第62話 鏡の中の物まで盗もうとするとは

 大公妃の寝室の前まで辿り着いた。扉の左側に槍を持った石像が飾ってあった。無論のことドラクロワだった。その扉の右側には鏡が嵌め込まれていて、フィガロの顔が覗いていた。フィガロの顔は疲れきっていた。

 ジュリアンは鏡が映した恐怖の意味に、一瞬気付かなかった。

 こんな恐ろしい鏡は、この世には存在しない。今は、フィガロはジュリアン・サロートの顔の皮を被っているはずだった。

 これは鏡ではなかった。

 鏡を覗き込もうとした女を描いた絵画だった。それもジュリアンが失くした本当の顔フィガロの。絵画は『鏡の中の盗賊フィガロ』と題されていた。

 絵の中のフィガロの両目が赤く光り出した。その様子をまともに見てしまったジュリアンは、血の涙を流し、意識を失った。ジュリアンの正体すらも見越した占いと魔法の閃光弾を組み合わせた罠だった。はるかな過去で硝子の塔のエリー・ストーカーの両目を失明させた、あの閃光弾だった。

 ジュリアンの行動は占われていた。石の赤子デックスを贈り物として送ったときから、ウラギョルは大公妃に飼われていたのだろうか。それとも大公直属の宮廷占い師がいたのだろうか。

 慌ててフィガロの後を追ってきたアレフオも、扉から現れた魔力を持った腕どもに、押さえつけられて投獄されてしまった。

「鏡の中の物まで盗もうとするとは、欲張りな盗人だな」とオゾン大公国魔法宰相マイユは言った。

「仲間は他に何人いる。尋問するまでもない。嘘を吐かれても困るからな。お前を占ってやる。盗賊上がりの革命家。お前が秘密結社員にして魔術師、ヒュプノスを崇める異教徒、異形の地底人と交信していることも、すべて占い済みだ。この継ぎはぎだらけの偽救世主め。そっちの大男も後で占ってやる」

 両目の視力を失ったフィガロは手榴弾のピンを抜いた。

「さっきの奴から爆弾を盗んだ。あたしが敵さんの獲物を使わないと思ったか?」

 宰相マイユは爆風に巻き込まれ、牢獄の天井近くまで吹き飛ばされていた。

「これは? 今、何が起こった?」

 占王邸の占いの間でも、占王マイユは天井近くまで飛ばされていた。どうやら自分は爆破されたのではなく、猫が驚いたときのように垂直に高く飛び上がっただけだったことに気付いた。椅子に座ったまま眠りこけていたアレフオは目を覚ました。

「アレフオ。僕は今どこにいた?」

「どうかなさいましたか? マイユ様」

「ああ、もう夜明けだ」

 アレフオが胡乱そうな顔で主人を眺めている。

「今のは、夢か? 僕の占いか? そうだ、僕は地下牢でお前に出会った」


「起きてください。宰相様」

「どうした。フィオーレ?」

「宰相様が占われた賊が罠にかかったようです」

 マイユはそのとき大公妃に仕えていて、フィガロとアレフオの過去を調べるために牢獄へ向かった。


「僕はオゾン大公家の専属の占い師? では今、占王になってここにいる僕は一体誰だ? 記憶がおかしい。僕は何故ここにいる? 数年前までは、僕はオーゾレムの都にいたはずだ。あのとき、誰かが僕に会いに来た。プーだ。思い出した。プーが占い族の村に来ないかと誘ってくれたんだ。プーは僕の名前や金貨占い師をやっていることまで知っていた。プーは『君は占い族の村にとって必要な人間になる』と言ってくれた。僕は嬉しかった。急いで荷物をまとめて、借家を引き払った。違う。僕は占い族の村へは、行っていない。そんな村があることなんか知らなかった。それに僕はプーという占い師を知らないぞ。誰だ、そいつは? 僕は、オゾン大公妃に拾われたのだ。行方不明になったデックス公子を占いで探すように大公妃に頼まれたのだ。デックス公子はさらわれていた。誘拐犯はザナトリアという占い師だった。僕は裏をかき、ザナトリアからデックス公子を取り戻した。十年も前のことだ。その功績で僕はオゾン大公国の宰相になったんだ。オゾン宰相マイユ様。それが僕だ。占い族の村には行ってはいない。その僕が何故こうして占王なんてやっている?」


 マイユは自分がどうなってしまったのか、アレフオに背負ってもらって、人形占い師のベーテ・スキャーネルのもとを訪ね、事の次第をすべて話した。

「マイユ。君は今、二つの記憶を持っていると言ったね。それは今の君が辿らなかった、もう一つの君の過去だ。君は取立て人を占うことで、隣の運命に住むもう一人の君自身をも覗いてしまったんだよ。アレフオが特別なだけで、君には異常はない。何らかの理由で占い族の村が存在しない世界なんだ。騒ぎ立てるようなことではないよ、占王」

「眠りの騎士団という騎士団を知っているか? ジュリアン・サロートという男のことは? それと秘密結社ハーリカ=タビラはどうだ?」

「知らないね」

「ありがとう、ベーテ。お前がいると助かるよ。そうだ。プーが死んで、龍の座がお前に繰り下がるから、『龍の徴』を受け取ってもらわないとな。よし、アレフオ。次はプーの家に行くぞ」

 あのとき、占いの世界の僕は死んだのか? そしてハーリカ=タビラの魔術師も、やはり死んだのだろうか?


 今は空き家になっているブザーとプーの家に、マイユとアレフオは踏み入った。

 マイユはプーの部屋から、ブザー宛てのプーの手紙を見つけた。マイユは失敬して、封を切り、生前プーの書いた手紙を読んだ。


「父様、僕は言いました。大公妃が飼い猫を探していると、猫を見つけることは誰にもできない。大公邸に足を踏み入れてしまったら、二度と外に出ることはない、と。書簡は破り捨てたほうがいい。僕はそう忠告しました。でも父様は、誰かが占わなければならない、と言いました。なら俺が行くことも知っているな、と答えました。僕は首を横に振れませんでした。父様が真っ先にこの話に飛びつき、牢獄に幽閉されることを占いによって、知っていました。そんなこと、恐ろしくてとても父様に言うことはできない。でも僕は、だからこそ父様には行ってもらいたくはなかった。それが無駄だということは承知していても、黙っていることはできない。何故僕の占いは確実に当たってしまうのか。僕は占いをすべきではないのに、何で占ってしまったのだろう。父様はすべてを受け入れていると言いました。『俺が忘れていたら、思い出させてくれ。父様、忘れていますよ』と。僕はもう占うことができない」

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