第64話 リョウちゃん、泣く。

 加根古かねこ智行ともゆきの人生は決して平坦ではない。


 人付き合いは苦手だ。気遣いで疲労するから。


 他人は彼のことを「良い人」と評するが、良い人であろうとすればするほど自分は我慢しなければならない。


 ときにはそんな自分を下に見て、勝手につけあがる者たちもいた。


 そんな人間関係に疲れ、土の下で眠っていたいと思うことも多々あった。


 人を愛したこともあったし、付き合った女もいた。


 だが、人間関係に疲れた加根古からすると、ちょっとした気遣いも煩わしく感じ、誰とも上手くいかなかった。


 良い人の自分ではなく素の自分を出せるなら。その素の自分を見せても共にいてくれる友人や恋人がいたならば、こんなところで追い回されることなどなかったのかもしれない。


 しかし加根古は素の自分を晒す勇気などなかった。


 良い人じゃない自分を見らた周りがどう思うか………想像したら怖くてたまらない。


 だから、現世では最後の最後まで良い人のまま終わった。


「ちょっと行き先無くて困ってんだよね」


 ある日、リョウの勤めていたバーで、初めて見るカップルから話しかけられた。


「良い人」として話を聞くと、ホテルの予約がちゃんと取れていなくて路頭に迷っている地方人らしい。


 それは困っていることだろう、と、近場のホテルを片っ端から電話したが、あいにく満室だった。


 かと言ってラブホテルを勧めるほど無粋でもない。


 それに飲み交わしていると、このカップルが実に馴染みやすく楽しいと感じた。


 二人はかなり泥酔していたし、このまま放置もできない。


 そこで加根古は自宅に案内した。


 一人暮らしの男部屋だが、二人が寝るにはちょうどいいセミダブルのベッドもある。自分は床に転がっていればいいや、と思って呼んだ。


 まだ若いカップルが今日知り合ったばかりの他人の家に興奮したのか、明け方近くに気が付かないふりをした。


 まさか起きていることを見抜かれ、二人から誘われるとは。


 二人は加根古をいざない、三人で事が始まった。


 彼氏の目の前でその彼女を抱く罪悪感がこれほど興奮するとは────事が終わると、加根古は心地よい疲労感と共に眠りについた。


 加根古が目覚めると、なぜか男はいなかった。


 そして裸の女がベッドで………死んでいた。


 どういうことか。なにがおきたのか。わからないわからないわからないわからないわからない。けど女の首をこの手で締める感触が残っている。わからないわからないわからない。


 警察と病院に電話したが、先に警察が来た。


 そして現行犯で逮捕された。


 女の首にはしっかりと手形が残っており、加根古が酔った女を連れ込んで殺害した、とされたのだ。


 きっとあの男が犯人だ!と訴えたが、首に残った手の形は加根古本人のものと一致したし、バーでも「女は一人。加根古さんが連れ帰った」との証言があった。さらにマンションの監視カメラも加根古と旅行者の女しか映していなかった。


 バカな。あの男は誰だったんだ。


 ────この女は首を絞めてやると悦ぶよ。

 ────苦しそうだろ? 感じてるんだぜ、こいつ。

 ────もういいじゃないか。良い人の振りなんかしなくても。

 ────本当は暴虐に憧れてるんだろ、今ならそれができるんだよ。


 と耳元で囁いていたあの男は………。


 裁判で全容がわかった。


 男はいた。ただし、バーにいただけ。連れ帰ったりしていない。


 その男はバーで旅行者の女と加根古に怪しい薬を勧めた。


 酒が美味くなるから、と。


 それが違法薬物だった。


 自分を失っていた加根古は、幻覚を見ていた。


 そして幻覚にそそのかされ、連れ込んだ旅行者の女性を絞殺したのだ。


 薬をバラ撒いた男も逮捕されたが、彼は人殺しではない。ただの売人だ。


 自分を見失っていたとしても加根古の罪は拭えなかった。


 そして良心の呵責に耐えられず、獄中で自害して果てた。


 そんな加根古がこの剣林処けんりんしょにいるということは、当然罪状があるのだが「旅人を泥酔させ命を奪った」罪となる。


 どこかに「自分は違法薬物を飲まされた被害者だ」と訴えたい心もあったが、人を殺したという罪悪感からは逃れられず、ここにいる。


 そんな加根古の経緯を「見透かしの珠」で見たリョウは、スッと流れる涙を拭った。


「加根古さん、あんたほんとツイてないな」


「リョウちゃん………俺、消えたい」


 加根古は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でそう言った。

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