第七十二話 最前線のフェンミィ

*フェンミィ視点となります


 夕方の草原、テントが大量に立ち並んだそこには、とても嫌な臭いが立ち込めていた。

 淀んだ、腐った血の匂いだ。

 ここはシャムティア王国の南端、人類の国家と国境を接する最前線だった。


 私は一番近くに居た兵隊に話しかけ、目的の場所をたずねた。

 めんどくさそうにその男が示したのは、広大なキャンプ地の最南端だった。


 言われた場所に向かうと、腐った血の臭いは更に強くなっていた。


「おい、ガキが紛れ込んだぞ、何やってんだ」


 テントの周りに、数名の粗末な服を着た女性兵士が居て、その中でも大柄な筋肉質の女性がそう言った。

 匂いで分かる、全員が獣人族だ。

 私は、リュックから封蝋ふうろうされた手紙を取り出して言う。


「リトラ侯爵家のワルナ士爵から紹介されて来ました、フェンミィと申します。

 黒しっぽ傭兵団のガブリさんに会いたいんですけど」


「ああん?」


 大柄な女性兵士が不機嫌そうな顔で近づいて来る。


「その耳はなんだ?

 おいおいおい、オムツでもつけてるんじゃねーのかぁ?

 始めて見たぜ、その年でよぉ」

「がはははは」


 女性兵士達が大声で私をあざ笑う。

 恥ずかしいし、失礼な人達だと思うけど今はどうでもいい。


「ガブリさんを知りませんか?」

「あ?」 


 私が嘲笑ちょうしょうを無視した事が気に食わないのだろう、大柄女兵士の額に怒りの血管が浮かぶ。

 こんなの相手にしている暇はない。


「知らないならいいです」

「待ちな!」


 大柄女兵士が私に手を伸ばす。

 私はそれを避け……たつもりだったのに、気が付くと地面に叩きつけられていた。


「うぐっ」


 何をされたんだろう? さっぱり分からなかった。

 大柄女兵士に抑え込まれ、右腕を極められた。


「生意気なガキじゃねーか、腕をへし折って欲しいのか? ああん?」


 体重をかけられ、私の右腕が悲鳴を上げる。

 でも、こんな痛みに構っている暇などないのだ。


「退いてください、時間の無駄です」

「なんだと?」


 私の対応が気に入らなかったのだろうか?

 大柄女兵士は怒りを増したようだった。


「マジでへし折るぞ」

「ぐっ」


 私の腕を限界までねじり上げて大柄女兵士が言う。

 なんてめんどくさい奴なんだろう。

 謝れば終わるだろうか?


「ごめんなさい。すいません。放してください」

「テメエ、良い度胸だ」


 どうやら火に油を注いだようだった。


「あははは、お前の負けだろグオゥ。その手を放しな」

「ちっ、分かったよ団長」


 グオゥという名前らしい大柄兵士が私を解放する。

 団長と呼ばれたのは新たに現れた女性兵士で、やはり獣人の匂いがする。


 他の兵士と同じ服装で顔も身体も傷だらけだ、ウミャウおばさんと同じくらいの歳だろうか?

 兵士の中では小柄で、私と身長が変わらない。

 この人は話が通じそうだ、もう一度聞いてみよう。


「リトラ侯爵家のワルナ士爵から紹介されて来ました、フェンミィと申します。

 黒しっぽ傭兵団のガブリさんに会いたいんです」

「ガブリは俺だ、なんの用だ? ん? 手紙だと?」


 私が差し出したワルちゃんからの手紙を、団長らしいガブリさんが受け取り、読んだ。


「ふん、ヒヨッコの面倒を見ろってか、ここは託児所じゃねえんだけどな」


 ガブリさんは私を値踏みする様な目で見る。


「まあ仕方ねえ、あの悪魔族の小娘にゃ大きな借りがあるしな。

 だが、今選べ」


 そう言ったガブリさんは、両手で私の襟首を掴んで顔を近づける。

 鼻がくっつきそうだ。


「この手紙に書いてある通り、子守をされて気分だけ強くなって帰るか?

 それとも、本当に強くなりてえのか?」

「本当に強くなりたいです!」


 私は即答した。


「だよなぁ、そういう顔だ。

 たぶん死ぬぞ? それでもいいな?」

「はい」


 迷いなんかない。そして絶対に死ぬもんか。


「よし、荷物を置いてかかってこい。全力だ」

「はい」


 私はリュックを置いて獣化する。

 服が駄目になるけど、いちいち脱いでいたら、この人の気が変わりそうだった。


 地面を蹴って、全力で右の拳を叩き込む。


 ズシンッ

「ぐっ」


 右拳がガブリさんに届いた瞬間、私は地面に転がっていた。

 獣化もしていない相手に、軽くあしらわれてしまった。

 よし、すごく強い人だ、ワルちゃんありがとう。


「全然駄目だ、それで全力なのか? 石火せっかは?」

「出来ません」


 いけない、見捨てられる訳にはいかないのだ。

 ともかく食らいつくんだ。


「すぐ覚えてみせます、どうすれば良いですか?」

「石火ってのはスピードを磨くうちに、自分でたどり着くのが普通なんだ。

 だが近道もある。

 上手くいくとは限らないし、頭や身体の負担も大きい。

 やるよな?」

「はい」


 私がそう言うとガブリさんは獣化し、倒れている私の頭を掴んだ。


「ふっ」


 黒い人型狼となったガブリさんが短く息を吐いた直後、薄暗かった夕方が更に暗くなり音と風が消え、身体が動かない。

 いや、身体は動いていた。とてもゆっくりと。

 ただ自分がイメージしていた動きと、余りにズレが有って気持ちが悪い。


 ガブリさんが私の頭から手を離す。

 景色は元にもどった、その途端!


 グワァアンッ


 今まで経験した事がないような、激しい頭痛と目眩に襲われた。

 頭が割れそうだ、私はその場に胃の中身を全て吐いた。 


「喜べ、筋は悪くねえ。

 もう一回だ。

 いいか? 体は筋肉じゃなくて魔力で動かすんだ。

 同時に強化もしろ。

 まだ低速の石火とはいえ、出来ねえとぶっ壊れるぞ」


 そう言ったガブリさんが、また私の頭を掴もうと手を伸ばす。

 思わず逃げそうになる頭を、意思の力で押しとどめる。


 

 ◇



「そいつは荷物と一緒に、適当なテントに放り込んでおけ」 「へ~い」

「……うううう」


 ピクリとも動けなくなった私を、テントの側に居た兵士が雑に運ぶ。

 あれから合計七回、無理やり石火の状態にされた。


 頭痛と目まい、そして吐き気で気が狂いそうだった。

 でも負けるもんか。



 ◇



「へえ、思ったより元気じゃねーか」


 翌日の朝、大きなテントに作られた食堂で、支給された粗末な服を着て朝食をほおばる私に、ガブリさんがそう言った。

 まだ吐き気が残っている。でも食べなくちゃ駄目だ。


「で? 使えるようになったのか?」


 あの後、私は夜中に自主訓練をしていた。

 ガブリさんは、そんな事は当たり前だと言わんばかりに聞いてきた。


「はい、なんとか」


 私は、かろうじて自力で石火が使える様になっていた。


「よし、飯が終わったら、武器を渡して使い方を教えてやる」



 ◇



 獣化した私に渡された武器は、両手につける篭手こてで、小さな金属製の刃が沢山ついていた。

 それを魔力で操れと言われたのだが上手くいかない。


「自分の身体が延長されたと思え。

 こいつはどんな武器でも基本だ。

 篭手も、刃も、自分の身体だと思って魔力を通すんだ」


 魔力による身体強化は、特に考えなくても生まれた時から自然に出来た。

 だからこそ要領が分からない。

 悪戦苦闘していると、ガブリさんが私の耳を見て言う。


「そんな風に、いつでも耳と尻尾が出しっぱなしだった奴を一人知っている」


 どうして突然耳の話を? 身体の使い方が下手だと指摘されているのだろうか?


「そいつは俺の師匠で、化け物みたいに強かったぜ。

 その耳と尻尾はなぁ、自分が生む魔力が大きすぎるから制御出来なくなってんだよ。

 オメー、才能はあるぜ、自分の使い方を覚えろ」


 耳と尻尾にそんな理由が?

 初耳だった、でも良い話だ。

 よし、絶対に使いこなしてみせる。


「団長」

「なんだ?」


 私が武器の使い方に再挑戦していると、別の兵士がやって来てなにか報告をした。

 兵士が去った後、ガブリさんが私を見て笑いながら言う。


「喜べ、実戦だ」



 ◇



「ド畜生がっ、来るぞ小娘! 石火だ」


 グオゥという名前だった、大柄女性兵士が叫んだ。

 私は彼女の部隊に配属されていて、遠くから凄いスピードで敵の兵士が向かってくる。

 ここはキャンプから十キロと離れていない草原で、全員獣化しており、グオゥは赤く大きな熊の獣人だった。


 私は覚えたての石火を使う。

 なにもかもがスローモーションになった世界で、敵味方の兵士だけが普通に動く。


 事前に一度だけ説明されたハンドサインで、グオゥが私に指示をだす。

 少し下がれ、と待機だ。

 私は指示に従ったが敵の数が倍近い、二名がこちらへ向かって来た。


 敵兵も獣化した獣人だった。

 同族だけど同族じゃない、人族の獣人と殺しあう。

 ここはダンジョンからの魔力が弱い場所なので、必然的にそうなっていた。


 敵が使う武器もこちらとほぼ同じ物で、小さな刃を飛ばして牽制をしてくる。

 二対一、しかも相手の方が速い。

 逃げても無駄だ、戦うぞ。


 おたがい真っ直ぐ突っ込んだが、敵兵は再度小さな刃を飛ばして攻撃をしてくる。

 私が避ける間に、敵は有利な位置へと移動していた。

 そして、魔力で作った爪に小さな刃を張り付けて、私の胴体を切りつけようとする。


 駄目だ、このままだと死ぬ。


 大魔王様の顔が浮かんだ。

 ご自分を責めて、とても苦しそうなあの顔が。



 絶対に死ねない!

 優しいあの人がまた酷く傷つくから!



 もっと速くだ! もっと強くだっ!


 食いしばった牙が砕ける感触がして、敵の動きが遅くなる。

 私の魔法で加速した左手が間に合った、そのまま叩き込む。

 敵の胴体に大穴が開き、篭手と私の腕がミンチになる。

 問題ない、腕はもう一本あるんだ。



 ◇



 当面の敵を殲滅せんめつし、部隊の全員が石火を解いた。

 両手をぐしゃぐしゃに潰してしまった私の所へ、部隊長である巨大な赤熊グオゥがやってくる。


「なにやってんだ馬鹿、殴るなって言われなかったのか?

 もう役に立たねえ、下がって魔法治療師にかかれ」

「はい」


 時間を無駄にしてしまう。一秒でも早く直さないと。

 身をひるがえした私の背中に、グオゥが声をかける。


「おいオマエ、名前はなんつったっけ?」

「フェンミィです」


 私は振り向いて一言答えた後、魔法治療師の元へと走りだした。

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