第94話 リョウちゃん、やっと正体がわかる

「あなた、人間に転生する前のこと、覚えてないの?」


 陰陽師の祈祷装束を纏った古河綾子は、少し前かがみになっていた。


 顔はこのお化け屋敷の闇に隠れているが、堀が深くなり老けた印象だ。


「まったく覚えてない」


「阿修羅」


「は?」


「あなたは阿修羅王の失われた一人の生まれ変わりなのよ」


「………」


 リョウはブフーっと吹いた。


 中二病をこじらせてしまった男子の妄想みたいなことを言い出したので、思わず笑ってしまったのだ。


「おかしい?」


「ああ、おかしい。お前の言うその阿修羅王ってのはなんだ?」


「そう、そこまで思い出せないのなら聞くといいわ」


 綾子はよたよたと地面に座った。


 リョウもつられてあぐらをかく。


「阿修羅とは、修羅道に住まう者のこと」


 綾子の声はしわがれて、本当に老婆のようだ。


 亡者は精神が望む姿で地獄で再現されている。わざわざ老体で再現されようと思う者はなかなかいないし、こうも自分の年齢を変化させる者もいないだろう。


「修羅道は六道のひとつで、妄執によって苦しむ争いの世界。阿修羅たちは身長や寿命が三十三天の住人と同じで…………」


「ちょいちょいちょい。三十三天ってなんだ」


「須弥山の頂上、閻浮提の上8万由旬の処にあり………」


「要約して」


「天部の衆徒よ」


「ふーん。天国の住民ってことか。で………阿修羅王の失われた一人ってのは?」


「阿修羅王は────」


 どう聽いても老婆のしわがれ声にしか聞こえない綾子の言葉に耳を傾ける。


 阿修羅王とは阿修羅たちの王で、現在は4つの名前が挙げられている。


 羅睺らごう阿修羅王────【Rāhu】

 婆稚ばち阿修羅王────【Verocana Bali】

 佉羅騫駄きゃらけんだ阿修羅王────【Sambara】

 毘摩質多羅びましったら阿修羅王────【Vepacitti】


 ………しかし、もともとそこには【Pahārāda】という5つ目の名もあったという。


「神に等しい力を持ちながら天に背き、人の身に転生させられ、その存在を抹消された阿修羅たちの王。それがあなたよ」


「へー」


「へーって。感慨深くないの? あなたは伝説の勇者なのよと言われているようなものなのに」


「いや、実感まるでないし。そもそも俺がそのなんちゃらだとして、なにをせぇっちゅうんじゃ」


「地獄を地獄に戻して」


「いやなこった」


「え」


「え、じゃねぇよ。なんで俺がそんなことしてやんなきゃいけねぇんだよ。亡者同士なら文句言われないんだからお前がやりゃいいだろうが」


「私はもうそんな力が残っていない。お前様をここにつなぎとめるのにどれだけの魂を使い切ったことか」


 綾子は即身仏のような干からびた腕を上げてみせた。


 触れたらボロっと折れてしまいそうな、乾いた枝のような腕だった。


「私の人生は見せただろう………こんな苦行を強いられ、地獄に堕ち、そこで見たのは私を苛めてきた者たちが謳歌する極楽のような地獄………この魂失ってでも、奴らをこのままにしておけるものか………どうかお前様の力で地獄を元に地獄に戻してくれ、5人目の阿修羅王よ」


「なるほどねぇ。この女は噛ませ犬ってことか」


 リョウは綾子の後ろにいるスーツ姿の男を睨みつけた。


「ここまで懇願されてもなびきませんか?」


 東雲は「にへら」と笑いながら、朽ち果てた綾子の木乃伊の横に座った。

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