第60話 大公邸には独りで行かなくてはならない

 ジュリアン・サロートは灯台の光が灯っていないことに焦りを感じ始めていた。他人の顔の皮を盗み、ジュリアンと名乗ったフィガロは行き詰っていた。『黒猫の舌』を解散させ、眠りの騎士団を率いたが、盗賊の論理しか持ちあわせていなかったフィガロは、何をしていいのか分からなかった。盗もうと思った眠れる書物は、メサティック修道会の禁書院にも、どこの貴族の書斎にもなかった。

 フィガロは眠れる書物の意味を知ることもなく航海に出て、灯台なしの暗い海流に呑まれながら、神の許に行こうとしていた。眠りの騎士団や神の王は、世界を治める新しい国家を建てる武装集団とその統治者くらいにしか思っていなかった。

 フィガロは大公国を転覆させようと考えていた。盗賊の寄せ集めに過ぎない偽りの眠りの騎士団だけで、神の王の国を造ろうとしていた。神の王の意思を継ぎ、虚構を焼いて創った王によって。

 あたしは何でこんなことをやっているんだろう。

 フィガロは地下牢で出会ったジュリアン・サロート本人やミトレラと交わした約束を思い出していた。ただの盗賊が何を馬鹿げたことを。そんなもの投げ出しちまって、元の盗賊に戻りな、と少女の頃のフィガロが蘇って、今のフィガロを苛んだ。

 フィガロは首を横に振って、顔をジュリアンの顔に戻した。酒場への階段を降りていくと、醜い顔の男が杯を傾けていた。ウラギョルという名前の占い師は、ジュリアンを一目見て占いたいと申し出た。

「まさか。眠れる書物の人間が現れるとは」

「眠れる書物。私を苦しめるそれは一体何なんだ?」

「分からないのも無理もない。それは書物として存在している訳ではない。口承で伝われる神から預かった言葉だ。人から人へ伝わるものや、ある日、心の裡にふと立ち顕われるようなものだ」

 ジュリアンは自分がウラギョルの言いなりになる人形になっていくことに気付かなかった。


『天上の神が神の王と間違えて、アミラ・ベルニエという市井の女の体を不死身にしてしまったために、神の王は命を落としてしまった。伝令はいつまで経っても雲の上の神には届かなかった。ジュリアン・サロートはそれ以来、永遠に殺され続ける運命になった。アミラは神の追撃から逃れるために、花畑に咲いていた何番目かの花の名前を自分に付けた。神の使いは何も気付かずに、花畑を通り過ごしてしまった。贋王ダリアの血をジュリアン・サロートが浴びれば、神の王に不滅の体が蘇るだろう。贋王ダリアがどこに行ったかは分からない』


「それが、わしが聞き知った眠れる書物の一節だ。ジュリアン・サロートよ。わしの占いでは、メーイェ大公妃こそ、贋王ダリアだ。始祖神メーイェと同じ名前ではなく、始祖神本人が大公妃の正体だったのだ。それと運命に立ち向かうには、神の王。大公邸にはお前独りで行かなくてはならない」とウラギョルは言った。

「恐れることはない。お前は間違いなく神の王だよ」

 ジュリアンは、自分こそ贋物の王だということを忘れていた。

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