第108話 ホラーだって余裕に決まってるわ

「うわ…結構混んでるわね」

 最上階へ到着し、エレベーターのドアが開いた瞬間だった。結衣は露骨に嫌そうな顔をした。いや、自分で誘っといてそれかよ。

 ともあれそれも致し方ない。時間はそろそろ十一時。レストランなんかもそろそろ開店の準備を始めているようで、人気があるらしいお店はもう小さな行列ができ始めている。土曜日の昼ともなればそれなりに人は多くなる。それが分かっていてもなお嫌悪したくなるほどの人の数だった。

 特に結衣はあんまり人混みとか好きそうじゃないし、こりゃ先が思いやられるな。

「うぅ…まぁ気にしてても仕方がないわ…で、理人。訊きたいことがあるのだけど」

「なんだよ訊きたいことって」

「今日は何が観たいの…?映画って言ってもいろいろあるでしょ」

「…?なんでもいいのか?この映画って指定されてるもんだとてっきり」

「バカね、そんなわけないでしょ。……理人も楽しくなきゃ意味ないじゃない」

「すまん、最後なんて言ったかもう一回言ってくれないか?うまく聞こえなかった」

 人混みということもあって、結衣の小さな声はときどき周りの声でかき消されてしまう。何か展覧会的な催しもあるようで、そこにも人が押しかけているとかなんとか。

 はぐれるわけにもいかないので、手を俺からもしっかり握りなおして距離を詰める。「な、何でもないわよバカ!こ、これはたまたま手に入って余ったから…」

「あぁそれはわかってる。余らせててもしょうがないから俺を誘ってくれたんだろ?」

「…全然わかってないじゃない、バカ。で、何を見るの?アンタが好きに決めなさい。私は特にこだわらないわ。……理人と一緒ならそれで」

 最後は小声だったが、先ほどとは違って距離を詰めていたから何とか聞こえた。俺と一緒に映画を見ることがそんなに…いや、考えすぎだろ。

 エレナの言葉に惑わされ過ぎだ。

 ここは変に意識して聞こえないふりをするのもよくない、何か意味があるのかもしれないしとりあえず聞き返しておくか。

「俺と一緒ならそれでいいのか…変わったやつだな」

「な、何で聞こえてんのよバカ!」

 なんでか知らんが怒られた。握った手に若干力がこめられるが…うん、もともと非力で柔らかい女の子だから全然痛くない。むしろはぐれる心配がなくなって安心感すらある。

「…結衣ちゃんはこれが嫌ってのは無いんだよな?」

「?…そうね、まぁひっどいサメ映画と年齢制限きっついもの以外は大丈夫よ」

 最近見たなその二つのジャンル。結衣もやっぱああいうの理解できないんだ。よかった、仲間だね。

 じゃああんまり迷っても仕方がないのでいくつか楽しめそうなものをピックアップする。

 消去法だな。

 まず実写化系。これはまずダメだろう。結衣が漫画やアニメの原作を知っているとは到底思えない。デスノートみたいに予備知識が無くても楽しめる作品もない訳ではないが…初見でそれを引けるかどうかはギャンブルだ。大人しくやめておこう。

 んで次にアクション系。ワイルドスピードとかそういうやつ。これは純粋に結衣の興味が薄そうだ。俺に一任してるってことは好きなものを選べってことなんだろうが、ある程度は結衣が好きそうなものを見るべきだろう。

 ど派手なアクションも決して悪くないが、女の子が好きそうかって言われるとまた違ってくる。明川とかとまた見に来るとしよう。

 その後も順調に絞っていく。俺は大体の作品に関して好き嫌いがないのであくまで結衣メインで。

「…んー、二択で言ったらこの二つかな。なぁ結衣ちゃんはどっちがいいと思う?」

「あら、二択まで絞り込めたのね。優柔不断のアンタにしてはよくできたじゃない。何が残ったの?」

「ITとラプラスの魔女」

「…アンタ私に気遣いすぎじゃない?普通もうちょっとあるでしょ、幅が。二つとも有名な文芸作品じゃない」

「嫌いか?」

「二人とも尊敬する作家よ…でも、そうね。ラプラスの魔女はもう原作を読んじゃったわ。あの手の作品で内容全部わかってるのは正直盛り上がりに欠けるし…うん、ITにしましょ」

 しばらく顎に手を当てて考えていた結衣はようやく結論を出した。ITといえばスティーヴンキングが原作を手掛けたことでも有名な往年のホラー映画である。それが最近リメイクされて怖さも上昇したとかで…何かと話題なのだ。

「ホラーだけど大丈夫?」

 と、いうわけでちょっとからかってみる。ただのホラー映画と侮ることなかれ、海外では死ぬほどビビられているのだ、コレ。排水溝に赤い風船が括りつけられただけで警察に通報があるとかそういう次元なのだ。

「バカにしてるのかしら。私は言っとくけどなんでも読むわよ。携帯ホラー小説から四谷怪談までいろんなの読んでるの、そう簡単に驚いたりするわけないでしょ」

 すると結衣はちょっとむっとしてる。本気でキレてるというよりはちょっと拗ねちゃった感じというか意地を張ってる感じというか。ともあれその状態も十二分に可愛いので放っておくことにする。

「じゃ、見る映画が決まったなら私はチケット交換してくるわ。アンタはその辺で待ってなさい」

 で、すたすたカウンターまで行ってしまう。

 カウンターのあたりは今はまだ人がそんなに多くないので見失うことはないだろう。あの子すげえビジュアル際立ってるから見失うこともないだろうし。

 とりあえず俺はここで言われたとおりに待機しておこう。本当ならドリンクとかポップコーンとか買っておいてあげるのがいいんだろうけど、あいつ俺の電話番号知らねえからな。はぐれたら迷子センター直行だ。

「…問題なく席が交換できればあと十五分で上映か。ちょうどいい時間帯だな」

 腕時計とモニターに表示されている時刻を確認。十一時十分から上映。うん、完璧。

 俺の隣に立つ人影も俺の言葉に同調して頷く。

 視界の端で淡い桃色が揺れて、甘さが香る。


 …桃色が、揺れる。

 黒髪ではない。そりゃそうだ。

 だって今遠くのカウンターで結衣はチケットの交換をしているのだ。

 だからここにいるはずがない。

 では隣で揺れたのは?

 俺の隣で揺れたのは桃色。

 ふわふわした甘い綿菓子みたいな髪の毛。

 …間延びした、独特の調子の言葉遣い。


 それは当たり前のように俺の傍に来て、そこにいるべきだと言わんばかりに自然に佇んで…そこから静かに呟いた。




「そうっすねー、時間に無駄もなくいいテンポっすー。マルが羨ましっすね」



 そう口にした少女。

 彼女の鋭利な歯は、音を立てて軋んでいる。

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