4-16 兄と弟
「あんちゃ~ん!こっちこっち!」
「ふう、信ちゃんは足が早いなあ。そんなに早く行けないよ。」
「だって早くしないとカブトムシが逃げちゃうよ。」
「信ちゃんしか見つけてない穴場で蜜は塗ったんだろ?すぐには逃げないんじゃないのか?」
「いや、源治やよっちゃんもカンがいいから、見つけちゃったかもしれないんだもん。」
「大丈夫だって。」
「ほら、早くう。あ、よかった!まだ源治たちは見つけてないんだ。」
「ほら見ろ。大丈夫だったじゃないか。」
「だってえ。」
「ハハハ、まあ良かったじゃないか。本当に信ちゃんはカブトムシが好きだなあ。」
「カブトだけじゃないよ。クワガタもカマキリもセミも蝶もゲンゴロウだって大好きさ。」
「じゃあ将来は虫博士かな。」
「うん!ファーブル先生みたいな博士になる!そしていっぱい虫の本を出すんだ。そうだ、あんちゃん、その時は虫の絵を描いてよ。」
「え?今は写真の時代だぞ?」
「あんちゃんの絵、とても綺麗だもん。ボクの描いた本にあんちゃんの絵、最強じゃん!」
「そうか…、じゃあ虫博士になったら描いてやるよ。」
「約束だよ!敬一郎あんちゃん!」
「ところで信次郎さん。」
ワタシはあらまって聞いた。何か信次郎さんは考え事していたのか、はっとしてワタシの方に顔を上げた。
「ん?ああ、何だね、達子さん。」
「生き別れのお兄さんとはいえ、敬一郎さん失踪時は信次郎さんは7歳。一緒に過ごしたのはわずかですよね。なぜ行方をそんなに気になさるのですか?」
少し無神経な質問かもしれない。でも素朴に気になったのも事実だ。いくら行方不明でも数十年も経っている。亡くなったと考えるのが普通ではないのだろうか?
「まあ、確かに達子さんが考えるのが普通じゃろうな。」
信次郎さんはゆっくり答えた。
「突然、兄が亡くなったと知らされてわしは信じられなかったんじゃよ。
何せ、前日までは普通に遊んでくれたのに、急にいなくなった、いや実は死んだとか遺体には会わせられない、葬式は内密にするなど大人の話がコロコロと変わり、子ども心にもおかしな所だらけじゃった。」
「それは確かにおかしいですね。」
「そして父の嘆きようはこちらが見ても痛々しいものじゃった。わしに学校の手配など経営学を叩き込む準備を素早く行い、惜しげもなく経済界の地位を捨て、兄には禁止していた絵などを突然始めたのだからな。あまりの変わり身の早さに混乱したものじゃ。」
信次郎さんは一呼吸おいて続けた。
「子供心に兄は死んでいない、どこかに生きているとは思ったものの、家ではそれを言うのも禁句じゃった。そして父も人が変わったように芸術活動にのめ りこんでいき、わしは浅葱家の跡取りとしての厳しい教育に追われ、いつしか真実を聞く余裕もなくなり流されるように勉強するしかなかった。」
「…。」
「やっと真実を聞けたのは、大人になってからじゃよ。信じられなかったが、絵を見せられて納得した。道理で兄の絵が次から次へ出てくると思ってたのじゃがな。そして風景画に混ざって、虫のラフスケッチが何点かあった。」
唐突に話題が変わりワタシは「?」となった。
「父上は不思議がっていたが、わしにはわかった。幼いころにわしが虫の研究者になったら虫の挿絵を描くという約束を兄なりに守ろうとしていたのだと。よくはわからないが、もしかすると兄は帰ることができなくなって絵だけが帰れていたのではないか、と。」
「なるほど。」
「だからわしは兄に会いたいのだ。できればこちらに帰れるように手助けもしたい。そのために
「ま、まかせてください。ある程度手がかりはつかめてますので。」
なんとかそれだけ言うとワタシは沈んだ空気をも飲み込むように出された飲み物を一気に飲み干した。
「…??浅葱さん、これ、なんですか?」
なんだか妙な香りがする。これはもしや…。
「乾燥アサツキのアイスハーブティーですが。何か?」
「か、乾燥アサツキ?」
「ええ、免疫力があがると浅葱町で今、力を入れて売り出しているのです。町役場でも特設コーナーがあるのですよ。」
慣れたと思ったはずなのに、何故こうも次から次とアサツキが出てくるのか。
「…。なんだか、つゆだくならぬアサツキだくってのもありそう。」
「おや、そういう言い回しが浅葱では普通ですよ。それにアサツキなら、あそこでアッキーがカツオの刺身アサツキだくを喜んで食べてますが。」
「パクパクパク…ニャ~♪」
…もはやツッコミたくはない。が、言わせてもらおう。
「いやああ~!どこもかしこもアサツキばっかり~!!」
騒いでるワタシ達を眺めながら、信次郎は物思いにふけっていた。
(兄さん、わしは約束を守れなかったよ…。兄さんはあのまま絵を描き続けたのだろうか。約束を守れなかったわしを許してくれるかのう。)
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