15 異常が異常で理解不能
「ウソでしょ!? キャシー捜査官……」
呼びかけ、救出に向かおうとした足が思わず止まる。
逆さまになって潰れた車から、何かが……人間が……這い出してくる。
血まみれで、髪の毛を振り乱し、片手に散弾銃を携えた女が。
キャシー……だったはずの女性は、こちらに銃口を向けている。目は血走り、正気の色は消え失せている。
そして折れて不自然に胴体と繋がった首を、自分で整復している。
普通なら、即死しているだろう。
これじゃホラー映画だ、まるで。
「先生。どうみても、あいつは人間じゃないっしょ!」
イチゲが告げた瞬間、キャシーが引き金を引いた。
その目つきは居丈高で、窮地にいながらもどこかこちらのことを睥睨している。泥の沼のように澱んで、憎悪を感じる瞳だった。
放たれた散弾は、同じタイミングで展開されたヒギリとイチゲの盾の表面にめり込んで止まった。
もう攻撃しようとはしてこなかった。弾切れを起こした銃を捨てて、背中を見せて駆けだした。
「オルドル、どう思う?」
『逆に、ボクは人間だと感じてる。ニオイが……これは絶対に、生きている生命のニオイだ。ただ、妙なモノも見えるけどネ』
オルドルの《瞳》には、逃げ去る女の《体内》が見えていた。
キャシーの体と重なり合うように、骨格や内臓が透けてみえるのだ。
現実感の無い光景は、オルドルの鋭敏すぎる獣の感覚がもたらすものだ。
それは教科書に載っている通りの人体図に見えて、違う。肺のように左右で対になっている臓器はともかく、肝臓や心臓などの位置が、微妙に……。
「左右で反転してる……?」
それが何を示すのかはわからない。
敵が背中をみせたことで、ヒギリとイチゲが警戒をゆるめた。
「もう武器はないらしいが、どーすんだよ、アレ。処分したほうがいいのか?」
「処分って……殺すの?」
「人型っても、アレは魔法生物かなんかだぜ」
そう言うと、ヒギリは不快そうに顔をゆがめた。
微かにあふれ出した怒りを、イチゲがいなす。肩を揉もうとして、避けられていた。そのわずかな攻防が、凄まじく速くて高度だ。
ふたりは天藍アオイの先輩にあたる竜鱗騎士の卵だから、実力も折り紙付きなのだ。
「まあまあ、落ち着きなよヒギリ。例えそうでも、魔法生物を見つけたら、当たらず触らず祟らず速やかに通報ってコマーシャルでもやってるじゃん」
魔法生物って、爆発物みたいな扱いなのか。
そうこうしてるうちに、キャシーの姿が完全に見えなくなる。
「どっちにしろ、一般市民のいる市街地に逃がすのもやばすぎる。追いかけようよ!」
「なんで俺たちが? あんたが連れて来たんだろう。勝手に。しかも授業中に。俺らが気がつかなかったら校内でドンパチはじめるつもりだったのか?」
鬣のように逆立てた金髪や思いっきり着崩した制服、校則の存在を疑うほどにジャラジャラと並んだピアスがトレードマークの破天荒な不良キャラ、ヒギリに非常識だという顔をされるなんて……。常識人代表としてはめちゃくちゃ悔しいけど道理はヒギリのほうにある。
僕は秒速で決断を下した。
「ほかに頼れる人がいないんです。力を貸してください、お願いします」
地面に額を擦りつけた僕をみて、笑い声をたてるイチゲ。
土下座の価値が限りなくゼロになっているが、ライフポイントがゼロになるよりましだ。
「ふん……まあいいぜ。ここで放っておくのもなんだしな」
絶対に助けてくれないだろうと思っていたヒギリが「行くぞ」と合図してくる。
助けてくれるとしたら、イチゲのほうだと思っていた。
「普段はテリハ先輩や天藍ばっかり注目されて、年下に頼られることってほぼ無いからちょっと嬉しいんだよねっ」
イチゲがその心情を大暴露して、意外な世話好き属性を持っていることが判明したヒギリが、耳まで顔を真っ赤に染めて小走りに戻って来て、僕の尻を蹴り上げた。
「理不尽!!」
「いいから来い!! イチゲも!!」
黄色みがかった明るい色の翼で、ヒギリは乱暴に僕の体を抱え、飛び立った。
*
キャシーは再び車を盗んで、疾走している。
今度は暴走というより、何か明確な目的地がありそうな動きだった。
ヒギリは僕をイチゲに投げ渡し、先行して事故が起きないよう監視している。
イチゲの翼は天藍のより小ぶりだ。それでも風を上手く捕まえて飛んでいる。
暴走に勘づいた市警の追跡さえ振り切って、車はひた走る。
「先生、目的地はアレじゃない? アレ!」
眼下に見えてくるのは、ごく普通の住宅街だった。
貧民街ほどではないのだが、生活の厳しさがにじみ出てる。
そんな場所にあるごく普通の集合住宅へと、車は向かっていく。
進行方向に、住宅の敷地を示す鉄柵が見えた。
そして。
「ヒギリ!! 進行方向に民間人っ!!!!」
イチゲが叫ぶ。
敷地の端、鉄柵の向こうに、女性が立っている。
真っ黒なセーターをまとった、黒髪の女性。
運の悪いことに、このままじゃ直撃コースだ。鉄柵は、とてもじゃないが暴走車の突撃には耐えきれないだろう。
「保護する!」
ヒギリが加速し、女性のもとに向かう。
いままで見た竜鱗騎士の中でも、ヒギリは飛翔するスピードがずば抜けている。
瞬時に車を追い抜き、竜鱗の盾を展開する。
しかし、結論からいうと、それは無用だった。
「なんだって?」
女性に追突する直前、暴走車は自ら舵を切った。
僕の間抜けな呟きも、もっともなことだとわかってもらえるはずだ。
曲がりきれない車体をヒギリの盾に掠めながら、車は今度は完全にコントロールを失った動きで消火栓やポストをなぎ倒し、街灯に真正面から衝突、爆発して炎上しはじめた。
膨れ上がる火炎や飛び散る破片、硝子からイチゲが護ってくれる……。
何が起きたのか、事のはじまりから顛末までが理解不能だった。
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