といった感じで彼女に視線が向けられる。

 気持ちは分かるが、彼女にとってもよろしくない。

 

「……淡雪さん、行こうか」

 

 猛は男たちからの視線から守るように彼女の手を引いて海へと誘う。

 淡雪を見ていいのは自分だけだという、独占欲のような気持ちもある。


「猛クンのそういう気遣いのできるところは好きよ」

「そうかな」

「せっかくの海だもの。楽しみましょう」

 

 夏の海は冷たくて心地いいものだ。

 照り付ける太陽、海は波しぶきを上げている。

 気候もいいので、夏の海を楽しめそうだ。

 

「私、男の子と一緒に海に来たのは初めて」

「俺も妹以外の女の子とは初めてだな」

「ふふっ。猛クンの場合、比較対象がまず妹さんなのがねぇ」

「笑わないでくれ。あと、心の中でシスコン扱いもやめれ」

 

 そう言われても、実際に撫子と過ごす時間の方が圧倒的に多い。

 比較対象になってしまうのはしょうがなかった。

  

「猛クン、撫子さんのお話をNGワードにしたらどうなるかしら」

「……うぐっ」

「冗談よ。貴方の大切な妹さんと過ごした時間を否定するつもりはないの」

「ホントですか」

「本当に仲のいい兄妹で羨ましいくらい。そういうのに憧れるわ」

 

 彼女はからかいながら猛に尋ねてくる。

 

「私は妹に対してついキツく当たってしまうから。仲良くとは言えなくて」

「でも、この間の態度を見る限り、嫌われてはいないだろう?」

「口うるさい姉というイメージではないかしら。結衣との付き合いは難しくて」


 彼女海へ視線を向けて、話題を変えた。


「夏の海っていいわよね。猛クンは撫子さんと何か思い出はある?」

 

――溺れかけた妹を救おうと勢い余って胸を揉んでしまった記憶ならばあります。


 そんなことを言えば、間違いなく彼の称号は『HENTAI』になってしまう。

 

「海ってさ、ある程度、沖の方へ行けばかなり深くなるじゃないか」

「そうね。足がつかない所はこの年でも少し怖いわ」

「昔、海の中で女の人に足をつかまれたように溺れかけた記憶が」

「やーめーて。私、そっち系の話には弱いの!?」

 

 彼女と過ごす時間は撫子とはまた違う。

 純粋に楽しんでいる。

 傍にいる時間が長ければ長いほど、心が満たされていく。

 

「へぇ、そうなんだ。ふーん」

「あら、やだ。この人、ものすごく意地悪な目をしてるわ」

「してないよ。うん、してない」

「この男の子、平気な顔をして女の子に意地悪してくる子だからなぁ」

 

 彼女をいじめるつもりなんてない。

 ただ、女の子らしくて可愛いと思っただけだ。

 

――乙女らしいところもあるじゃないか。

 

 撫子は逆に怖がりなくせに、怖いものが好きと言う厄介な性格をしている。

 ホラー映画やテレビのホラー特集で怖がって楽しんでる。

 なので、淡雪のように素直に怖がってくれてる方が女の子らしくていい。

 

「さぁて、少し沖まで泳ごうか」

「そして、私の足を引きずるという罠の予感がするわ」

「しませんって。俺のことをもっと信頼してほしい」

「信頼はしてるけども、裏切る予感もあるの。この人、危険だわ」

 

 思わぬところで信頼を失った猛である。

 

「淡雪さんにひどい真似をするように見える?」

「……」

「その微妙な目はやめて。女の子に悪戯するタイプじゃないから。トラストミー」

「私は自分から『自分を信じて』と言う人は信じられない主義なの」

「同感です」


 不満げな彼女だった。

 しばらくして機嫌を直してくれたあと、一緒に海を泳ぎながら満喫した。

 

 

 

 

 ひとしきり泳ぎ終わると、猛達は砂浜を散歩していた。

 岩場にはサイドプールがあり、小さな魚やエビなどが見える。

 猛達は適当に日蔭になる岩場に腰かけて、かき氷を食べていた。

 目の前に広がる蒼い海を見つめながら、

 

「かき氷、美味しいわね。海で食べるとまた格別だわ」

「ホントだな。今年の夏は海に来られてよかった」

 

 冷たい氷を口に含み、彼らはのんびりとしていた。

 潮風に運ばれる海の匂いを感じることができる。

 普段は海に来る機会もないのですごく新鮮だ。

 

「……猛クン。私ね、恋人ごっこをするまで恋なんてしても、しなくてもいいと思っていたわ。どうせ恋をしても叶わぬ思いなのだからってどこか諦めてもいた」

「淡雪さん」

「でも、恋人ごっこをして思ったことがあるの」

「どんなことかな」

「貴方とこうして触れ合って、思い出を作っていって、私は恋をするってこういう感じなんだと分かった気がする」

 

 彼女はそっと手を差し出すと、猛の頬に触れさせる。

 

「大切な人と過ごす時間はきっと特別なモノになる。思い出として積み重ねていく、それって素敵なことなんだって思うわ」

「思い出、か」

「えぇ。猛クン……貴方、好きな子がいるでしょう? 」

 

 はっきりと猛の瞳を見つめる彼女。

 目をそらせない。

 彼女は知ってしまった。

 こうしている間にも、彼には本当の意味で大切に思う相手がいるのだ、と。

 

「……いるよ」

 

 その事実を認めることは難しかった。

 だって、淡雪ならその相手を推測するのは容易だから。

 猛が認めると同時にその相手が誰なのか、彼女は分かったはずだ。

 

「私と恋人ごっこをしてる時、猛クンはずっと私をその子と重ね合わせてた?」

「少なからず、そういうこともあったかもしれない」

 

 淡雪は「やっぱりね」と微笑する。

 

「だからこそ、猛クンとの恋人ごっこにはリアリティを感じたわ」

「キミと相手を比べていたわけじゃないよ」

「うん。貴方と本当に付き合っているような気分にさせられてた」

 

 いつもの笑みを浮かべながら、彼女は言うのだ。

 

「恋人ごっこは楽しいわ。きっと、本当に恋をすることができたら、もっと心が満たされて、幸せな気持ちになれるんでしょう」

 

 そっと頬に触れていた手を離す。

 寂しげな横顔を見せながら彼女は言うのだ。

 

「誰かに愛されるのも、愛するのも経験がなかった。私に恋を教えてくれたのは貴方よ」

「……え?」

「これ以上はやめましょうか。ごっこですまない、かもしれないから」

 

 静かに彼女は呟いた。

 波の音が静かに聞こえてくる中で。

 

「恋人ごっこはもうお終い。そうしなくちゃ、いけない」

「淡雪さん……」

「だって、遊びじゃなくて本気になったらお互いに困るでしょう?」

 

 猛達はそれ以上、何も言えずに黙り込んでしまった。


――引き返せなくなる前に、か。


 これは恋人ごっこという遊びのはずだった。

 お互いに抱いた想いが本気になる前に止めなくてはいけない――。

 

「もう、恋人ごっこは終わりにしましょう」

 

 遊びの気持ちと、恋の憧れる気持ち。

 ふたりが始めた恋人ごっこは不思議な関係だった。

 居心地が良すぎて、止められない。


――本気になったら、どうする? 

 

 確かにそうだ。

 猛は撫子を愛している。

 妹でありながらも、一人の女の子として好きだ。

 

――こんな形で彼女を裏切るのは俺の本意ではない。


 あまりにも居心地がよすぎて。

 どちらも現状に満足しすぎてしまっていた。

 淡雪にしても、将来は決められてしまっている。

 恋愛に自由はなく、自分の本当の好きな相手と付き合えない。

 

――遊びの気持ちが本気になったら……。


 本気になる前に、どこかでこの気持ちを終わらせなければいけない。

 

「分かった。そうしようか」


 猛はそう答えると夏の海へと再び足を向ける。


「ただし、今日は思いっきり楽しむとしよう」

「そうね。今はまだ私たちの恋人ごっこの最中だもの」


 ふたりして、どこか未練を感じるくらいに。

 恋人のような時間を過ごすのだった。

 

 

 

 

 それなのに――。

 結果として言えば、ふたりは“恋人ごっこ”をやめられなかった。

 やめようと決めても、居心地が良すぎる関係を捨てることはできなくて。

 事あるごとにデートを楽しんだりする。

 些細なことが幸せすぎて、お互いに終わりを切り出すこともできず。

 気が付けば夏は終わり、秋を迎えて、そして、冬になっていた。

 クリスマスを少しだけ一緒に過ごして、新しい年を迎える頃。

 ようやく恋人ごっこを終わらせた。

 いつまでも続けていたいという、互いに複雑な思いを残しまま――。

 

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