25 裁けぬ罪業
シキミさんには、大人として果たさなければならない責任があったはずだ。
でも僕は警察ではないし、ルビアの友人でもない。
誰かを救ったり、裁いたりなんてことはできそうにないしまっぴらごめんだ。
それに彼は必要だと思えば自らそうする。罪を贖うと決めたなら、誰かが彼を裁く必要などない。
だから、黙って別れた。
リブラにはなんて言おうかな、なんて考えながら。
「青海文書の能力は、マージョリーの件とは全く関係なさそうだった……。可能性がありそうなのは使徒ヘデラの《鞭》だけど」
ルビアはマージョリー殺しの大罪人をヘデラに捧げようとしていたということは、ヘデラがマージョリーを殺した、ということは考えにくい。
事件の終結とともにやり手弁護士の援護も失ったようなものだ。
これからいったいどうすればいいんだ……?
溜息に重なりあうように、異音が近づいてくる。
「ん――この音は」
聞き間違いでなければ、それは硬い蹄が石畳を叩く音だった。
馬車そのものは、こちらの世界でも存在する。
古き良き貴族社会である天市市内の移動は馬車がメインだ。
だが、海市では、一度も見かけたことはない。
そして、灰色の車は隣に滑り込むように停まった。
「あぶな!」
車間距離ならぬ、車と僕の間の距離は三十センチもない。
すばらしいドラテクだ。
だがその距離で勢いよく後部座席の扉を開けると、必然として僕は吹っ飛ぶ。
前のめりにつんのめりながら床に激突する直前、はねる子猫のように軽やかで、かつあでやかな女の声が背後からふってきた。
「ごめんあそばせ」
と、言われても。
別にコケるのがキャンセルになったわけではない。
みっともなく尻もちをついた可哀想な僕を、女は面白そうに見下ろしてる。
そんな気配があった。
それから、香ってくる甘いにおい。これは、たぶん白檀だ。
「…………ええと、もしかしなくても君は魔女だな?」
「ンー……、どうしてわかったのかな」
「僕をいじめて楽しむのが、この国の魔女共通の趣味だからだよ!」
「あっはは、その通りかもしれないわ。何を隠そうこの私はリリアン・ヤン・ルトロヴァイユなのですから」
リリアンは車のドアにもたれながら、猫のように大きな瞳を瞬かせ、名乗る。
一度見たら忘れられないだろう輝く琥珀色の美しい髪に、藍色のワンピースの美少女。だが放たれる気配は見た目通りじゃない。
それに。
「おわっ、なんだこの馬車!?」
灰色の馬車に繋がれた二頭の馬は、明らかに異常だった。
筋肉質な体は深い藍色をしていて頭がない。
御者台には同じく――頭のない、タキシードを着た男が鞭を握っていた。
「死の御使い」とリリアンは微笑む。「――とかなら格好がついたのでしょうけれど、残念ながらウィクトル商会からの使いで参りました。お手紙、読んでくださいました?」
手紙……。そういえば、クヨウに逮捕される直前に、図書館でそれを見つけたことを思い出す。
手紙に記されていた彼女の名前のことも。
「そういえば、そんなの来てたっけ」
「あらまあ、三大魔女からのお手紙を気軽に無視してくださるなんて困ったものです」
「無視したわけじゃないけど……えと、三大魔女? 君が?」
リリアンは頷く。
「あ、そう。それじゃ、お疲れ様でした。帰ります」
大魔女には、はっきり言って良い思い出はない。根本的に、魔女にはなるべく関わりたくない。
踵を返そうとした僕のマントを、リリアンはむんずと遠慮なく掴んだ。
くそっ。服装が変わったから、掴みやすくなってしまったのだ。
「キヤラにはもうお会いになったのでしょう。三大魔女の全員に会ったことがあるなんて、ずいぶんとまあ果報者ですこと」
「全員…………て、どうしてマージョリーのことを……?」
「あなたに教えに来たんです、彼女の死の真相のこと。知りたいでしょ?」
怪しい。
すごく怪しい。
三大魔女というネーミングのせいだけじゃない。
なぜ彼女が僕に親切にしてくれるのか、その理由がわからない。
「そりゃ、知りたいけどぉ……」
もちろん、喉から手が出るほど知りたい。いまのところ手がかりゼロだし。
「お知りになりたいでしょ?」
耳元に囁かれ、意志薄弱すぎる僕は車に乗り込んだ。
*
扉を閉めた先は、屋内だった。
何を言っているのかわからないと思うが、僕はもっとずっと、目の前で見ている現象が理解できない。
「何これ」
「万華鏡です。いま、正しい像を結んでいますから、少し待って」
僕は彼女に導かれて車に乗り込んだはずなのに、そこにあるのは広大な空間だった。
とてつもなく大きな鋼の扉と、市松模様の床が薄明りに照らされている。
そして、リリアンは卓上に置かれた黒い筒に見入っていた。
のぞき穴は金色に輝き、筒そのものは漆黒。
貝の象嵌で精緻な幾何学模様が描かれている。
筒の先には七枚の丸い、繊細な模様が描かれたガラスが設置され、それぞれを重ね合わせて筒ののぞき穴から見る仕組みになっているようだ。
彼女の足元にはランプが置かれ、足下を照らしてる。
「もしかして、これは魔法なの?」
「魔法よりももっと不自由なものです。この万華鏡は今から百年前、さる高名な魔術師によってつくられたもの。そう、マージョリーのような《千里眼》を模擬的に作りだそうと試みたものです。とはいえ、彼女の奇跡の瞳には遠く及ばない性能ですけれど」
七つの硝子を複雑に組み合わせると、目の前の景色が歪み、変化する。
扉が開き、その奥の倉庫が露わになった。
そこは回廊で、左右には整然と《物》が並んでいる。
「今映し出しているのはウィクトル商会の蒐集品が集められた収蔵庫、私の管理区域です」
恐る恐る手を伸ばしてみると、車のクッションの感触がある。
あくまでもここは車内なのだ。
見えている景色も、そして彼女と僕が座っているアンティーク調の椅子も、全て幻だ。
「商会の蒐集品は、かつて政府の魔術弾圧を逃れ隠匿された魔法にまつわるものたちなのです。市警の目を逃れるため、収蔵庫のありかは申せません」
「あの、ウィクトル商会って……何?」
「あら、まさかそこから説明が必要なのですか? あなたとキヤラに金鹿を盗まれてしまった間抜けな魔術道具商会のことです」
美少女はたおやかに微笑んだ。
道理で、何もかもどこかで聞いたことがあると思った。
「もしかして、手紙の内容って……」
「いえ、それはいいのです。そちらのお代は藍銅から支払いがありましたので」
「あ、そう」
知らなかった。
金鹿の書を返したくともマージョリーの力の影響で《星》になったままだし、てっきり賠償でまた借金地獄かと思っていたが、そうではないらしい。
「それから、玻璃家のリブラ様からもごひいきにして頂いております。最近も商品をご購入いただきました。これです」
銀色の筒を見せられる。
たしかに昨日の朝、リブラから渡された秘密兵器と同じだった。
ルビアの戦いのとき、これがなかったら、僕はもっと満身創痍だっただろう。
万華鏡の景色を金具で留めたリリアンが立ち上がる。
「さ、行きましょう」
「行くって……これは幻なんだろ?」
「このランタンも特別製なのです」
彼女は明かりを手に、幻想の中に踏み出していく。
見せるだけではなかったらしい。
慌てて後をついていくと、空気のにおいが変わる。
古いものに染み付いたにおいが鼻腔をくすぐる。
長い間入れ替わることのなかった古い空気のにおい。並んでいる本や装飾品、置き物たちにこびりついて離れることのない、前の持ち主たちの記憶みたいなものが、静けさの中で蠢いている。
「……どこに行くの?」
「ご安心を、すぐです」
リリアンが明かりをかざす。
収蔵庫の奥に、禍々しいもう一つの扉がある。
ただ、それを扉と形容していいかどうかは迷った。
赤黒い錆のういた扉にはまった重たい閂は、半分溶け、扉と一体になっている。
それから幾重にも鎖で巻かれ、表面には目玉の紋様が彫り込まれている。
「さ、御覧になってもかまいませんのよ」
誘うように言われ、鎖に触れる。
オルドルは、触るな、とは言わなかった。だが。
『見てもイミがない』とは口にした。
「どういう意味?」
『ま、見て御覧。後学のために力を貸してあげてもいい』
僕は扉に触れて、集中する。
『瞼を閉じて』
言われて通りにする。
「《昔々……ここは偉大な魔法の国……》」
両手に違和感。感触は錆びた鉄だったのに、途端にめりこむような柔らかさが両手を押し包んだ。
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