15-03 けどね、死ぬ経験ってのは、出来ればしたくないものなんですよ

 俺は彼女の手をはなして、目の前にいる男に近づこうとした。

 しかし、榛名は俺の手をつかみなおして、俺の前に出ようとする。


 真柄先生は後ずさりしながら、掲げた両手を強調きょうちょうした。


片手かたてだろうと、きみを相手に勝てるとは思ってないよ」

「それならなんでわざわざ一人で来たんですか。真柄博士、わたしはあなたを人質ひとじちにとって、たてに使うかもしれないというのに」


「きみはそんなことはしないだろう、ZOEゾーイ


 ゾーイ?


 ゾーイって、彼女のことなのか? 真柄先生は彼女の背後はいごにいる正体しょうたい、電話の主のことを知っている?


 そもそも引っかかるのは彼女に対する真柄先生のあの話し方だ。

 彼女の良心りょうしんにでもうったえているような物言ものいいは、以前いぜんから見知みしっている関係のように見える。


「磯野さん」

「――ああ」


 俺は、彼女の呼びかけに応じて真柄先生の横をすばやく通り過ぎ、エレベーターのボタンを押した。


「……本当に残念だよ、磯野君」


 真柄先生は俺に振り返り、そう答えた。


 エレベーターが到着とうちゃくしドアがひらく。

 俺は乗り込み、開ボタンを押した。

 彼女もまた、真柄先生を警戒しながら横を通り過ぎ、エレベーターに乗り込んだ。


「磯野君、きみにはこの世界をすくう力があるんだ。それなのに」


 俺はエレベーターの操作盤そうさばんを見た。

 やはり地上3Fまでしか表示されていない。

 ……いや、操作盤の上部に認証用のパネルがあることに気づいた。


 俺は手をかざすと、電話の主が設定せっていしたダミーIDで認証許可きょかの表示画面があらわれた。操作盤の表示が切り替わる。操作盤上部の空白だったスペースに、新たに階のボタンがあらわれ、そこに15Fの表示が浮かび上がった。


 本当に、ここは孤島ではないのか。

 俺は一五階のボタンを押した。


 エレベーターの外、廊下の向こう側には、この階に来たときと同じように無数の「人」が立ち尽くしていた。そのだれもが、俺たち二人を見つめていた。彼女も、この「人」たちと同じなのだろうか。この「人」が動き出したとき、彼女と同じように、俺は彼らを人間だと感じてしまうのだろうか。


 俺は思考しこうはらった。


 両手をあげたまま俺たちに向き直った真柄先生は、ドアの閉まり際の一瞬、哀しみに顔をゆがめたように見えた。


 上昇じょうしょうしていくエレベーターに俺たち二人。

 榛名は、顔を合わせずに言う。


「一五階に出たら駐車場ちゅうしゃじょうがあります。そこから乗用車じょうようしゃ用の車道しゃどうがつづいていて、その輸送道路を抜けると地上に出られます。エレベーターのドアがひらいたら、すぐに右手みぎてに向かって走りましょう。駐車場に止められた車があるはずです。その中の一台に乗り込んで脱出します。まずは、途中にある射線しゃせん死角しかくになるはしらかげまで走ります。いいですか?」

「ああ、わかった。ひとつきたいんだが、ここは山梨のどこなんだ?」

「わたしがここに連れてこられてからの情報が制限せいげんされているため予測よそくになってしまいますが、おそらく富士ふじ鉱山こうざん開発かいはつした空間です」


「……富士鉱山」


 国家機密にかかわるものだからだろうけど、窓の外をわざわざ海にするって、もしかして内部ないぶの人間の何割なんわりかは本当の所在地しょざいちを把握していないんじゃないいか?


 だとしたら、この先にいる連中は、なおさら俺たちを外に出したくないはずだ。


「一五階にはすでに敵が待ちかまえているんだろ? 大丈夫なのか?」

「ええ。武装ぶそうしたこの研究所の警備員けいびいんがすでにいるでしょう。おそらくですが、警備員レベルなどではない可能性も。もしそうだとすれば、彼らは自衛隊じえいたいなみ装備そうびで待ち構えているはずです」

「……自衛隊並」

「磯野さん、私がおとりになりますのでそのあいだに脱出してください」

「俺は殺されても死なない。なら、俺が囮になったほうがいい。真柄先生が言っていたとおり、やつらは榛名、おまえを狙ってくる」


 そうだ、彼女が致命傷ちめいしょうを負うまえに俺が全力ぜんりょくで彼女の盾にならなきゃいけない。あの白い部屋では自殺じさつすら出来なかったが、彼女の盾となり銃撃じゅうげきに身を晒すのなら、躊躇ためらうことなどない。死ぬなら、人にられたほうがらくだ。


 いつのまにか、榛名は俺を見つめていた。


「私の任務にんむは、あなたの脱出経路けいろ道案内みちあんない護衛ごえいです。もし、私になにかあっても、構わず車に乗り込んでください」


 おい、榛名。その言い方は――


 彼女と、俺のあいだにあった距離きょりが、とどかぬものへと変わってしまうように思えた。


 俺はとっさに彼女の右手をつかんで引き寄せる。


「俺はもう、おまえを置いて行ったりしない」


 ああ、置いて行くもんか。


「おまえは俺の命の恩人だ。つまり、借りがあるってことだ。だから、今度は、俺が霧島榛名を救い出す。いいか、わかったな」


 榛名の目が、一瞬、見開みひらかれた。そして、わずかに顔をほころばせた。


「磯野さん、あなたは、やっぱりやさしい方ですね」




 表示ランプが一五階に至り、エレベーターが止まった。


「磯野さん!」

「ああ」


 エレベーターがひらいた瞬間、俺たち二人は右手に向かって飛び出した。

 一瞬遅れて、無数の銃撃音とコンクリートがけずられる音が立て続けに響いた。俺たちは右手五メートルの柱の陰に駆け込む。空間から足音とリロードらしき銃の金属音きんぞくおん複数ふくすうきこえてくる。


 何人いる?


「磯野君、丸腰まるごしのきみたちを一方的に撃ちたくはない。手をあげて出てきてくれないか」


 その声に、聞き覚えがあった。


佐々木ささきさん?」

「ああそうだ。たのむ。きみたちを撃たせないでくれ」

「いきなり銃弾じゅうだんを撃ち込んでくる人の言うことなんか聞けませんよ!」


 そんなことを言う俺自身、なぜかまったく震えを感じていなかった。

 こわくないのか? いや、怖いさ。けど、ここで殺されても、俺はまた――


「たしかにきみの言うとおりだ。本当はきみたちを傷つけたくはない。テーザーガンか麻酔銃ますいじゅうを使いたいところだが、彼女がそれを許してくれないだろう。それにきみを殺したとしても、きみは死ぬことは無い」

「ええ、わかってますよ。けどね、死ぬ経験ってのは、出来ればしたくないものなんですよ!」

「ZOE、きみから磯野君を説得せっとくしてくれないか。きみたちには、もう霧島榛名がいるんだろう?」

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