第32話 分からないし、分かってしまう
私は何がしたいんだろうか。ふと自分に対して疑問を浮かべながら黙々と包丁を動かす。料理は私の方が得意だったので佐原さんには布団などの準備をしてもらっている。別にわたしがやるからいいのに。
…佐原さんは、私がいなかった間。即ち私にとって空白である数年間のアヤくんを知っている。
家庭の事情があって引っ越した私が悪いのだが、それでもやはり嫉妬というものを隠すことはできない。素直に認めよう。うらやましくて仕方がない。
気が狂ってしまいそうだ。いやもしくはすでに狂ってしまっているのかもしれない。
私が一番アヤくんのことを理解していると自負していたのに、帰って来てみれば知らない女の子と信頼関係を育んでいるではないか。
恋愛対象で言えば私が一番かもしれないが、親愛度で言えば私と佐原さんでは大差ないだろう。優しいアヤくんのことだ。もし万が一私と佐原さんに何かがあった際、私だけではなく佐原さんも救おうとする筈だ。
…それが実に気に入らない。いい子なのは知っている。私に対してどれだけ親身になって接してくれているかも。
友だちとして、一人の人間としてならば好きだ。優しいし気が利くし、なにより真面目でいい子だ。きっと彼女は人としてすごく魅力的。
だからこそ恐ろしいのだ。彼女にアヤくんが振り向いてしまう日が来てしまうかもしれないという恐怖に怯えてしまうのだ。
自ずと包丁を握る手に力がこもる。
分かっている。こんなのは醜く最低の感情なのだということは。気持ち悪い。何時から自分がこんな人間になってしまったのだろうか。考えるのも嫌になる。
殺意をむき出しにするべきはほかの人ではない。自分自身に他ならないというのに。実に無様だと思った。取られたくないのなら自分が彼に選らばれればそれでいい。努力で勝ち取ればそれが一番だ。
自分に自信が無い、ライバルの出現に焦りを感じているのどちらか、もしくは両方。離れていってしまったときには、きっと私は私でいられなくなる。今までのような幼馴染の関係など感情を抑制することができず、破綻してしまうのだ。だってそれほどまでに好きなのだから。
先ほどであった鬼の女の子にも優しく手を伸ばしていた。それも彼の魅力であり唯一の欠点だ。誰にでも手を伸ばしてしまうというのは、誰にでも好かれる可能性があるということ。きっとあの少女も彼のことを好きになるだろう。
けれど募る思いはどうしようもない。好きな人は好きなのだ。これ以上どう整理しろというのか。私には分からない。
*****
きっとアタシは宮野クンのことが大好きだ。一人の人間としてではなく、一人の男性として想いを寄せている。たくましい掌や優し気な瞳、気遣いのできる行動など、好きな点に関してはもはやもう枚挙に暇がない程である。
なによりクラスの中でも孤立していて、家庭環境もめちゃくちゃになっていた私に声をかけてくれた人だというのが大きい。
まぁ普通にクラスメイトとして接していても好きにはなっていただろうがもう少し後になっていたかもしれない。
けれど、彼には想い人がいる。そんなのは承知で受け入れたはずの感情なのだが、揺らいでしまっている。あろうことか、一番忌避していたはずの親愛という感情によって。
親からゴミのように扱われ、虐待を受けてきたアタシだからこそ、この初めて抱いた親愛に深く依存してしまっている。実のところ好きなのがこの感情なのか彼なのかは不明瞭だ。だからこんな風な曖昧な気持ちで好きだと考えることすらおこがましい。
でも好きなんだ。うまく言い表せない。もどかしく喉が詰まるような感情。迷いを抱いて自分の感情に疑問を抱きつつも胸のうちのどこかでは好きだと確信する自分がいる。
…我ながら面倒くさい女だと思う。こんな感情を伝えたところで結局彼はどうしたらいいのか分からず困惑するだろう。
彼は優しい。だからこそその優しさに甘えてもっと近くに寄り添いたくなる。ほかの女の子の手が届かない程近くに。
でもそれは過ぎた願いということも自覚していて。結局彼の心はアタシのものではない。相反するいくつもの感情が胸中でせめぎ合っている。
吐き気を催すほどの葛藤がきっとこれからも続くに違いない。それが人を好きになるということ。アタシは確かにこの苦しみを背負う覚悟を決めて感情を受け入れたのだ。
断言しよう。彼は絶対に振り向かない。
そんなことは嫌でもわかってしまうのだ。
それでもなお、アタシは、機会があれば奪いたいと考えてしまうほどに
これからも彼のことを好きでいるだろう。
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