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積極的にマスター・サカキに会いたいかといえば微妙なラインだ。
彼が嫌いだとかではない。珍しく交流しても危険が少ない人物であるし。
考えを巡らせながら警備担当のテントを離れようとした、そのときだった。
目の前に突然、思いもかけない存在が現れた。
温度のない少女が微動だにせず立っている。
唐突に、何の脈絡もなく出現してみせた《彼女》はドレスのスカートについた埃を丁寧に払い落し、伏し目がちにお辞儀をしてみせた。
「お初にお目にかかります、皆々様方。ウィクトル商会が収蔵庫管理人、初代様の美しき人形、リリアン・ヤン・ルトロヴァイユ、罷り越して御座います」
「リリアン? どうしてここに?」
琥珀色の髪を翻し、しかし彼女自身は微笑みさえ浮かべない鋼鉄の表情のまま、首を傾げてみせた。
《女が突然目の前に現れた》と感じたのは僕だけではないらしく、周囲の人たちも唖然とした表情でこっちを見つめている。
とくに後ろの警備のテントから強めの困惑の二重唱が聞こえてくる。
「ウィクトル商会の、三大魔女……!?」
リリアンの名乗りを聞いて身を乗り出したオガルとプリムラが目を丸くした。
僕なんかは、一般人と大物の違いすらわからないのでアレだけど、オガルたち魔術師にとってはまあ、それなりに有名人なんだろう。
「何ひとつ驚くには値しません」
全ての視線を一身に集めながら、大魔女は手に持った旅行鞄を地面に広げてみせた。
「こちらの鞄は商会製の逸品でございます。これこのように……」
裾をまくり、しゃがんで、鞄に腕を突っ込む。
奇術のごとく華奢な腕は鞄の中のどことも呼べない空間へと沈んでいく。
不意に肩を叩かれて振り返ると、消えたはずのリリアンの腕が、そしてほっそりした指先が僕の右肩を後ろから叩いていた。
「御覧の通り、異次元と繋がっております。生身の人間が使うには少し不安がありますが。これは紛れもなく世界に二つだけの特注品。もう片割れはクヨウ魔術捜査官がお持ちです」
そういえば、前に使ってるところを見たことある気がするな。
思い出したくもない記憶だけどな。
でも、彼女に訊きたいのはそういうことじゃない。
「みんな、やって来た方法を聞きたいわけじゃないと思うよ。なんでまた、魔法学院なんかにいるの? 避難しにきたわけじゃないと思うけど」
「それは聞くまでもないことです」
言うがはやいか、更衣室のほうから悲鳴が上がった。その方角から何人かが走り出てくる。
嫌な予感がして僕は警備のテントを振り返った。
星の杖を掲げたオガルが「貴方の出番です」と言わんばかりに僕を見つめて頷いた。
いや、なんでだよ。どう考えたってそういう荒事は竜鱗騎士とかの専売特許であって、僕の専門なんかじゃない。
*
逃げてきた人たちは校内戦のときに控室として使われていた小部屋から出てきたようだった。みんな狼狽した様子で、僕をみつけて走り寄って来る。迷惑な話だけど、腕に燦然と輝く腕章の《警備》の文字がこの場から退避しにくくしている。
「いったい何が起きてるの?」
「わかりません、直接見たわけじゃないので。でも、《黒い人間》を見たって言うんです」
若い事務スタッフが、目尻に涙を浮かべて細い通路を振り返る。
魔術が使えない一般の人々をプリムラが誘導し、外に導くことになった。
そのかわり僕とオガルが、内部へと踏み込む。何故か僕を先頭に。
「いや、だから、なんでだよ。たしかにこの三人なら僕とオガルかなって感じはするけどさ」
「その背中のマントの意味を忘れたわけじゃないでしょう」
「そうだけどさあ……」
釈然としない気持ちを抱えながらも、廊下を奥に向かう。
通路の明かりは不自然に明滅し、奥のほうには何とも言えない重たい空気が満ちていた。お化け屋敷にいるみたいな、物凄く気味が悪い感じだ。
今にも死にそうな重傷患者のいる病棟のような、綺麗に掃除されていない墓場のような、一秒でも触れたくないし、吸い込みたくもない空気だ。
そしてその《感じ》には覚えがある。
「通路が狭いため、攻撃されると先生方が不利ですね」
「って、なんで君までついて来るんだよ」
僕の背後にはオガルだけでなく、リリアンがぴったりついて来ていた。
「こうなるだろうと思っていたからです」
「あ、そう……。どうなっても知らないからね!」
こういうのは躊躇ったほうが負けだ。
勢いよく更衣室の扉を開けると、並ぶロッカーと、最奥にある姿見の前に――《あいつ》が立っていた。
全身に真っ黒な闇を纏わせたもの。
頭の先からつま先までを闇に浸したような男。
尖晶屋敷に現われた《魔人》が、鏡の前に立ち尽くしている。
かすれた声が聞こえてくる。
「《コチョウは…………どこだ……………?》」
やっぱり星条コチョウを探してたのか。
僕は杖を取ったが、それよりも早く、漆黒の人影は姿見の中に飛び込んで跡形もなく消えてしまった。
「鏡の中に……消えた?」
リリアンを見上げると無機質な表情と声で不可解な状況を説明してくれる。
「アレは鏡から生まれたもの。鏡を媒介とする魔術とは親和性が高く、自由自在です」
魔人の姿が消えた瞬間、重く垂れこめていた空気は消えて無くなっていた。
電気も普通に通っているようだ。
きっと女子寮に出たという黒い人影も、あいつだったに違いない。
こうして鏡の中を移動しているのだ。
「お二人はお知り合いなのですか? それに、あの人影のことをご存知のようですが」
オガルガが不審な顔で訊ねる。
頭の中で百五十通りくらいのウソが駆け巡った。
でもリリアンはきょとん顔で、僕の困惑の理由がまるでわかってない。どんなウソをついたとしても「それは違います」とか言って来そうな人間の心がわからない人形面をしてる。
「えーとそれはその、なんていいますか……!」
「先生、何か困り事があるなら、何故相談してくださらないんですか。私たちはあの《血と勇気の祭典》を乗り越えた仲間でしょう」
そう、そうなんだ。
そうなんだけど、だからこそ言えないこともあるんだ。
戸惑う暇すら許さずに、渡されたタブレットが緊急アラームを掻き鳴らした。
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