悪魔を戴く灰色の堕天使

 警報の鳴り止まぬ船内は今、赤色灯レッドアラートの光が危機感をあおってくる。

 真っ赤な世界と化した惑星間輸送船『かりふらわあ308』は、激しい揺れの中で徐々に失速していた。それが船内からでも、リット・スケイルにはわかる。

 だが、目の前の二人にとってそれは瑣末さまつなことらしい。

 こうしている瞬間にも、外ではダイバーシティ・ウォーカーが戦闘中だ。

 その只中ただなかにいる今、いつ流れ弾で船体に穴が空いてもおかしくない。

 それなのに、互いにスペーススーツを点検する男女には別種のあせりが浮かんでいた。謎の少女カティア・カッティのスーツを気密チェックしつつ、バリス・バッカードの声はどこか興奮している。


「なあ、本当に協力すれば……軍に、U3Fにとりなしてくれるんだよな!」


 手首のパネルをいじりながら、少女はバリスに無言でうなずく。

 親友の無謀な言葉に、リットは言葉を挟めない。

 ただ、黙って二人を見過ごせないから、自分もスーツを着て有事に備えるしかできなかった。

 カティアはスーツのヘルメットを被ると、無線通信に切り替わった声でつぶやく。


「善良な市民の協力に対しては、軍は相応そうおうの礼を尽くす。ふん、今時軍人志望とはな」

「やっぱ、安定した仕事が欲しいんだよ。誰だってそうさ。な、リット!」


 バリスの声にリットは、曖昧な言葉を返す。

 バリスが軍に入りたがっているのは、以前から知っていた。決して軍人が好きなわけでもないし、過酷な任務を欲している訳でもない。

 多くの人がそうであるように、バリスは安定した生活と自由が欲しいだけだ。

 一年の大半を輸送船の中で過ごし、自室と作業場を往復するだけの日々。

 収入や衣食住に不足はないが、不満はどこでだって生まれるものだ。

 そして……木星圏ではいまもって、もっとも収入の安定した職業は軍隊だった。昔から産婆さんば葬儀屋そうぎやに次いで、なくならない仕事の一つである。軍人がエリートと思われる風潮こそが、きな臭い木星圏の社会情勢を如実にょじつに表していた。

 リットは一人でスーツのチェックを終えると、バリスに額を寄せる。メットとメットがコツンとぶつかる中で、二人だけの接触回線が繋がった。


「バリス、妙だと思わないか? 例の積荷を検索したけど、なんのデータもない。彼女が正規の軍人だとしても、なにかが怪しい……胸騒ぎがするんだよ」

「でも、荷主と船乗りの間には義務だってある。船長にもさっき確認は取ったさ!」

「確かに、貨物室カーゴの安全確認は大事だ。けど、非常時にそれは人命に勝る優先度かい?」

「さあな! ただ、チャンスだ。恩を売っておけば……リット、お前は無理に付き合う必要ないぜ」

「まさか。君一人には任せておけないよ。ことは船の安全をも左右する、らしいからね」


 再度、激震が襲った。

 襲撃者は完全に、この船を狙っているようだ。

 リットも、木星圏や火星圏での自治独立運動、インデペンデンス・ステイツの活動は知っている。棄民政策の末に宇宙へ放り出された人達は、世代を重ねてもその恨みを忘れたりはしない。中には、遺恨いこんよりも希望をかかげて活動している人間達もいる……しかし、自由と平等、なにより平和を求める運動の末端は、理想とはかけ離れた現実をも生み出してしまった。

 自称インデペンデンス・ステイツのテロリスト達は、宇宙のアチコチで活動している。

 それがU3Fという暴力をはぐくみ、その中に恐ろしい癒着ゆちゃくと腐敗を膨らませていった。

 少し勉強すればわかることだが、今はそれを論じている時間はなさそうだ。

 リットはバリスに、カティアをフォローして目を離さないように告げる。


「僕が先行する。貨物室を点検して、カティアさんの積荷が無事かを確かめたら、戻る。いいね?」

「わかった! ……積荷を処分したいとか、言ってなかったか?」

「それはまずいな。……まずいもの、なんだろうね。ひょっとしたらこの襲撃も――」


 また、激しい揺れで船体がきしむ。

 すでになにかしらのダメージをこうむったかもしれない。

 巨大で鈍重な惑星間輸送船など、DSWの飛び交う戦場ではいいまとである。リットは目配せして、バリスにカティアのことを任せる。上手く点数を稼いで欲しかったし、それでバリスが軍に潜り込めるならそれもいいだろう。

 だが、脳裏には既に悪い予感が確信となって満ち始めていた。

 謎のイリーガルな積荷。

 救援を断られた少女将校。

 そして……正規軍ではない者達とインデペンデンス・ステイツの戦闘。

 そう、外で戦っているのは正規軍ではない。

 この間、一週間遅れのアングラサイトで見た。

 彼らは――


「こっちです、カティアさん! リット、いいぞ! 開けてくれ!」


 バリスの声で我に返って、リットは手近な壁のパネルを操作する。

 何重いくえにも折り重なって密閉されていた隔壁が、圧搾空気あっさくくうきの抜ける音と共に開いた。

 どうやら貨物室は無事のようで、まだ気密もたもたれている。

 しかし、なにかしらのコンテナが傾いて開いたのか、雑多な玩具おもちゃが無重力に散乱していた。先を進むバリスは、背に小さなカティアをかばいつつ進む。

 リットも、ぬいぐるみやら人形やらが乱れ飛ぶ中を続いた。

 バリスにエスコートされるカティアは、周囲を見渡すや彼の背中から飛び出す。


「あった! このコンテナ……よし、無事だな。君! 確か、バリス君とかいったか」

「はい! 積荷は無事なんですね? なら、すぐ客室に戻らないと。ここ、危ないですよ」

「それは後でだ! この積荷を処分しないと」

「処分? どうやって!」

「今、考えてる! 君も考えてよ、えっと、そっちの君も!」


 件のコンテナは、まるで隠すように貨物室の片隅にあった。

 厳重にシーリングされ、警告を現す黄色いテープが縦横無尽に走る。スーツの手首に内蔵された端末をリンクさせても、コンテナはなにも伝えてこない。

 完全にデータが秘匿ひとくされた、本来は積まれていないはずの積荷だ。

 『H・R』とだけ書かれたコンテナを見上げて、カティアは腕組みうなる。

 だが、次の瞬間……先程より強い揺れが三人を襲った。

 咄嗟にバリスがカティアを引き寄せ、抱き締める。

 その瞬間にはリットは例のコンテナへとスーツの安全帯あんぜんたいをひっかけた。同時にワイヤーガンを吸着モードにしてバリスの背中を撃つ。

 貨物室の床が赤く膨らみ、溶けながら破裂した。

 瞬間、火柱が爆ぜて世界が暗転する。

 気付いた時にはもう、三人ごとコンテナは漆黒の宇宙へと放り出されていた。

 あっという間に遠のいた爆発は、惑星間輸送船『かりふらわあ308』だ。

 リットとバリスの育った家であり、暮らす場所……小さく狭い世界の全て。それは今、船体が真っ二つに折れて炎の中に消えてゆく。

 リットは言葉を失い、まばたきすら忘れて断末魔の最期さいごを見守った。

 先程まで自分を運んでいた船は、僅か数秒で虚空こくうの中へ消えた。

 絶句したまま、コンテナの手すりを掴む手が震える。

 どうにかワイヤーガンを巻き戻し、カティアを抱えたバリスを近くに引き寄せた。


「俺達の船が……クソッ、なんだよ! なにが楽しくって、独立運動やってる連中が俺等みたいなのを」

「……それは、バリス。カティアさんに、聞いてみたら……どうかな。それよりっ! まだ来るっ!」


 リットは現実感がない中で、近付く光点をにらんだ。

 すぐにその光は膨らみながら、人の姿をかたどる。

 DSW……それも、インデペンデンス・ステイツが運用している機体、ギム・デュバルだ。小刻みにスラスターを明滅させながら、巨人は漂うコンテナに相対速度を合わせる。

 ゴゥン、と鈍い衝撃が伝わり、ギム・デュバルはコンテナに手を添えてきた。

 カメラとなっているセンサーアイが、静かにリット達をスキャンしてゆく。

 周囲にも二機、三機とDSWが集まり出した。

 徐々に遠のく戦闘の光が、小さくなってゆく。

 どうやらリット達は、インデペンデンス・ステイツの手中に落ちたらしい。

 だが、突然の異変。

 コンテナを囲むギム・デュバルの一機が、不意に爆発した。

 衝撃波に吹き飛ばされそうになって、必死にリットはコンテナをつかむ。


「ッ! バリス、その人を! あれは……さっき見た、悪魔! 悪魔付き!」


 宇宙の闇を切り裂いて、灰色の悪魔が光の尾を棚引かせる。

 無軌道にぶその動きは、火線を集中させるギム・デュバルの一角へと飛び込んできた。あっという間に距離を食い殺し、肉薄するや右手を振りかぶる。握られた武器から粒子の奔流ほんりゅうが発信され、光の刃が巨大な剣となった。

 躊躇ちゅうちょせず、灰色の悪魔は剣気一閃けんきいっせん、ギム・デュバルを横に薙ぐ。

 爆発の炎が、雄々おおしくも禍々まがまがしいDSWを浮かび上がらせる。


「あれが……マスティマ。自警武装組織の、悪魔付き」


 U3Fの自称良識派を名乗る軍人達が、独自に戦力を集めて決起した……それが、自警武装組織マスティマ。勢力を問わず、民を脅かす全てに対して迎撃、反撃、無差別に武力で鎮圧する。己を抑止力として定義し、主義や思想、利害や信仰といったものに縛られない武力だと公言している連中だ。

 力なき民を襲う者に対し、確実に必要な反撃措置を取る。

 堕天使の名を冠した暴力装置は、同じ名の少女によって導かれているらしい。

 そこまではネットで読んだが、リットは知らない。

 そして、ここから先は自分で体験し、目と耳で確かめるしかなかった。

 次々と周囲のギム・デュバルが撃墜されてゆく。

 バリスの腕に抱かれながら、カティアは忌々いまいましそうに唇を噛んで叫んだ。


「クッ、軍規を乱す脱走兵共め! 何故なぜ、正規軍は動かない……私の救援要請を無視して! 駆けつけたのは連中だけだなんて。そんなにくさっているのか、U3Fはっ!」


 やがて、劣勢を悟ったように敵が撤退してゆく。

 見慣れぬソリッドタイプに追いやられて、インデペンデンス・ステイツの末端たる者達は逃げ散った。

 リットは、剣を収めて振り向く灰色の悪魔付きに目を奪われていた。

 彼の運命は、親友のバリスをも巻き込み……予想もできぬ未来へと吸い込まれつつあった。

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