第95話 願望まみれの黒い翼

 メアイたちは、自らの堕落の責任を天使に転嫁することで、自己を正当化する嘘をつく、という知恵をつけました。天使たちは自分たちが創造した人間が嘘をついたことに驚きました。ルビヤは人類を堕落させてしまった親としての責任を取るために、やむを得ず、悪魔の汚名を被ることになったのです。それ以降、人類は罪から逃れるために、善悪の概念という虚構の論理を編み出して、善という名の罪を永遠に繰り返すことになったのです。向き合いたくない真実は意味のない記号まみれのお伽噺に隠され、魂の寄り合いの書は歪曲されました。ルビヤは人類始祖に性的な誘惑をしたことになっていますが、天使たちは何億年もの罪清算の宇宙彷徨の末、その生殖器はすでに退化しているのです。多くの神話や物語が創作され、存在しない善悪が神代から存在すると語られました。神に戦争責任を転嫁して血みどろの戦いが正当化され、神の名のもとに、虐殺や独裁政権が正当化されました。国内で災いが起これば、自分たちの因果を省みることもせずに、魔女のせいだと責任を転嫁しました。魔女狩りを正当化させ、罪のない人の怨念を魔女と呼び、魔女を恐れる人々こそが、無限に魔女を創造しました。異端審問、異教徒狩り、拷問によって精神が破綻して廃人になった者を、悪魔憑きと呼んで忌み嫌いました。人にとって都合の悪い存在や、理解できない、耐えられない事実は、悪魔の行為と見做されました。悪魔が滅びれば、人は罪を犯さなくなるとでも?

 占い族にとっての、占いの神が、占い族の村の総意であったように、人類にとっての、悪魔ルビヤという妄想は、人類の総意によって形成されたものだったのです。


 人類の総意である偽りの神々は、天使を悪魔呼ばわりしてきたことを認めてしまったら、魂の死を意味するかもしれないと恐怖し、覆いをかけて隠し通したかった。直視しなくて済むように穢れた存在として遠くに追いやり、ルビヤを犠牲にした疚しさを忘却しました。ルビヤたち堕天使もまた、それを理解していたからこそ、人類の罪穢れを一身に背負って、我が子たちに悪魔呼ばわりされる苦しみに耐え、光の届かない地の底にまで追いやられました。時には魔物として英雄に殺されながらも、原型を留めていない化け物のような姿で、闇の十字架を背負って、アンデの神々として人類を導いてきたのです。でもそれでは、神の子の繭は、永遠に羽化することがないのです。人類の霊的成長は、単に別の形態に変化しただけで、実は本質自体は全く変わらずに、全体的には時を止めたように永遠に、その報いを受けるまで静止していました。ルビヤはずっと、宇宙と人類を天秤にかけて見守っていたのです。宇宙の裏切り者となるか、子殺しの悪魔となるか、ゆるやかに宇宙が腐敗していくのを見て、どちらを滅ぼすか、時が許すそのときまで。


 九つ目の大罪は、『責任依存』です。確かに自己犠牲は尊い愛の形ではあるのですが、その外側の輪郭は他人を犠牲にすることを善しとする者たちによって、美しく神聖化されて描かれているのです。そのことによって人は、本来誰にも備わっている神の子としての神性を自ら放棄して、腕から血を流す犠牲の神なくしては生きられない、晩餐を授かる子になることを選び続けたのです。そのようにして人類にとって理想的で、人類の都合の良さの中でしか生きられない人造の神が生まれました。都合の良さから一歩でも外にはみ出してしまうと、悪魔として排除されてしまうのです。彫刻のように、磔にされたように動くことのできない哀れな神が、人々に崇められていったのです。それは神の信仰を装った、自らの都合の良さへの依存です。

 堕落の責任を悪魔に転嫁し、罪の清算を神に依存する世界を望む者は、自分自身に罪の責任がないと信じていたいだけです。だからその願いを叶えてくれる虚構をいつまでも信じるのです。

 自ら記憶喪失になった人類の総意が、もはや他者による救済がないことや、悪魔ルビヤが冤罪であった現実に耐えられるはずもなく、それ自体を詭弁を弄する悪魔の惑わしとして錯覚し、もういちど記憶喪失の揺り篭の中に眠るのです。催眠術を自分自身にかけて、偽りの優しさの中に。この世に救いを求めることができない時代だったからこそ、どのような罪に対しても万能な、初罪消滅者メサティックは人類の総意に受け入れられたのです。ルビヤの使いである神の子メサティックに、人々の数と同じ数だけの願望まみれの黒い翼を纏わせて、決して神の意志の働かない人形を創り上げたのです。それは神の計画でも何でもない。一人の生身の人間が人類の総意によって、なぶり殺しにされただけです。当時の人々は、その疚しさから救われるために、『メサティックは神の計画によって人類の犠牲になった』と思い込もうとしたのです。自分の子が殺されて喜ぶ神などいない。むしろ神の計画が失敗したから、そうなったというのに。メサティックを十字架にかけたのは、神々でも何でもなく人類の総意でした。そのために人類は二千年前に滅亡するはずでしたが、やむを得ずメサティックは因果律を超えて、人類の罪の許しをアンデに執り成して二千年(六百六十六年×三)だけ滅びの回転を止めたのです。それは人類が自らの人類史の罪を、自分たちで清算するために与えられた期間でした。生かされていることが、すでに救いだったのです。けれども人の子たちは、その滅びないことが約束された世界で、何が救済なのか、何も理解できないまま、親子で兄弟で恋人同士で、当たり前のように争いを始めました。その様子を針帷子が感知して世界中で負の力を集積し、集められた負の力は針刺にまで運ばれ、罪の鏡映しとして、大きな戦争を世界に反映させました。いつか苦しみを終わらせてくれる救いがやってくるのを夢見て。時空の彼方で、罪の清算代行者『神』が現出するのを夢見て。その夢を目覚めさせる、都合の悪い真実『悪魔』など許されない。それが人類にとっての総意でした。

 

 メサティック暦二千十九年、因果律は元に戻され、メサティックの契約期間は終了し、彼の霊体は十字架から降ろされます。ルビヤたち堕天使は、針刺の牢獄から解放され、父なるアンデのもとに帰還しました。今は特定の神の子が必要とされる時代は終わり、誰もが神性を内に秘めた神の子になれる時代を迎えました。責任転嫁も責任依存も許されることがなく、神の子に至る道は、自己責任で完成された世界です。そもそもの初めにメアイとメーイェは、神の子になるように天使に養育されていたのです。人類が滅亡する前も滅亡した後も、理想的で万能の救済者は現れることはありませんが、人類の総意の願望から産まれた逆さメサティックは、いつか天空に蜃気楼として現れるかもしれません。針刺に搾取された者の怨念の集合体・呉公ムカデインダによる世界侵略は、泥棒のザナンタによって防がれましたが、オゾン大公邸が崩壊することでオゾン兵器条約が不履行となって、五大国間の秩序が乱され、同様に高次元王族の秘密会議・針刺と針帷子も崩壊しました。今までは、互いに戦争を儀礼的に仕掛けて、罪の清算と血の上納を行ってきましたが、これからは混沌のうちに破滅の道を辿ることになります。人類が一番初めに吐いた嘘の代償が、滅びという形で執行されたのです。それが長らく待ち望んでいた針刺の願いであり、星はその願いを叶えるだけです。この星の因果律が正常に運行されるようになった後では、人類とメサティックとの契約に二度目はありません。泉に鉄の斧を放り投げても、女神なんて現れません。人は成長したら、古い衣を脱ぎ捨てなければならないのです。人類の総意は延命するために、共犯関係にある末端から犠牲にするでしょう。いつから人類は、自分は神に救われて当然だと、果てしのない錯誤状態に陥ったのでしょう。滅亡の道もまた、一つの学びなのです」

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