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 言いたいことは色々あるにしろ、確かにこの《箱》を手に入れるためには、前提として魔術学院の教官を出し抜ける魔術の才能が必要だった。


 そして、その才能の持ち主は自分ではない。


 俺は魔術師としては凡才だ。

 奇抜なアイデアも知恵も何も無い。


 そう納得したタイミングを見計らい、邪悪な友人は獲物に狙いを定めた猛禽を思わせる笑みを浮かべる。


「何につけても凡庸なクガイ君は黙って言うことを聞いていればいいんだよ。ま、君にも《便利な能力》という見どころはあるしね」


 ……コチョウが自分のことを格下に見ていることは、鈍い自分でも流石に気がついている。

 星条家といえば黒曜、天藍に次ぐ大貴族で初代女王の血を引く由緒正しい家柄だ。何より、コチョウが生まれながらに持つ魔術の才能は抜きん出ている。

 それらを併せて考えれば、忌み嫌われる尖晶家の生まれである俺を友人として思ってくれているかどうかすら、怪しい。


「――そうだな。全部お前の言う通りだ」


 ほんのひととき愚かな道化になった俺をみて、奴は小馬鹿にしたような表情を浮かべた。

 でも、それでもいいのだ。


 部屋の扉が叩かれる。跳ねるような小気味のいい音で、二度。

 その音で、俺の心臓が軽く跳ねる。

 コチョウはすばやく箱を背中に隠した。


 微かに開かれたドアから入ってきた明るい人影を前にして、彼は膝を突いた。

 俺も同じようにする。


 薄暗い廊下に、朗らかな太陽のような日差しが差し込む。

 いや、光じゃない。ただの――翡翠女王国十三代女王、翠銅乙女の内側から放たれる命の輝きのようなものが、それが眩しく見えているだけなんだ。

 思いがけない到来を嬉しく思いつつも、その時間が思ったよりも早いことには焦りを感じる。


「まだミズメが来ていないのに……」


 そんなことを言っても仕様がないのに、つい、小声で問いかけてしまう。


「ああ」


 コチョウは平静そのものの顔で、しかし声にはわずかに困惑を滲ませて短く返事をした。


 ミズメ――《菫青ミズメ》もまた、俺たちと同い年の、魔術学院の生徒だ。


 菫青家は非常に歴史の古い家柄で代々、水の魔術を継承してきた。

 連綿と繋がれた魔術師の血は、ミズメを、コチョウをして《天才》と言わしめた使い手にした。


 そして俺とコチョウ、ミズメの三人は、それぞれの才能を認められて当代女王、翠銅乙女の《騎士》に選ばれた。


 騎士とはいうが、実際は《花婿》だ。

 女王国は一夫一妻制であるが、女王だけは例外で《騎士》という名目の夫を複数持つ。彼らとの間に子をなし、長子が玉座を継承する決まりだ。

 だから俺はやすやすと警備を突破することができるのだ。


 ……なのだが、ミズメの姿がない。

 几帳面な性格の彼らしくもない行動で、いやな予感が拭えない。


*


 俺たちがミズメに意外な再会を果たしたのはそれから数時間後、優雅なお茶会を終えて学生寮に戻ってからだった。

 最初は部屋の扉の前にゴミ袋が落ちているのかと思ったが、よく見ると違う。

 長外套に全身をくるんだまま眠っている人間だった。

 長外套を剥ぎ取ると、蝋のように蒼白な顔が露わになる。

 長い鮮やかな蒼の髪は濡れそぼり、べったりと張り付いていた。

 

「ミズメ、しっかり!」

 

 ミズメは硝子の上で転げ回った俺よりも傷だらけだった。

 部屋に運び込み、濡れた着衣を脱がすと無数の古傷と、思わず息を呑んでしまうほどの、ひどく生々しい新しい傷痕が姿を現す。


「あのクソ親父にやられたのか」


 そう言ったのは、コチョウだった。

 彼は彼らしくもない乱暴な言葉を用い、無惨に切り刻まれた背中を睨みつけていた。憎悪そのものの顔だ。


「傷に塩をすりこまれて、地下牢につながれそうになったから逃げてきた……」


 痛みに震える言葉が、菫青家当主の残虐非道な振る舞いを語る。

 ミズメの父親は、こうして手酷く息子を扱うことが頻繁にあった。

 その度に命からがら学院まで逃げてくるのだが、それにしても今度のは常軌を逸している。もはや暴力を通り過ぎて拷問じゃないか。


「……このまま、ミズメをここに置いておくことはできない」


 こんなことを言うのは不本意だが、それは確認しておかねばならない事実だった。

 しばらくの間なら、寮に匿っておくことは可能だ。

 だが、菫青家は星条家にも負けない貴族の家柄なのだ。社会的に信用されている父親は、やがて息子を連れ戻して全てもみ消してしまうだろう。

 星条家当主に談判するとか、あるいは、最終手段として――翠銅乙女様に頼み込む、という手も考えないではなかった。


 だが、そうすれば菫青家そのものを敵に回すことになる。


 否が応でも政治が絡む以上、一般市民より貴族連中のほうがやり口は汚い。

 花婿とはいえ、代わりはいくらでもいる。

 そして強大な権力の前に、俺たちはただただ無力な学生でしかない。


「でも、この分だと家に帰したら今度こそ殺されてしまう……」


「わかってる」と言いながら、コチョウは親指の爪を噛んでいた。


 深く考え事をしているときの癖だ。


「……コチョウ、真剣なんだな」


 誰に対しても見下したような態度を取るやつだが、ことミズメに対しては態度がちがう。


「当たり前だ。ミズメは私が認めたただひとりの、私を越える《天才》なんだよ。あいつがいなかったら、人生にはりあいってものがないじゃないか」


 ふふん、と、美しい銀髪をなびかせている。

 その横顔はどこか嬉しそうでもある。


「そうか、よかったな」

「何がだ?」


 本気でわからないのが半分、不愉快が半分といった顔つきでこちらを睨んでくる。


「俺は、友達としてお前のことが結構好きだ」


 この幼馴染は単なる鼻もちならない嫌なやつじゃない。

 理由付けが少々特殊ではあるが、真剣になれることや大切にできる人間がいるのだから。

 だから……そんな当たり前のことを思い出させてくれるからこそ、俺はミズメのことが気に入っている。


「《騎士》とか《貴族》だとか面倒くさいしがらみや役割は山ほどあるけど、そういうものに縛られて苦しむだけなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか」


 貴族たちは恵まれているけれど、そう生まれついたからこそ諦めなければならないことも多い。

 政略の絡まない結婚や、友人関係もそのひとつだ。

 たとえ相手が翡翠女王だとしても、親たちの都合で決められた伴侶など最初はいやで堪らなかった。当たり前だ。恋人ひとつ、己の感情で決められないなんてどうかしている。

 でも皮肉なことに、だからこそ出会えた人たちもいる。

 コチョウやミズメがそうだ。


 俺はふたりを友達だと――今はちがうとしても――そう思っている。


 きっと俺たちは、持ってうまれた才能を別にすれば、お互いの境遇をいちばんよく理解できる三人組になれるはずだ。


「……仕方が無い。最終手段を使う」


 コチョウはロカイのもとから盗み出した《箱》を取り出した。


「さっき、二重に騙していたのか、と聞いたよね」

「ああ……なんだ、突然」

「この箱の中身、何だと思う?」

「一角獣の角だろう。強い魔術の触媒になる。そうじゃないのか?」


 コチョウは箱のふたを開けてみせた。

 俺はあんぐりと口を開けたまま、中身に見入っていた。

 手触りのよい布地に包まれていたのは純白、ではなく。

 漆黒の角だった。


「あれは、嘘だ。ほんとうは三重にウソをついていたんだよ」


 突然告げられた真実。

 果たしてウソに怒ったらいいのか、それとも、中身はなんだと聞けばいいのか、俺は酸欠の魚のように口をぱくぱくと開閉することしかできないでいた。



*



 ふたりでミズメを担ぎ、《石扉》に向かった。

 俺たちがロカイの教室から《箱》を盗み出したのは、ミズメを実家から自由にするため――つまり、こいつを《異世界》に逃がすためだ。

 この世界のどこかにいる限り、菫青家はミズメを追ってくる。


 なら、世界線を越えてしまえばいい。


 異世界から訪れた偉大な魔術師たちによって作り上げられた楽園、それが翡翠女王国ならば、魔法の消えた異世界に逃げさえすれば、菫青家もさすがに追っては来れない。それがコチョウの案だった。


「異世界とこちらを繋げる《石扉》は常に閉じていて女王の鈴の音でしか開かない。だが有能な魔女たちをこちらに逃がす役割があるため、その術式はかなり単純なものだと予測される」

「つまり?」

「道は常につながっていて、扉が塞いでいるにすぎない、ということだよお馬鹿なクガイくん」

「馬鹿は余計だが、フタをしてる石扉をどければ道はあるってことだな」

「そう。それでも過去にこの扉に挑んだ魔術師たちがコイツをなかなか開けられなかったのは、おそらく必要な《魔力》、物量が足りないからだ」


 コチョウはそう言って目を細める。


「この扉は、圧倒的な魔力の《強さ》に反応して開くんだよ。しかもそれは絶対的なものではなく、相対的な力の強さだ」


 石扉は閉じているが、複雑な鍵がかかっているわけではない。

 言うなれば今にも開きそうな具合にゆるく錠がかかっている状態で、強い力で扉を叩けば開いてしまう。力とはつまり魔力、魔術師が魔術師たるゆえん、その才能のみなもと、一種の生命エネルギーのことだ。

 そしてその力は、扉を叩く直接の強さではなく、周囲に存在する魔力との比率で決まる。


「なるほど。だから、あちら側からは、女王がいなくても開くんだな……」


 過去に魔術師たちは排除され、翡翠女王国に逃げて来た。

 異世界には魔力を持つものも、その流れを見極め、操れる術を持つものたちもほぼ残っていないだろう。

 であれば、たまたま魔術の才を持つものが生まれ出たとしたなら、その時点でそれは異世界でもっとも強い魔力の塊となる。

 条件は満たされる。触れさえすれば石扉は開くのだ。


 でも反対に、女王国の側からは、それはできない。

 魔術禁止とはいえ、街中に魔術が絡む製品があふれているし、連綿と続く魔術師の血統は数えきれない。

 それらのすべてを凌駕する力など、そうそうお目にはかかれない。

 合理的な開閉機構だが、でも疑問もある。


「女王も人間だぞ、人間である以上、保有する魔力量は限られているはずだ」


 特別に力の強い人類もいるにはいるが、そういった人間が王家直系のみに次々生まれるという奇跡は考えにくい。


「簡単だ。こちら側で扉の開閉を司っているのは《天律》の性質なんだよ」


 仮定だけど、とコチョウは言葉を継ぐ。

 歴代女王たちは、魔力のバランスを操っているのではないか、と。


「女王が開閉に必要なだけの魔力を保有しているのではなく、この世界に存在する力の向きを、《石扉》という一点に向けているんだよ。一時的にね」


 翡翠女王だけが使える《天律魔法》は、この世界の《規律》そのものを操る魔法だ。唯一万能を実現したこの魔法ならば、コチョウの言うような事象も引き起こせるだろう。


「だから、疑似的に天律魔法が引き起こしているのと同じ状況を作り出す」


 コチョウはそう言って、先程の黒い角を取り出した。


「この《黒一角獣の角》によって……。ミズメを扉の前へ運んでくれ」

「わかった」


 自力で歩く力すら残っていない、ぐったりした体を支えて言われた通りにする。

 その体を冷たい石扉に預けるように座らせて、そして、背後を振り返る。


「次はどうすればいい? コ――……」


 名前を呼ぼうとして、後が続かなかった。

 見下ろしていたミズメの表情が強張っている。

 そして、長外套に赤い染みが落ちた。


「え?」


 それは、どうみても。

 何度確かめても、俺の肩を突き抜けた刃から漏れ出た血の雫だった。

 振り返る。

 ひどくゆっくりと時間が流れている。

 背後にはコチョウが立っている。

 彼は俺の肩から血に濡れた短剣を引き抜いた。

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