1.新卒サラリーマンに癒しを~竹内という男4~
竹内さんと名刺交換をしてから、小林さんのテンションはぐいぐい上がっている。正直、さゆりさんにサービスしてもらったときよりも嬉しそうである。さゆりさん自身もそれに気づいているようで、少しムッとしている様子だ。よほど、嫌いな竹内さんに負けたのが悔しいんだろう。
それにしても、竹内さんが有名人だったなんて知らなかった。いったいどんな本を出しているのか気になる。“イケてるビジネスマンになる法則”というタイトルはダサい気もするが、売れているのだろうか。バイトが終わったらすぐにスマホで調べてみよう。
「ビジネスは難しく考えがちだが、根底にあるのは人間関係だよ。常に相手の立場に立って物事を見ることができれば大丈夫。あとは、どんなに緊張していても堂々とすること。自信がなくても、自信たっぷりに笑うこと。これだけで最高のビジネスマンになれるよ」
「はい! 竹内さんのお言葉を心に刻み、次の営業に活かしていきます! 本当にありがとうございます。……あっ、僕はそろそろ会社に戻りますね。えっと、会計は」
「今日はサービスなので大丈夫です。また次回、よろしくお願いいたしますね」
「何から何まで、本当にありがとうございます。店長さんに優しくしてもらったことも、肉じゃがの味も一生忘れません。必ずまた来ますね」
帰り支度をする小林さんに、かけてあったジャケットを手渡した。彼は俺にも「一緒にご飯を食べてくれてありがとう」と笑いかけてくれた。
その表情はとても晴れやかで、なんとなくだけど、この人はもう大丈夫だと思った。
「では、また必ず伺います」
小林さんはそう言い残して、店から去っていった。
「竹内さん、すごい人だったんすね! カッコよかったっす」
「アルバイトくん、ありがとう。でも大したことはしていないよ。私は迷える子羊に手を差し伸べただけさ」
竹内さんは謙遜しているけれど、得意げに髪をかき上げたりとまんざらではない様子だった。
「さゆりさんも、何か悩みごとがあればいつでもご相談くださいね」
「ええ、ありがとうございます。それより、竹内さんも会社に戻られたほうがよろしいかと。社員の皆さまがお待ちですよ」
「……たしかに、可愛い部下たちのためにも戻らないと。ごちそうさまでした」
さゆりさんは相変わらずの塩対応だった。竹内さんは“かっこよかった”って一言がほしかったんだと思う。竹内さんはカウンターにコーヒー代を置いて、とぼとぼと帰っていった。ライバルだけど、やっぱりちょっとだけかわいそう。
店に誰もいなくなると、さゆりさんはふう、と小さなため息をついた。
「私もまだまだですね。どんなお客様にも気の利く言葉を言えるようにならないと……」
「だったら、竹内さんの本を読んだらいいんじゃないですか? いいこと書いてあるかもしれないっすよ」
「それは絶対にお断りです」
「……あの、どうして竹内さんにだけ冷たいんですか?」
ずっと不思議に思っていたことを質問してみると、さゆりさんはふくれ顔で、
「あの人、すごく女癖が悪いんですよ。友達が彼と付き合っていた時期があったんですけど、友達はいつも泣いていました。私が元カノの友達だって、あの人は知らないみたいですけどね」と教えてくれた。
なるほど、そういうことだったのか。たしかに、大事な友達を傷つけた男は信用できないと思う。たとえどんなにお金持ちで、仕事が出来て、かっこよかったとしても、だ。思いやりのあるさゆりさんらしい理由だと思った。
「それにもともと、ああいうチャラチャラした人は苦手なんです」
「お、俺は、大人になっても絶対にチャラくなりませんから!」
「ふふ、冬馬くんはぜひ爽やか系男子になってくださいね」
「はい、かしこまりました!」
……ということは、さゆりさんは爽やかな男がタイプなのかもしれない。少なくとも、チャラい男が嫌いということはわかった。バイトが終わったら近くの書店で爽やか系男子になれそうな雑誌を買おう。竹内さんの本は……探さなくてもいいか。
この際だから、さゆりさんにもっと質問をして情報を聞き出してみよう。例えば誕生日や好きな食べ物、昔入っていた部活なんかも知りたい。
「あの、さゆりさんって――」
「――さゆりちゃん、お疲れえ」
タイミング悪くジジィトリオが再び来店してしまい、二人で話をする時間がなくなってしまった。
「いらっしゃいませ。皆さん、お仕事お疲れさまです」
でもまあ、いいか。さゆりさんは接客をしているときが一番輝いているから、お客さんが来てくれたほうがいい。たとえ二人きりになる時間がなくて、彼女と距離を縮められなくても、幸せそうな彼女が見られるならそれが一番だと思った。
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