リーゼル 3-2 喧嘩馬鹿


 異変が起きたのは、食事をはじめて三十分ほどたった頃だった。

 酔った客同士が口論をはじめ、やがて椅子を蹴飛ばしたり、皿の割れる音が響くようになる――と、ここまでは、べつに珍しくもなんともない。〈酔鯨〉以外でも、リーゼルが何度も目にしてきた光景だ。

 問題なのは、相手が強そうと見るや、たとえ無関係であってもセレスタがそれに加わろうとすることだった。

 もちろんリーゼルは止めようとする。しかし、それが成功したためしはただの一度としてない。


 前提条件。ここは職人街である。

 繊細な芸術家タイプもいるにはいるが、その大半は槌をふるったり硬い石を加工したりするのを生業とする屈強な男たちである。

 口ではトラブルを避けるべきだというようなことを言っておきつつ、戦いをなにより好むセレスタが、きっかけを待ち構えていたであろうことは想像に難くない。


 追加で注文した料理を、彼は大急ぎで口に詰め込んだ。

 ゆっくりと席を立ち、むぐむぐと口を動かしながら、騒ぎの起きているほうへと歩いてゆく。

 はじめはふたりの男が言い争っていたようだが、止めようとする連れ、加勢しようとする取り巻きが加わり、すでに総勢十人ほどの睨み合いになっている。下手をすれば、店全体を巻き込む大乱闘に発展しかねない雰囲気だった。

「ちょっと、よそでやっとくれよ」

 さっきの女給たちが騒ぎを収めようとしているが、かたちばかりだ。

 店のマスターも、こんなことは慣れっこなのか、カウンターに置かれている食器や花瓶を、壊れやすそうな物から片付けている。


「おい」


 そう声をかけたセレスタは本当に嬉しそうで、リーゼルとしては複雑な気分だった。

 彼女がいくら暴力を嫌っても、日常にそれは溢れていて、セレスタにとっては娯楽なのだ。取りあげようとするのは、もしかしたらとても残酷なことなのかもしれない。

「オレも混ぜてくれよ。どっちかに助太刀するんでも、みんなまとめて相手するんでもいいぜ」

「なんだテメェ! 関係ねえ奴はすっこんでろ!」

「嫌だと言ったら?」

 うわ、これだ。相手がどう答えてもやることはひとつ。血を見ないことには収まらないのだ。

 相手も相手で、セレスタが竜人族フォニークだからといって退こうなどとは考えない。

「セレスタさん! せめて外で!」

 リーゼルの叫びが聞こえたのかどうか。

 セレスタは、いきなり殴りかかってきたひとりの首根っこをつかむと、窓に向かって放り投げた。

 盛大な音とともに男の身体が窓をぶち破り、それを追ってセレスタも外に出る。

「さあ、来いや!」

「野郎ッ!」

 男の仲間たちが我先に店から飛び出してゆき、彼らと対峙していた連中が後に続く。


 リーゼルが外に出たときには、もうはじまっていた。

 セレスタに投げられた男のほうのグループには山羊人ガラドリンが多いので山羊組、もう一方は犬人族ドギームのグループだったので犬組と呼ぶことにする。

 山羊組の男三人が、セレスタを囲んで同時にタックルをしかけた。そうして動きを封じておき、もうひとりが角材で殴って仕留めようという作戦だ。

 ところが、セレスタは腰に三人の男をぶら下げたまま、その場でぐるりと回転した。

 不用意に近づいた角材の男は、吹っ飛ばされて防火用の桶に突っ込む。ついでに腰につかまっていた男たちのうち、ふたりもあらぬ彼方へと飛んでいった。

 そこへ、いつの間にか建物の屋根にのぼっていた犬組の男ふたりが、頭上からセレスタに襲いかかった。セレスタはこれも、両腕をのばして空中で足首をとらえ、力任せに建物の壁に投げつける。


「ハッハァ!」

 セレスタが哄笑しながら、まだ腰につかまっている男にひじ打ちをかまそうとしたが、男は死角にまわってそれをかわす。

 肘が届かないと見るや、セレスタは尻尾を何度か跳ねあげて男をふりほどこうとし、なおも男が粘ると、今度は首に尻尾を巻きつけてひきはがした。

「そいやぁぁぁぁッ!」

 そこへ、犬組の男たちがそれぞれに大八車を押して突っ込んできた。うかつに近づくと怪力による反撃が危険と判断したのだろう。

 だが、この程度のことではセレスタは怯まない。余裕の笑みを浮かべつつ山羊組の男を一台に向けてぶん投げ、自分はべつの一台にふわりと飛び乗る。そのまま、押していた男のあごをひざで蹴りあげ、翼をはためかせつつ着地した。


 残る大八車は一台。犬組の男が雄叫びをあげつつ方向転換し、ヤケクソ気味に突進する。

 セレスタが片足をあげた。

 真正面から受け止める。たったそれだけで、大岩にでもぶつかったかのように、車は一歩も進めなくなる。

「この……ッ! 化け物ッ!」

「逃げねえ勇気は褒めてやるけど、もうちっと頑張って欲しかったな」

 あげていた足を降ろす。大八車の反対側が跳ねあがり、男が宙を舞った。

 セレスタは落下地点に移動し、落ちてくる男の背中に拳を放つ。男はものすごい勢いで、その先にある小道へすっ飛んでいった。


 山羊組と犬組の男たちはまだ何人か残っていたが、これほどの力の差を見せつけられて、さすがに戦意を喪失したらしい。

 気絶した仲間を担ぎあげつつ、脅えた表情でセレスタを見る。

 セレスタに追い打ちをかけるつもりがないと悟るや、彼らは捨て台詞さえ残すことなく逃げていった。

 やれやれ、これで終わりか――他の客や見物人のあいだに、ほっとした空気が流れかけた、そのとき。


「どこのどいつだァァァアア!? コイツを投げてよこした馬鹿は!」


 怒号とともに、さっきの小道から新たな一団が現れた。

 中心にいるのは着流し姿の猿人エイブンの男で、赤茶色の頬髯を生やし、額と右目にかけて刃物によるものらしき傷が走っている。

 他の男たちも、目つきや身ごなしに、明らかにカタギではない雰囲気が漂っていた。

「おい、あいつらモールソン・ファミリーじゃあねえか?」

「なんでモールソンの奴らが職人街に……?」

 誰かの呟きがリーゼルの耳に届いた。

 モールソン・ファミリーといえば〈幽霊船〉内でも数少ない、〈竜の子らドラゴニュート〉に対抗しうると言われる武装組織である。

 たしか、縄張りはここよりも船尾寄りの区画だったはずだ。


「あァン? テメェは……」

 猿人エイブンの男がセレスタに気づいて、その太い眉を持ちあげた。

「〈竜の子らドラゴニュート〉のセレスタ・チュードか」

「そういうアンタは誰だい、おっさん」

「モールソン・ファミリー第十八支部長のショウジョウ・バキタだ。テメェ、こないだフォルモーザ組の助っ人としてウチの小猿どもとやりあったらしいな。あそこはなあ、俺がファルタンのオヤジから任されてたシマなんだよ」

「へぇー、そうかい。ま、オレの知ったこっちゃねーけど」

「ああ、わかってるぜ。テメェはあくまで、個人的に請われて力を貸しただけ。〈竜の子らドラゴニュート〉の看板を背負ってのことじゃあねえ……だからコレも、俺ひとりの気分とメンツの問題だ」

 ショウジョウは手下のひとりから漆黒の鞘に収められた刀を受け取り、抜き放った。

「俺の愛刀、大鴉だ。コイツを研ぎ師から受け取った帰りに出くわしたのは、テメェにとっちゃ不幸だったな」


 さがってろ、と手下に命じると、ショウジョウは腰を深く落とし、肩に担ぐようにして大鴉を構えた――次の瞬間。

 ざざっ、という地を擦る音。恐るべき速度で、ショウジョウがセレスタとの間合いを詰める。

 立て続けに三撃。まるで暴風のような攻撃だった。


 ショウジョウの背丈はセレスタと比べてもかなり高いが、大鴉の刃渡りもそれに匹敵するほどに長い。常人には持ちあげることすら困難な鉄の塊を、彼は小枝のように振り回している。

 セレスタは跳び退ってこれをよけたが、左腕から血が滴っていた。スカイブルーの鱗が、ざっくりと裂けている。

「へえ……コイツは、受けるのは無理っぽいな」

 竜人族フォニークの鱗をものともしないなんて、なんという切れ味。それに、リーチもたぶん、ここの道幅いっぱいよりさらにある。なるほど、手下をさがらせたのは巻き込まないようにするためか。

 さすがにこれはまずいのではないか、とリーゼルはセレスタのほうを見た。

「いいねえ。面白くなってきやがった」

 ……そうですか。やっぱりね。

 無用の心配でした――諦めの気持ちでため息をつく。

 さっきの職人たちとのケンカでは、相手を殺さないよう手加減していたのはリーゼルにもわかった。セレスタにしてみれば、不完全燃焼といったところだったのだろう。

 そこへ、こんな強敵が現れたのだから、嬉しくないはずがない。


「我らモンモン!」

 突然、ショウジョウが声を張りあげた。すると間髪を入れず、手下たちが「「「モールソン!」」」と唱和する。モールソン・ファミリーオリジナルの掛け声らしい。


「やっちゃえ兄貴!」

「竜の膾だ!」

「みんなでポン酢につけて食いやしょう!」

 手下たちが囃したてた。


 モールソン・ファミリーは敵に対してとことん容赦ないが、一方でアットホームと言っていいほどメンバー同士の関係は良好だという話もある。ちょっと愉しそうだ。

シャアァ!》」

 気合とともに、あの尋常でない速度でショウジョウが突っ込んできた。またしても真正面から。きっと小細工が嫌いなタイプなのだろう。


 セレスタは――突っ立っている。なぜか今度はよけようとしない。うそでしょ。だめ。無茶です、斬られちゃいますって!


 ふぉん、と大鴉が唸りをあげた。

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