11-10 ……なんなの。なんなの本当に

 俺は頭を抱えてうずくまってしまう。


 なんだこの感情は。死をのぞむその感情が、ひたすらに、ただひたすらに。


 つらいつらいつらいつらい……つらい、つらい。つらい。……つらい。


 ……そうか。ドッペルゲンガー……と接触……するって、

 こういうことなのか。


 膨大ぼうだいな感情の流入りゅうにゅうに、身体が追いつかない。


 それは、頭を抱えていた俺が、

 ベンチでうなだれていた俺が、

 取り込んでしまった、


 ――無限に近い俺の人生の記憶。


 心のすべてが、その情報の洪水に、濁流だくりゅう翻弄ほんろうされてしまう。

 その圧倒的な力に、俺の気力は、生きる力は、押し流されてしまう。


 まるでからっぽになってしまったかのように、俺の、すべてを、消しさ去ってしまったかのように、恐ろしいほどの無気力感が、己を支配していく。


 次第にそれが、心がかわき、崩れ去ってしまうかのような。だ、めだ。お、、れは、お  れ  は


 頬を衝撃が襲った。


 一瞬おくれて聞こえてきた、その破裂音はれつおんは、

 スローモーションのように響いて、

 瞬く間に、消えていく。


 その衝撃しょうげきに、俺は、目が覚める。


 まるで、一瞬の中の、長い長い夢を見ていたかのように。


 ささやくような力強さで、彼女の声が、俺の耳もとに届いた。


「……甘ったれないでよ! こっちだってね、必死ひっしになって探してんだよ? それなのに……それなのに!」

 

 千代田怜は俺を抱きしめて、強く抱きしめて、涙を俺の首筋に落としていく。。


「……それなのに」


 俺は、抱きしめ……かえした。


 そう、抱きしめ返すことができた。

 その力を、彼女が取り戻してくれた。


 目のまえで泣き崩れる、

 怜のおかげで。


「……ありがとう。本当に、本当に……ありがとう」


 止まらぬ涙が、彼女の肩を濡らす。


 これはすべてドッペルゲンガーなんだ。

 ドッペルゲンガーと遭遇するとは、こういうことなんだ。

 いま目の前に千代田怜がいなければ、怜が、いなければ、俺はどうなっていたかわからない。


 俺は怜を抱いたまま、気づく。


 そうか。このベンチに座るこの俺は、


 ――ドッペルゲンガー側の世界に、収束しゅうそくされたのか。


 泣き顔の、俺の世界に。


 収束されたってことは、負の感情に支配しはいされた俺は、無数の並行世界にいる俺のなかでも大多数だったってことか。


 ――無数に重なり合う俺の中でも、一番確率の高い状態の俺、最大公約数さいだいこうやくすうの俺に、収束していく。


 ドッペルゲンガーとの接触で、こんなことになってしまうのか。


 ただただ、怖ろしい。


 その恐怖が、二つ目の波となって俺を襲った。

 けれど、目の前には、その状況を救ってくれたひとがいる。

 いつもそばにいてくれた、彼女に――


「ありがとう。怜。俺は、もう大丈夫だ」

「……磯野」


 ずっと抱かれっぱなしだった怜は、目と顔を真っ赤にしながら、俺を見て、


「……なんなの。なんなの本当に。……よくわかんないんだけど」


 そう言って、目をそらした。


「ああ、俺にもまったくわからん」


 思わず、笑ってしまった。

 俺の笑いに怜と千尋はポカンとしていたが、俺の笑いにつられたのか、次第に二人もいっしょに笑い出した。


 ……まったく、わけがわからねえよ。


 そこへ、着信音が響く。


「磯野! いまどこだ! 霧島榛名が!」


 ――霧島榛名……!


「柳井さん! いま、俺は――」


 世界が歪む。

 怜や千尋を残して、世界が……。


 駄目だ、待て!

 待ってくれ!


 浮遊感ふゆうかんとともに、周囲の景色がパラパラと切り替わり、過ぎ去っていく。けれど、以前よりも遅い。


 二つの世界をつなぐワームホール。


 間に合わなかった……のか。


 ぽっかりと穴が空いたような、そんな感覚を抱えたまま、八月の世界のとびらを、俺はいくつもやり過ごしていく。そして、


 もう一人の磯野が、

 すれ違った。


 振り返ると、もう一人のあいつは、


 ――笑顔で俺に親指を立てて、そう、サムズアップしてやがる。


「……はっはは」


 脳天気のうてんきなその光景に思わず声が出ちまう。

 なんなんだよあの幸せそうな笑顔は。まるで馬鹿みたいじゃねえか。


 ――まかせたぞ。もう一人の俺。


 そしてプラットホーム。色の薄い世界。

 以前と同じく、窓へ向かっての数歩。


「よし」


 何度となくきたこの世界に、わざと声を出して俺の声を響かせてやる。そのまま窓に駆け寄り、外の景色を見る。灰色のその世界は――


「旭山公園では、ないのか」


 わからない。

 どこだここは。いや、札幌とはやはり関係がないのか。


 近未来的なビルが建ち並び、景色の横を例の高架こうかが、ゆっくりと下方にカーブを描いて遠方へと消えていく。まるで、この前三馬さんが解説のために描いた、変質していく世界を逆戻りさせていくかのように。その景色の中で、不自然に黒い箇所があることに気づいた。あれは――


「あれは、完全黒体かんぜんこくたい?」


 そう、八月七日に見た、あの黒い空間。


 ――あの場所にいけば、瞬間移動できるんだよな。


 そう頭でつぶやいたが、実際のところはわからない。

 それでも、あの瞬間移動で、霧島榛名のいる海岸へ行けるんじゃないかと思いつく。


 三馬さんの言ったとおり、確実にこの世界の滞在時間が増えているんだ。それなら――


 俺は階段に向かって歩きはじめる。そのとき――



 目の前に竹内千尋と柳井さんがあらわれた。


 ――そうか。


「あれ? 磯野、入れ替わったかい?」


 ストップウォッチを持つ千尋が俺を見つめる。


「あ、変わってるな」


 カチッという音が二つ鳴った。


「入れ替わったと思うんだが。磯野、大丈夫か?」


 柳井さんが心配そうな顔をむけてくる。


 一四時四四分。俺は、時間どおりにオカ研世界に戻ってきた、らしい。




 11.二つの世界の螺旋カノン END

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