第35話 リョウちゃん、アイスピックを回す。

 松井田まついだ武志たけしは地獄に堕ちても欠かさない筋トレのお陰で、腕力には自信があった。


 身長は然程さほど高くないが、生意気な事を言う年配の亡者は打ちのめしてきたし、亡者に手出しできない獄卒共は眼中にもない。特にこういう水商売に勤めている女獄卒は松井田にとっては「ツノ付きの化物」の認識でしかない。


『どうせ死んだ身だから好き勝手やるに決まってる』


 それが松井田の口癖だ。


『亡者として稼いだ金でさんざんテキーラを呑み、獄卒の雌共にも強要して呑ませ、ふらふらになった雌のスリットから手を入れ、股間をさわさわと撫でたらそれを黒服のボーイが生意気にも注意してきた。その糞ガキを蹴り飛ばしてやったさ。そしたら────』


 松井田の目の前には、微笑を浮かべる山内リョウが立っている。


 服装からして亡者なのは間違えないが、その口元に称える微笑と裏腹な冷徹な眼差しに、一瞬息を呑んだ。


 下手な獄卒より怖く見える。


 ………いや、そんなレベルではない。


 閻魔大王などの裁判官達と会った時と同じような緊張感が背筋に走る。


 だが、舐められたら終わりだ。


「なんだてめぇ。文句あんのかコラ」


 ヘネシー V.S.O.P.のボトルを逆手に持つ。この所作だけで大体のやつはビビる。


 松井田は生前は六本木で徒党を組んで悪いことをしていた。


 著名人に個室ラウンジを貸し与え、その中で乱痴気騒ぎを、それ揺すりのネタにして金を引っ張る。


 そのためにグラビアアイドルやAV女優崩れを何人も配下において、一時期は数十億の現ナマを転がしていたこともある。


 使える女は全部犯し、使えない女はヤク漬けにして売り飛ばした。


 使える男たちには金をバラ撒き服従させ、使えない男は鉄砲玉のように悪事の最前線に立たせ、逮捕されたとしても懐が痛まないようにした。


 敵対する者には容赦せず、媚びへつらう者たちからはさらに巻き上げた。


 六本木や麻布で松井田のことを知らないやつはモグリだ、と言われるほどの権力も持った。


 それでも死ねば同じ。


 生前の権力も、身体的な優位性も、地獄という「魂の牢獄」においては意味を成さない。


松井田まついだ武志たけし。27歳。へぇ。半グレってやつか。人違いで一般人を敵対勢力と間違えて殺し、逃亡中に交通事故で死亡。はぁ、クズもクズだな、あんた」


「な………」


 松井田からはリョウが後ろ手に持っている『見透かしの珠』が見えていないので、スラスラと自分のことを言われた時「こいつ、ただの亡者じゃないのか!?」と半分腰を浮かせた。


 浮かせたのはいざという時、逃げるためだ。


 松井田も伊達に修羅場を潜ってきたわけではない。


 だが、どんな修羅場でも、今目の前にいるような雰囲気の男には出会ったことがない。


 怖いとか強そうとか、そういう次元で語れるような相手ではない。


 蛇に睨まれた蛙はまだ「もしかしたら逃げられる」という希望を持っているだろうが、今においてそれはない。何をしても逃げられず「狩られる」というイメージしか浮かんでこないのだ。


「酒は美味しく呑もうや?」


 リョウは低い声で凄んだ。


「あ………ああん? んだとコラてめぇオラ、何のつもりで俺に説教くれてんだ!」


だボケ」


「ん、んだとコラァ………」


 松井田は引くに引けずに凄み返したが、キャストの誰が見ても迫力負けしている。例えるなら、喧嘩している猫がいたとして、片方は耳も後ろ向きに寝て腰も引けているのに「マーオマーオ!」と威嚇し続けている……そんな感じだ。


「まったく。酒が不味くなっちまう」


 リョウはアイスピックを、ペンシル回しのようにスムーズに指の間でくるりくるくるりと回してみせた。

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