ショートストーリー:定食屋かしわぎ3

「えっ?」

「酸味がなくて飲みやすいと思いきや、深いコクがあって飲む人を飽きさせない。こんなにうまいコーヒーは生まれて初めてだよ」


 嬉しそうに笑う椿さんは、なぜか少年のように見えた。

 怖そうに見えるけど、実は普通の人なのかもしれない。


「さゆりちゃんのコーヒーがうまいということは、商店街では常識だぞ」

「そうそう、コロッケ屋の鈴木さんとか毎日通ってるらしいよねえ」


 かしわぎのご夫婦の言葉を聞いて、さらに嬉しくなる。

 やっぱり、さゆりさんのコーヒーは評判がいいんだ。俺も、彼女の人気を落とさないように、一杯一杯丁寧に淹れないといけないな。



「今度からは、かしわぎでご飯を食べたあとに、喫茶リリィで食後のコーヒーを頂くことにしよう」

「わあ、嬉しいです。ありがとうございます」


 さゆりさんは元気を取り戻したようで、いつものように穏やかに笑っている。

 椿さんに認めてもらうことができて本当によかった。


 それから俺たちは、コーヒーを飲みながら他愛もない話をして過ごした。一番驚いた話は、椿さんがこの商店街の救世主だったということだ。俺は全然知らなかったけど、わるい不動産屋によって商店街がつぶされそうになっていたらしい。

 

 騙されて借金を背負わされ、追い立てられていた店もあったとか。定食屋かしわぎも被害者の一人だったらしい。


「隆弘くんが弁護士を紹介してくれて、さらに商店街のPRにも力を入れてくれてねえ、この人は本当にすごい人なんだよ」

「人として当然のことをしたまでだよ」


 もっとひけらかしてもいいくらいの功績なのに、謙遜する椿さんがかっこよく見えた。


「椿さんって、とっても素敵で素晴らしい方なんですね。尊敬します」



……彼をかっこいいと思ったのは、俺だけではなかったらしい。

 珍しくさゆりさんが、男の人を褒めている。キラキラした目で椿さんを見つめている。



 もしかして、俺、余計なことをしてしまったかもしれない。

ルックスもスタイルも良くて、すげー会社の副社長で、さらに商店街の救世主。

 商店街を愛するさゆりさんにとって、救世主であるということは高ポイントだろう。


 どうしよう、さゆりさんが彼のことを好きになってしまったら。

 さらに椿さんも彼女のことを好きになってしまったら。突然押し寄せる嫉妬の波に飲まれた俺は、みんなと楽しく話ができなくなってしまった。



「あらやだ、もうこんな時間じゃないか」

「本当ですね、長く引き留めてしまってすみません」


 時計の針はもう夜の十時を回っていた。

 

「もう外は暗い。今日は車で来ているので皆さんを送りますよ」

「じゃあ、さゆりちゃんと冬馬くんをお願いするよ。わたしたちは歩いてすぐだから」と、かしわぎご夫婦は歩いて帰っていった。


 俺とさゆりさんは椿さんのお言葉に甘えて車で送ってもらうことになった。

 二人とも徒歩圏内だから断ったけど、「子供と女性を独りで帰すわけにはいかない」と椿さんに断ることを断られた。


 椿さんの車は予想を裏切らない外国車だった。副社長ともなると、生活の質が違ってくるのだと実感する。

 さゆりさんの中で、また椿さんの好感度が上がってしまったんだろうなあ。ため息をつきたくなるけど、狭い空間だと目立ってしまうためぐっとこらえた。



「送っていただいてありがとうございました。では二人とも、お休みなさい」

「おやすみなさい」


 先にさゆりさんをおろし、次に俺の家へと向かった。恋のライバルかもしれないと思った瞬間、愛想よくできなくなってしまった。椿さんに話しかけられても「はい」とか「そうっすね」としか言えない。


 子供っぽい自分がまた嫌になる。



「宇垣くんは、本当にわかりやすい少年だな」

「どういう意味っすか?」

「安心してくれ。君の大切なお姫様を奪ったりしないから」

「おおお、お姫様って!」


 突然飛び出してきたキザな台詞に耳まで赤くなる。

 そして、俺の気持ちが椿さんにバレていたということも恥ずかしい。思い返してみると、椿さんだけでなく、いろんな人にバレているような気がする。俺って、わかりやすいタイプなのだろうか。



「俺には可愛い婚約者がいるんだ。今度喫茶リリィに連れてくるよ」

「そうなんですか。……でも、椿さんがそうでも、さゆりさんの気持ちはわからないでしょ?」

「それはその通りだ。だが、男だったら嘆く前に“好きな女を振り向かせてやる”と奮起すべきじゃないか?」

「たしかに、そうかも。椿さんって、すげーカッコいいっすね。マジで尊敬しました」

「大げさだろう。でも、ここで出会ったの何かの縁だ。何か悩みごとがあったらいつでも相談してくれ」



 家の前に車を停めると、椿さんはカードケースから一枚名刺を取り出して俺にくれた。

 

「ありがとうございます! これからもよろしくお願いします!」

「ああ、こちらこそよろしくな」

「あと、家まで送ってくれてありがとうございました。おやすみなさい」

「おやすみ」


 俺は椿さんの車が見えなくなるまで、外で見送っていた。

 大人の人に初めて名刺をもらった気がする。しかも、あんなにかっこよくて素敵な大人の男の名刺だ。


 さゆりさんのことや、学校のことで悩んだら連絡してみようと思った。



 また、喫茶リリィで新しい人との絆が生まれた。

 やっぱり、あのお店は、人と人を繋ぐ場所なんだと改めて感じた夜だった。




おわり

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