16-09 我々って……俺たち間に合わないじゃないですか

「おばあさん、榛名はかならず俺たちが守ります。いま彼女と旦那さんは危険な状態にあります。俺たちを行かせてくれませんか?」

「……あんたに、渡したいものがある」


 おばあさんは、廊下横にある部屋のふすまを開けて中に入り電気をつけた。


 畳部屋だった。この部屋もカーテンが閉じられている。六畳ほどに文机ふづくえ箪笥たんすだけの質素しっそな空間だったが、榛名が借りていたのだろう、ほかの部屋とちがって、かしこまったように片付けられていた。


「もしも、あんたが来るようなことがあったら渡してほしいって、あの子が」


 老婦人は、文机の引き出しから小さなものを取り出した。


「SDカード?」

「それがなんなのか知らないが、あの子に強く言われてね」


 俺はSDカードを受け取って上着のポケットに入れた。


 おばあさんは、やっと安心したように表情をわずかに緩ませた。

 部屋を出ようと電気を消したとき、天井に無数の小さな光があらわれた。


 その光は、星空のように天井に散りばめられていた。


「シール……蛍光けいこう塗料とりょうの光ですね。これは――」

あまがわ?」

「あの子がなごむからってねえ、このまえいっしょに作ったんだよ。七夕たなばたからもう一ヶ月もつってのに」

「磯野さん、天の川を挟んで二つの星が強調されて描かれています。こちらにあるのがベガ、いわゆる織姫星おりひめぼし、もう一方が、アルタイル――」

「――彦星ひこぼしか」

「HAL、イソノさん、緊急事態だ」

「ライナス?」

「いまその場所へ一台の車両が向かっている。人数はおそらく二名。ゴーディアン・ノットだ」


 左耳のイヤフォンから出力されたその単語たんごにゾッとした。

 あのときの連中がまた来るっていうのか。


「あと五分後には到着してしまう。すぐにその場から離れるんだ」

「……早すぎる、ハル!」

「あんたも榛ちゃんっていうのかい?」


 ハルは、おばあさんと同じ目線の高さまで屈んで、ひと息おいてから言った。


「おばあちゃん、わたしたちといっしょに来てください。ここは危険です」

「まだ危ないことが起こるってのかい」

「ごめんなさい。詳しく話している時間がありません。けれど、わたしたちを信じていただけますか?」


 老婦人は、うなずいた。




 俺たち三人は、マンションの廊下へと出た。

 ハルは拳銃にサイレンサーをつけた。


「さきほどのドローン六機を起動させ、この建物を監視させています。階段から二名、ゴーディアン・ノットです」


 五階まで上がるにはさっきの階段しかない。ってことは、


「このままいけば鉢合はちわせるってことか」


 拳銃を構えながら、ハル、俺、おばあさんの順に進んでいく。


「磯野さん、彼らの目的は襲撃ではありません。数が少なすぎます。おそらく榛名さんに関する情報を集めるためでしょう。ご主人の乗用車からここの住所を割り出したのだと思います。すくなくとも、わたしたちがいることを敵は知りません。こちらが有利です」


 俺はうなずいた。


 廊下の端の階段までたどり着いたハルは、そのまま階段を下りはじめた。踊り場に銃口を向けながら、ゆっくり、足音を立てずに。


 もしここで鉢合わせになったら、おばあさんを巻き込まないことを最優先にすべきだ。俺は、おばあさんの手を引きながら、ハルから二歩あけてそのあとを進んだ。


 ハルは踊り場から四階へ銃を向けた。


「すこし急ぎます。磯野さん、おばあちゃん、いいですか?」


 俺とおばあちゃんはうなずいた。


 ハルは、銃を構えながら階段を駆け下り、二階に下りる手前で足音を消した。彼女は、俺たち二人に止まるよう手で合図し、人差し指で口もとを当てて見せた。拳銃を両手で構え直し、階段を下り切ったところで、突然、廊下に半身を晒し、ハルは二発発砲した。


「磯野さん、先に」


 おもわず両手で顔を覆うおばあさんをなだめつつ手を引いて、俺は一階の階段へと足をかけた。階段から二階の廊下を一瞬振り返ると、男が二人、脚を撃たれて倒れ込んでいた。


 俺とおばあさんはそのまま一気に一階まで下り、外をうかがった。

 見た限り、誰もいない。


 と、待っていたかのように、俺たちの乗っていた乗用車が玄関の前へと回されてきた。


「ZOEか」

「二人とも急ぎましょう」


 うしろからハルが声をかけた。

 俺たち三人は乗用車に乗り込み、その場を離れた。




 左耳のイヤフォンから、ライナスの声が響く。


「あと三〇分もしないうちに、キリシマ・ハルナさんと、ご主人、マツダ・エイジさんが新東京駅に到着するだろう。CIAは霧島榛名さんの確保に三チームがすでに配置済みであり、もし確保が失敗した場合に備えて実行部隊を別に用意してある」

「実行部隊ってなんなんです? なにをするんですか」

「ソ連側に渡らないようにするための、霧島榛名さんの殺害さつがいです。ソ連側が確保しかけたらその都度つど射殺しゃさつして阻止そしするための部隊です」


 運転席のハルが答えた。


「え? なんでそんなこと。なんで止めないんです!」

「申し訳ない、イソノさん。これは、ソ連に榛名さんを渡すわけにはいかないというホワイトハウスの意向いこうだ。しかし、もしCIAの作戦が失敗しても、我々がそれを阻止する」

「我々って……俺たち間に合わないじゃないですか!」

「大丈夫です。ZOEが間に合わせます」


 ハルは、備え付けられたモニターに目を向けた。

 ZOEの自動運転により、車は加速を維持していた。榛名を乗せた乗用車と同じく、首都高速湾岸線から目的地までを進んでいく。車内では恐ろしいくらい静かでおだやかだったが、フロントガラスをみる限り、車線変更を繰り返していくつもの車を追い抜いていった。

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