第86話 努力の活かし方

 ――土曜日の朝、友達の家の友達の妹の部屋で、全裸の友達の妹と朝を迎える。


 どう考えても犯罪モノローグであった。

 非の打ち所がない程有罪ギルティ。審判などは必要なく、断罪を行うべきであろう案件。何も知らない人達が見ればそれはまぁ、そうなのだろう。


 俗に言う朝チュンというやつで。よく少年漫画で性行為があったことの隠喩として使われるこの展開。好きな人と互いに納得の上で迎えるなら構わないが、そういう目で見てはいけない女の子と迎えるには些かえぐすぎる状況であろう。


 くしゃくしゃに乱れたシーツ。ところどころに残る謎の染み。全裸の少女。

 何処をどう切り取っても俺が無理やり澪を襲ったとしか考えられない状況だった。しかし断じて俺はやってない。するメリットよりデメリットの方が遥かに大きい身体。いや、メリットの方が大きくてもやっていないが。


 澪は俺の視線に少し恥ずかしがるものの…一切隠すことはしようとしないので、すべてが当たり前のように眼前に晒されてしまっている。あまりまじまじと見つめるのも失礼かと思い、そっと毛布を掛けて俺が脱出を試みると。


「待ってくださいお兄さん。自分、まだ二度寝してません!」

「一人でしろ一人で!」

「ひ、一人でシろだなんて…お兄さん、そういうのが好きなんですか?」


 徐にこちらに向かって股を広げ始める澪。


「待て待て待て、悲しい誤解が起きている。そういうことじゃないから!二度寝は一人でしろって言ってるだけだから!」

「でも、お兄さんは自分の抱き枕になってくれるんですよね?」

「あれ、あの時はお前寝ぼけてたんじゃ…お姉ちゃんって言ってたし」

「あぁ、あれですか。お姉ちゃんの事思い出して興奮してただけです!」

「…え?じゃあ俺の名前呼んでたのは」

「はい、お兄さんの事思い出して興奮してただけです…ってなんで離れていくんですかっ!?ま、待ってください!」

「うっせぇ痴女!怖いわ!」


 これもまた性別が逆なら普通に犯罪だろう。女性の寝ているベッドに全裸の男性が潜り込んでいるとか、地獄でしかない。

 偏に俺がある程度信頼を置いている人間だからお咎めなしになっているだけなのだ。生きているだけ感謝してほしいと思う。半泣きで迫ってくる澪の額を押さえるが意外とコイツ力が強い。くそっ、ちゃんと鍛えてやがる。


「えへへ逃がしませんよお兄さん、ちゅーの一つや二ついただかないと自分引き下がりませんよ!」

「もうなんかこの状況が既にその次元とび越えてる気がするんだが…とにかく服着ろよ、なぁ?」

「あー…それなんですけど、お姉ちゃんの部屋に脱ぎ捨ててきちゃいました」

「全裸で俺の部屋まで移動してきたのかよお前!」


 なんて痴女だ。寝ぼけていたにしても前提条件が圧倒的におかしすぎるだろうに。馬鹿みたいに整った顔立ちが迫る。例えるなら男性プレイヤーが女性アバターを弄って作ったような、理想的な顔立ち。年下で友達の妹だということでかろうじて理性が働いているものの、流石に俺としてもここまでくると平静が保てないわけで。


「あ、お兄さんのここくるしそうですね…自分が楽にして差し上げましょうか?」

「なんでお前は人の性器をそんなに簡単に触れるんですか?」

「おおう、独特の言葉遣いですねお兄さん。それはですね、お兄さんだからですよ」


 ふん!とふんぞり返る澪。可愛らしいが犯罪臭がえげつなくなってきた。大体主張が全く意味が分からない。お兄さんだから触ることができるのか?怖っ。お兄さん程度の存在だから触ることができるのか?それも悲しいな。

 俺の疑問を見透かしたかのように(疑問を持つのは当然なのだが)澪は嬉しそうに二かっと笑う。なんだよこいつ、急に可愛い笑い方しやがって。状況が状況じゃなかったら普通に褒めるのに。


「分からないって顔してますね!お兄さんだからですよ!」

「いや、全然説明になってないが。俺だからってどういうことだよ」

「?そのままの意味です。お兄さんが結婚する相手は自分かお姉ちゃんがいいですから、あわよくば流されてくれないかと」

「思ったより素直に白状されて動揺している」

「あはは…でも自分はどんな手を使ってでも勝ちたいですから。自分の魅力は誰よりも分かっているつもりです。ほら、自分可愛いですよね?」


 そう言って先ほどと同じように、にかっと笑う。真夏の海辺がよく似合いそうだ。見る者を虜にして、惹きつけて離さない。それはまるで重力のようにも似ていて。

 心の底から好きな人がいて、周囲から多大な魅力を浴びせられている俺でなければころっといってしまいそうなそんな笑顔。


「あぁ、なんでお前がそんなにかわいいか分かった。お前、んだな?お前がこうも評価されてるのはそれが理由か」

「お、お兄さん?何言ってるんですか?」

「別に、怒ってるわけじゃない。普通に感心してる。あれだろ、自分がどう見られてるかが分かってるタチだな、お前」


 最初から何か違和感があったといえばあったのだ。けれどそれは俺にとっては気が付くことのできないもので。

 始めて遊園地で会ったとき、澪は俺に対して当たり前のように私的な悩みを打ち明けた。それ自体は嘘ではないし、真摯に対応することによって姉妹間の関係も修復することができた。

 だがそもそもそこがおかしいのだ。どうして見ず知らずの人間にそこまで話すのか。確かに誰も相談する人がいなかったのかもしれないが、間違ってもそこまでして抱え込んだ悩みをおいそれと他人にぶつけるのはおかしい話。

 前から感じていた澪の『人懐っこさ』は単純に自分が人にすり寄っていくだけではなく、相手の心に滑り込んで相手からも距離を縮めさせる、ある種の話術みたいなものに違いない。その証拠に澪は少し肩を落として話を聞いているが、一切反論する気がない。そして最後には俺に顔を向けて乾いた笑いを漏らした。


「…正解です、流石ですねお兄さん!ますます気に入りました!評価されるコツはいくら頑張ったか、よりも、いくら頑張りを人に演出したかですからね。この部屋にお兄さんを泊めようとしたのもそれが理由です。ほら…自分が頑張ってるって知ったら、もっと好きになってくれるかと思って」


 末恐ろしい才能だ。あまり才能という言葉は好きではないが、他人の視点を完全に想定できる知略は才能と呼ばずして何と呼ぶのか。だって俺は彼女の振舞いや行動を責めることができないのだから。

 文字通り欲しいものの為に努力は惜しまない性格の澪だ。これも間違いなく、努力の一環なのだろう。欲しいものをいかに効率よく入手するか。恵との間にあった成長速度の差というのはここの技能が原因だ。

 ここで重要なのは、決して努力を怠ってはいないこと。彼女がしていることはあくまで理論上の最適解であり、ズルをして人より有利な条件で動いているわけでは無いということ。

 だからこそ責めることができない。誰よりも頑張っているのは本当だから。彼女はそれを、人に演出する才能を同時に併せ持っているというだけの、努力家なのだ。


「完敗だな。お前、このこと俺が知っても嫌わないどころかさらに気に入るってのも分かってたのかよ」

「…百パーセントではないので、少々怖かったですけどね。でもお兄さんは頑張ってる人が好きだって気がしたので!」


 そしてこともなげにそれを認めてしまえる度胸の強さ。感服するばかりである。


「と、いうわけで子供作りましょうねぇ」

「だめ、ですか」

「だめ、です」

「いつまで待てばいいですか」

「死ぬまで」

「あ…死体愛好家ネクロフィリア…いえいえ、性癖といえば自分だっていろいろこじらせてますので特に何も言いませんよ、ええ」

「おいてめぇその辺にしないと殺すぞ」

「…ついに自分を受け入れる気になったんですね!お兄さんになら殺されてあんなことやこんなことをされても」

「違うから!俺そういう趣味じゃないから!やめてくれるかなお兄さんが異常性癖持ってるみたいに言うの!」

「違うんですか?だってお姉ちゃんと一緒に集まってた人達、全員お兄さんの愛人ですよね?」

「人聞き悪いこと抜かすな。そのうち一人実の姉弟だぞ」

「…シスコンですか?しょうがないですね、今ならお兄さんの妹になってあげますよ、おにーちゃん♡」

「…おぉ」


 思わず感嘆の声を漏らしてしまった。俺とて男、そういうシチュにはまぁまぁ興味があるわけで。あざといと言えばあざといのだが、自分の魅せ方を知り尽くしている澪がやると効果は抜群。堅牢な精神が軋みをあげるのが聞こえたような聞こえなかったような。


「妹と土曜日の朝から肉体関係、持ってみたくないですか?」

「持ってみたくないと言えば嘘になるがそれ以上に失うものがでかすぎる」


 とはいっても流石にそれはフィクションの中だけで十分だ。実際に俺が誰の事も好きになっておらず、この行為が咎められないのであれば流されてしまったかもしれないが、エレナという心に決めた人がありながら、自分を好きだと言ってくれる友達の妹とその友達の家で疑似兄妹シチュで性交に及ぶとか、なかなかの外道である。

 ちぇーと口をとがらせる澪からどうにか距離をとって部屋を後にする。流石にあの状況を見られでもしたら俺は犯罪者だし、恵が様子を見に来るまで待つだなんて悠長な真似はしない。


 一階に降り、洗面所で顔を洗う。冷水で肌を引き締めて睡魔を振り払って清潔なタオルで顔を拭く。

 エレナはちゃんと起きれているだろうか。あいつのは寝坊助だから俺が起こさないといつまでも休日は寝ているのだ。今は顔を合わせていない大切な幼馴染を思い浮かべると、鏡に映った自分が笑みを浮かべる。…ちょっと気持ち悪いな。

 佐原家の脱衣所兼洗面所はある程度広いものの、割とものがごちゃごちゃしている。生活感むき出しなのは別に構わないが、使用済みの下着とか平然と置かれてるのでぶっちゃけ一男子としては目のやり場に困る。


 同級生の女の子の下着とかそうそう目にするもんじゃないし…興味が無いことは無いのだけれど、流石に手出しをするような真似はしない。

 童貞根性丸出しの性犯罪者にはなりたくないのである。


 洗面所を出ると、佐原家のお母さん――名前は仁美ひとみさんというらしい――に昨日頼まれていた朝食の用意を行う。用意されていたエプロンに身を包んで、冷蔵庫の扉を開けると中にはところ狭しと様々な食材が並んでいた。

 肉から野菜、見たことも無い異国の食材に至るまで、さまざまな種類がある。


「…なんだこれ、虫…?」


 さまざまな種類が、ある。

 とはいえ丸々太ったミルワームを食べる気には、なれない。

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