第36話 正しい選択

 聞こえた。彼女が嗚咽を漏らしているのが。正直に言って原因がはっきりしているとは言えない。こちらは少し声を聴いただけだし、そもそも何時から見られていたのかもわからない。

 …それでも。きっと、分かる。だってそれは俺も同じだったから。

 そう、俺も誰かを好きになった。そして佐原にとってはその相手が俺だった。そういうことだったんじゃないかなって、思うから。

 恋愛っていうのは必ずしも報われるとは限らない。俺が偉そうに語るのも何だが、これは間違いない。自分の好意が相手にとっては何の興味もないものであることだって珍しくない。もっと言えば相手の感想が気持ち悪いだとか恐怖だとかそういった負の方向へ舵を切ってしまうことも珍しくない。私は友達だと思っていたのに、なんてよくある話だ。

 真っ直ぐな、純粋な好意を一度に一人の人間が受け止め、返してあげられるのはひとつまで。真剣に多くの想いに振り向いてはあげられない。だってそれは自らが選び取った選択肢への冒涜であり、自分を好きでいてくれる人間への最大の侮辱だからに他ならない。


 だから、君の想いには応えられない。

 自惚れだったらどんなにいいことか、なんて思ってみたりする。自分の選択が間違いだったとは思わないし、なんならこれ以上の正解なんて無いと俺は胸を張って言える。

 だけど自分が応えてあげられなかった真っすぐで純粋な想いに目を瞑っていられるほど、俺の精神力はすさまじくない。後悔こそないものの、申し訳なさや憐憫の情が少しずつ湧きあがってくる。


 そして俺は、そんな情を。流されて意識でもしようものなら、それは自分の、エレナの、そして何より、佐原に対しての裏切りだ。

 今は目を瞑る。無かったものとして聞き流す。いつか本人の口から彼女の想いを伝えられるまでは、知らないものとして扱わなければいけない。

 うら若き乙女の恋心を盗み見るような真似は男として最低だから。


 だからせめて、俺は彼女が想うに値する、理想の人間でなくちゃいけないんだ。

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