小さな私

 散らかった狭い部屋の隅で泣いているのは、小さな私。小さな私は膝を抱えて、声を押し殺して泣いている。

 その柔肌には無数の赤黒い痣と、生傷があり、とても痛々しい。

 小さな私の頭を撫でると、ビクリと体を縮こまらせて震えた。仕方ない、母は怒ると直ぐに手が出る人だったのだ。怒鳴り散らして、叩いて、髪を引っ張って外へ放り出す。そんな人だった。

 ——あぁ、こんなにたんこぶが出来ている……

 私は、小さな私をギュッと力強く抱きしめた。小さな体に余る傷を慰める様に。安心させるように。

 その時、小さな私にも、大きくなった私にも、同じ胸の穴が空いている事に気が付いた。どうやら、この頃から私は誰にも愛されてこなかったらしい。

 人の顔色ばかり伺い生きてきたからだろう。

 誰も愛してくれないのなら、自分で愛さなければ。そう思った私の双眸からは大粒の涙が溢れ出てきた。これがなんの感情の涙なのかは解らない。様々な感情が混ざりあって、凝縮されたような、そんな涙だった。

 今まで、頑張ってきた分、自分を褒めた。耐えてきた分、自分を慰めた。過ちを犯した分、自分を責めた。

 私が声を出して泣くと、小さな私も声を上げて泣いた。散々飽きるほどお互いに泣いた。

 気持ちが落ち着いた時。小さな私は私の腕の中から消えていた。その代わりに、何かが吹っ切れたような、そんな感じがした。


 目覚ましよりも早く起きた私の頬は、涙で濡れていた。顔を洗って鏡をみれば、目が腫れぼったくって見れたものじゃない。

 しかし、ついていない朝の筈なのに、不思議と私の心は穏やかだった。

 化粧をし、スーツに着替え、いつもより十五分ほど早く家を出る。そして、いつもの十五分早く、行きつけのカフェに着き、いつものモーニングセットをゆっくりと食す。

 ——あ、美味しい……こんなに美味しかったんだ……

 時間にゆとりのある私は、いつも食べているトーストサンドの味が普段よりも美味しく感じ、思わず笑みをこぼす。

「何かいい事ありました?」

 いつも食事を配膳してくれるウェイターさんが、私にそう声をかけてきた。

「いえ、トーストサンドが美味しいなと思っただけです」

「それは良かった。きっとマスターも喜びますよ」

 彼はにっこり笑うと、別のテーブルに注文を受けに行った。

 私は朝食を済ませ、食後の紅茶を待ちながら、窓の外へと目向ける。不思議な事に、目覚めが悪かったのにも関わらず、見える景色が明るく暖かな物に見えた。

 まるで生まれ変わったみたいに、今まで見えていたくすんだ色がそこにはなかった。

 ——よし、今日も仕事頑張ろう!

 窓の外を行くスーツ姿の人を見て、自然とそんな気持が湧き上がり、正直、自分でも驚いた。

 ——あぁ、きっと夢の中で私が私を認めたからなのかもしれない。だから生まれ変わったような気分なんだ。

 食後に運ばれてきた紅茶をストレートのまま啜り、会計を済ませて、店を出る。

 そして、軽い足取りで駅へと向かった。



小さな私 —— 完 ——

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