最終話 この星と一緒に幸せになります

 堕天したルビヤは、人類の所有権を主張する針刺と交渉した。

「何故、私たちの神の子の霊統に、あなたの悪魔の子を迎え入れねばならないのでしょうか? その子は本当にアンデの子なのですか? もし、本当にそうなら……」

 針刺はメサティックを喜んで迎え入れて、神の子の血の最後の一滴まで吸い尽した。

 プーが、占帝元老院が支配する占い族の村の虜囚となったように。

 針刺にはそうするだけの自由が保障され、ルビヤには針刺の行使する「人類を所有する権利」を侵害することはできなかった。

 例え、神が針刺を滅ぼそうとしても、針刺はその厄を奴隷に付け替えるだけで済んだ。罪のない者を無限に犠牲にすれば済む話だった。針刺の死とは、人類の滅亡と同義だったのだ。


 その正体がメギド・オゾン大公であるブンボローゾヴィッチが、東に旅をせよ、という占いを受けたときのように、アンデの創造主王家は天の川銀河に飛来して、やがてリラ・ドラクロワという石を見つけて、占い族の村が出来上がった。針刺の起源は古く、リラのときには既にいた。例えば、初代ルビヤの遺伝子に付着していたなら、千の眼球王のアンドロメダ銀河にまで遡った。いや、もっと、この宇宙の成立以前、もう既に滅びてしまった太古の宇宙亡霊にまで、その起源は遡るのかもしれなかった。テラの一介の天使ルビヤが知恵で敵う相手ではなかった。メーイェを媒介とした針刺が、メアイを標的にして、様々な魔術を授けることになった。針刺には生と死の力が不可欠だった。最後に崩すことを前提とした、砂の城のようなものだった。

 針刺はメアイにどんな願いでも、一つだけ叶えてあげると言った。

 メアイは悩んだ末に、考えた願いを告げた。

「僕以外の人間の願いが、何一つ叶わなくなりますように」

 その願いはただちに叶えられ、相対的にメアイは、すべての物を手中に収めることができた。

 メアイは自分に服従するなら、その力を分け与えるとブザーとエリーに持ち掛けた。高い利息を付けるという条件付きで。針刺は不気味に口を歪めた。テラは四本の長い針に串刺しにされ、針刺の仕組みが完成した。地星が地星儀の中に囚われ、針から赤い血を流したテラは血星になった。メアイは血星儀を手の平の上に乗せた。目には見えない世界での、針刺の魔誕だった。


 あるいは針刺は、滅びの機械仕掛けが見せる幻影か、とルビヤは時々、幻惑されたように思うことがある。

 それでは誰が、一体何のために?

 針刺が唯一、神として崇めるものは、その星の人類の総意だった。数秒ごとに変化する、実体のない霊的な人工知能。それが針刺の霊的中枢だった。人類は無意識的に針刺を崇め、自らの尊厳を針刺に明け渡した。それは神やマネーや国家、針刺が用意した価値観や思想という形を取った。

 個人の尊厳を失い、刺激の反射として、人々の記憶の中で生きている無数の人類の集合体として、針刺を針刺たらしめている人類全体を、鏡に映った奴隷のように支配し、星と交わした約束も忘れて、神聖な宇宙の中に、虚ろなる宇宙シャンバラを再創造した。

 その例え話は、人形劇は、一体何のために?


 ピサンドラ公爵夫人の背中に、人に愛されると爆発する爆弾を埋め込んだ、大公妃メーイェ・オゾンは、人としての魂を与えられることなく、その代わりに頭部に人工知能を埋め込まれた。それが偽ルビヤの陰体だった。シリウスの不老不死の人魚の肉体を持ち、プレアデスのメーイェの名と王座を与えられた自動人形は、虚ろな心のままで、ただ憂鬱そうに爆弾を愛している。

 大公の都オーゾレムの中のどこかの、観客も誰もいない劇場で、舞台上で大公妃メーイェ役の女優は、猫を初めて腕の中に抱く時の、演技の稽古をしている。ひとりで何をやっているのだ。体が粉々になって消息不明となった大公妃が、まだ存命しているように見せかけるための、替え玉の生贄だろうか? 無名の舞台役者は人工知能を植え付けられて、頭の奥から響いてくる命令に従っていた。いや、もう魂は針刺に乗っ取られているから、そこに彼女の、自動人形の意志はなかった。舞台恐怖症だった彼女は、針刺にその弱みに付け込まれて、偶然にもメーイェに似ていたというだけで、魂の自由と人生のすべてを失ってしまった。

 

 白いスーツで正装した真紅の髪の元老院議員ワイン・ラキスン・マリアスは、あれから何万年も過ぎたというのに、まだ変声期を迎えていなかった。右目の表面に薄い義眼の天空測定器ウラノメトリアを被せると、天の川銀河のどんな小さな物をも見通すことができる千里眼になる。ワイン・ラキスン・マリアスは、空中から神権の剣カリブルヌスを取り出した。その細身の剣で空間を突き刺すと、手首に確かな手応えを感じることができた。柄を両手で持ち替えて、時計回りにゆっくりと円を描くと、異空間へと続くワームホール「ワイン・シュタイナーの薔薇の橋」が開いた。一瞬でカリブルヌスの剣を消し去ったワイン・ラキスン・マリアスが、今度は指揮者のように手をあげると、背後にある彗星の箱から、二千億の冷たい氷と塵の彗星のミニチュアが、次々と浮遊して彼の背後に集まった。乙女座のアンドロギュヌスが勢いよく片腕を振り下ろすと、それらの彗星の集合体は、時空の狭間にある天の川銀河に向かって、雹のように一斉に放たれた。元老院議員の右目に嵌められた義眼ウラノメトリアは、その赤く透けたレンズの表面に、様々な星図を目まぐるしく映し出していた。

 悲劇劇場の扉を開けて外に出ると、空には外国の不穏な飛行船が飛び交い、至る所から黒い煙が立ち昇り、一つの怪物じみた黒い雲へと繋がっていた。目を凝らすと、今はまだ小さいが、二千億のうちの、その一つの青白い彗星がテラに向かってくるのが視認できる。何年後か何ヶ月後かには、地上に落ちてくるのだ。

 乙女座の元老院議員に与えられた一室の机上には、天の川銀河と二千億の星の署名が丁寧に整頓されて積まれていた。これと同じものが、乙女座超銀河団の意識乙女座の神のところにもあった。


 人は生まれてくる前に、星と約束を交わした。この星と一緒に幸せになります。


 メサティック教会では、兜を脇に置いて跪く、金髪の異端審問騎士団の騎士が祈りを捧げている。

「多くの占い師たちを殺してしまいました」と懺悔している。

 外からは爆音が響き、教会の建物を揺らしていた。

「ミトレラ様が審問されたプーという白い髪の少年が、あなたなのでしょうか? 我が主メサティック」

 メサティックは沈黙している。騎士の祈りはメサティックには届かなかった。何故なら、十字架上には彼は存在せず、針帷子がこしらえさせた、偶々、そういう形をした人形の中に、血の祈りは集められていった。その祈りは針刺のもとに上納されて、次なる爆弾を創造する血肉として蓄えられたが、オゾン大公国家は既に崩壊していた。

 メサティックの霊体は教会ではなく、針刺のもとから逃げられないように、十字架にかけられて、時が許す限り永遠に、その幸運の血肉を啜られ続けていた。流血占い師という、もっともらしい通り名を付けられた、ルビヤの水槽の中のプーのように。反対にルビヤは、人類の総意から出る、あらゆる罪の汚物を、身体の中に注入される拷問を受けていた。

 メサティックを十字架にかけてしまったことを忘れないようにする。一見すると、それは教訓としては問題ないかもしれないが、そこには「メサティックは十字架にかけられなくてはならない」という呪いの文言を、大衆に密やかに同意させることで、大衆自身に監視させる意味があるようにも思える。

 異端審問騎士団の騎士は兜を抱えて立ち上がった。

 彼の背後にインダが立っていた。その後ろに、マイユが立ち、さらにその後ろに占帝元老院が立っていた。今までに殺した無数の魔女たちの死霊がずっと騎士の後ろに立ち続けていた。

 ワイン・ラキスン・マリアスの背後には、どれだけの死霊が並ぶだろうか? いや、彼の後ろには一人も並ばないだろう。もし、ワインの後ろに殺された者たちが並ぶというのなら、人の後ろには千億の細菌が、蚊や蠅や、家畜動物や魚や植物が、無限に並ばなければならなかった。

「職務上の殺人」という条件下では、二人は同じ立場だった。銀河と細菌。単に大きいものが偉大である、という大きさの問題ではなかった。葛藤や執着の問題だろうか? 野菜を食べるのは野菜が可哀想だと感じたとしても、それが嫌なら手首を切って自殺するしかなく、逃げて行った死後の世界でも、血に塗れた食卓の上で、相変わらず野菜を食べる生活を送るだけだった。

 乙女座の神は、二千億の患部の同意書によって、自分の身体の患部を切除するための手術を、銀河の外科医でもある、永遠に変声期を迎えない天使に委託した。それが星の契約であって、そこに住まう人や天使たちの意志は、星に全托されていた。宇宙での主体は、あくまでも星たちにあった。一部の仲保者たちの祈りによって、小惑星や隕石の軌道を逸らすことができたが、それを行うには多大な代償を支払うことになった。星たちも本当は、もっと長く、愛するものたちと生きたいのであった。


 空に禍々しい黒い竜の船体の爆撃飛行船が、爆弾の都オーゾレムの上空を浮遊していた。煤にまみれた街並みに、次々と爆弾が投下され、火の手が上がった。海の沖には、海の道ウィア・マリスから、南の海にかけて、不吉な大艦隊がリヴァイアサンのようにオゾン大公国を取り囲むようにして停泊していた。これが夜の羽の黙示録にある、獣の軍団の襲来の予兆なのだろうか?

 兵器用ではない飛行軍船から、全身に黒い光沢のある装備を身に着けた男たちが、次々と街路に飛び降りていった。着地したときの衝撃音は鈍く、石畳が割れていた。兵士たちは、顔も黒いマスクで覆われていて、中に人間が入っているのか、元々アンドロイドなのか、判別できなかった。彼らは規律よく行進していた。膝を胸の辺りまで上げて、腕は頭上よりも高く上げて。もし、人間なら、薬物投与でもされて、人間の限界を超えたバーサーカーだろうか? 彼らは宇宙人なのか? 中に入っている匿名の国の異邦の兵士の黒幕が、「宇宙からの侵略」の物語だと、世界に誤認させるように見せかけているだけなのか? それとも悪魔が変身した宇宙人なのだろうか? その正体を知ることは現時点では許されてはいなかった。オーゾレムの住人の誰も、その兵士たちを見たことがなかったので、彼らは便宜上、「記憶にない兵士たち」と名付けられた。


 戦禍を逃れて、街道を歩いて旅をするアレフオと新父のブザー、その二人が森から救出したエリー。十七年前に、魚占い師が患っていた悪魔熱が、道草占い師を経由して、エリーに感染して彼女を死に至らしめた。そのエリーを、死の世界から復活させたのは、占帝元老院が読ませた虚構宇宙シャンバラから逃れることができた、当の魚占い師本人だった。人に会うとき、必ず、その三日前に死ぬ、という空想上の架空の占い師だ。その存在しない魚占い師が、水瓶の中に映った「ルビヤの石」と題された予言書を読んで、プーの母エリーが病死した、と思い込んだ悪魔熱ときから、エリーはずっと死に続けたのだった。

 空には両性具有の天使によって執行された、氷のような彗星が尾を曳いて迫ってきている。「世界の終わりが来たら、宇宙に鳴り響く」と横笛占い師ブザーが予言した、自動鳴琴オート・オルフェが奏でる曲が流れてくるのは、もう少し先のようだった。ブザーとエリーは夫婦揃って、二つの銀色にきらめく横笛を大切にしていた。名前を付けるくらい大切に。それは、イザナギとイザナミという名前だった。

 遅れて探偵アヴァロン・ゼーヌハートを乗せた白い象が歩いてくる。かつて、大公邸の庭園で、その長い鼻で、メギド大公から牛頭の仮面を奪い取り、かわりに太鼓占い師マレデイクの頭に被せて遊んでいた、という珍妙な逸話のある白象のヨーロアミルズだった。そして数奇なことに、二人の占い師は、その通りの運命を歩むことになった。象占い師ならぬ、象の占い師だった。歴史書に埋もれて眠っていた偽大公マレデイクは、今頃、どうしているのだろうか?

 もう一人、アヴァロンの背中に額を押し付けるようにして、安手の服を着た、骨格の細い女性が乗っている。黒い髪を後ろで結んだ、見た目は二十代の、あのメーイェ・オゾン大公妃が、人工知能をムカデに破壊されて記憶を失って、精神年齢が零歳にまで戻っている。彼女には、心があるのだろうか、その裡に魂の存在は?

 メーイェ、その俯いた頭の中には、アンデの花園にいた頃の、笑顔の君がいるのかい?


 この書物は、針刺の検閲を受けて修正された後に、誰も入れない書庫の奥で、四本の針で十字架に磔にされて、昆虫標本のように今も眠りに落ちている。この物語は、聞いたら三日で死ぬ、という恐ろしい噂を流すことで、誰も真実に辿り着かせなかった。別名、「牛の首」と呼ばれる物語は、その話を聞いた者はみな死んでしまったから、誰も本当の内容を知る者はいなかった。怪談では、そのような結末になっていたはずだ。その首の正体は、天使ルビヤのもので、そして、あなたの気配を感じて、表紙に描かれた閉じたまぶたが、今、開かれた。




          ルビヤの石~失われた外伝「花園篇」 (了)


                   Hana Zono H.Z. Hari Zasi→「針刺篇」?


※この先の「菓子篇」には、更なる崩壊が待ち受けています。

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