第72話 リョウちゃん、叫喚地獄をクリアする。

 こういった会社オフィスではなかったが、リョウが学生の頃バイトしていた居酒屋にもこんな感じの社是があった。


 熱い感動をお届けするとか、働きがいと誇りとか、幸せを追及とか、一人が多のために多が一人のためにとか、そういった社是を開店前に唱和させる泥臭い居酒屋だったが、それよりもなによりも、とにかく店長がクソだった。


 盲目的に社是に陶酔し、社長を神のように崇め奉り、スタッフはすべて自分のコマだと思っているような男で、説教するにも要領を得ない。


 ────君、なぜ私が怒っているのか分かるかね!


 ────言いたいことがあるなら言ってみろ!


 ────言い訳するな!


 その3パターンを永久ループさせるだけでも十二分に心が折れる。


 なぜ怒っているのか分かるかね、とかいらない話だ。怒られる方が何を答えても「そうじゃない」と言われ、答えのない圧力の中をさまようことになるし、そこを問題にする意味がない。


 言いたいことがあるなら言え、と言われて状況を説明すると、それは言い訳だと怒られる。


 怒られることがあるとしたら、なにに対しての説教なのかを最初に提示し、それについてどう改善するべきなのかを磨り合わせていくべきだ。


 なので説教する方は、される方が「説教される謂れはない」と反論することがないよう、明確な指摘をしなければならない。そしてその指摘は「良くするためのこと」でなければならない。悪い点があったとしても、怒鳴りつけるだけで何が改まろうか。


 殴りつけても逆効果の反発を生むだけだし、立場が上の者が下の者に暴力を振るうなど、いかなる理由があってもやることではない。以ての外だ。


 そういった上司は、その要領の悪さを指摘されると必ず言う………「言ってもわからない彼のために、ちゃんと教えるためにやったんだ」と。


 言われる方にも問題があるのは明白だが、教え方というものがある。感情任せにやることは「教え」ではなく、自分のエゴをぶつけているに過ぎないのだ。


 東雲ではないが、スーツ姿の獄卒がぞろぞろ現れ、定位置に付く。


 OL風獄卒は時計を見ながらマネキュア塗りに勤しみ、高年のスーツ獄卒は夕刊を見ながら茶をすすっている。


 やたら牧歌的なオフィス風景………いや、誰も仕事していないオフィスだ。


 そこに亡者が入ってきた。


 死に装束のように真っ白なスーツだが、三角頭巾で亡者と分かる。


「大野くぅ~ん、契約とってこれたのかぁ~い?」


 上座に座っている唇の厚い中年獄卒が糸が引きそうな喋り方で尋ねる。


「え、あ、いえ。契約ってどこでなんの………」


「ちょっと大野くぅ~ん、自分がなぁにをいっているのかぁ~、わかっているのかねぇぃ~?」


「え、ちょっとわかんないです。なんなんです、ここ」


 ここに亡者を送り込んでブラック企業責めするのなら、せめて事前説明してやれよ、とリョウは東雲を横目で睨んだ。


「ぬわぁ~んちゃって」


 たらこ唇が言うと獄卒たちはアハハハと笑いだした。


「え? え?」


 と戸惑う獄卒はおそらく自分の席に案内され、ケバ目のOLがお茶を運ぶ。


「いやぁ~、驚くなぁ~と思ってね。すまないねぇ、大野くぅ~ん」


 タラコ唇はポンポンと肩を叩きながら「貰い物のケーキ食べるかぁい?」と聞いてくる。


 なにをされるのかとビクビクしていた亡者だったが、17時のチャイムがなると「はぁい、みんなぁ~、残業せずにさっさと打刻して帰宅するんだよぅ~」と言われる。


「今日晩飯行かないかい福田くぅ~ん」


「すいません課長。妻の実家に居候の身でして」


「大変だねぇ福田くぅ~ん。行けるときにまた頼むよぅ~。おおっと、そうだ。大野くぅ~ん、どうだいちょっと一杯。もちろん僕がおごるよぅ」


「え、あ、ええ……」


「飯だけだから19時には解散かなぁ~」


「え、早くないですか」


「君のプライベートを拘束しちゃあ悪いからねぇ。暇だったら飯のあとも付き合うよぅ? なんならこっちもいくかい?」


 小指を立てるたらこ唇に対して、OL獄卒が割って入る。


「もぅ課長ったら! 大野さんはそんなことしないんですぅー! ね、大野さん」


 がっつりOLが腕を組んでくると、反対の手にも「ちょっと馴れ馴れしすぎない!?」と別のOLが。


「なにこれ」


 白目むきそうな展開になり、リョウは東雲を睨みつけた。


「現世でも問題にされているというのに、今の地獄でブラック企業があるわけないじゃないですか」


「いや、そもそもここって使用人だか従業員だかに酒を呑ませて勇気付けて、動物を殺生させたやつが堕ちるんだろ? なにこのオフィス茶番。なんの意味?」


「なんでこうなってしまったのかはわかりませんが、山内さんならどうしてますか?」


「久しぶりに来たなその質問。俺だったら動物たちからボコボコにされる地獄にするが」


「イマイチ」


「………死ぬほど酒を飲ませてグロッキーになったら動物のトイレかなんかに突き落としてクソまみれにしてやる地獄とか」


「ほほお!」


「………お前ゆがんでるよ」


 こうしてリョウは八大地獄の一つ、叫喚地獄を全制覇した。

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