11-09 目の前にいるけど、いるんだけど

 怜は車を器用きようにUターンさせて環状通かんじょうどおりへと入る。


「千尋って自転車でしょ!? なんでそんなところまで行けるの? たまたま近くだから助かるっちゃ助かるけど」


 そりゃこっちのセリフだ。

 大学からの距離にしたってそれなりになるのに、あの坂道さかみちを自転車で登るんだぞ? 札幌市を見下ろすような高台たかだいに――


「高台?」


 俺の言葉に、怜はフロントガラスから目を離さずに、うなずく。

「色の薄い世界」もまた丘の上にあった。あの巨大な建造物けんぞうぶつ圧倒あっとうされて失念しつねんしていたが、あれは未来の札幌なのか? ……いや、まずは入れ替わり前に、


 ――ドッペルゲンガーと接触するのが先だ。




 旭山記念公園の第一駐車場ちゅうしゃじょう到着とうちゃくした。

 G-SHOCKは、すでに一四時三二分を指している。


 あと、十二分……!


「磯野、さきに行って!」

「ああ」


 俺は助手席のドアを開けたまま、全力で駆け出した。

 スマートフォンを耳に添えて、公園入口にある案内看板を見る。


 札幌市内を見渡せる展望広場に、そこから下には噴水とそこへいたる途中に、段状テラスと呼ばれる階段状の石椅子が並んでいる。


「千尋! いまどこだ?」


 その周囲には森林へ入る遊歩道などがあるが、もしそこまで行かなければならないなら、今の時間じゃ間に合わない。


「高台のすぐ下にある噴水ふんすいのところ!」


 高台ってことは……展望広場で、その下か!


 展望てんぼう広場ひろばのほうへ走っていく。

 いきなりの全力疾走ぜんりょくしっそうに俺の呼吸が追いつかない。


 高台側の第一駐車場からでも、それなりに距離があるっていうのに。なにペース配分はいぶん間違ってるんだ、俺は。


 俺を取り巻く音が、次第に、おのれの呼吸のみになる。


 南中なんちゅうを越えた夏の日差ひざしが俺の体にのしかかる。

 かたで息をしながら、坂道を登る。

 呼吸が、息が苦しくて、どうしてもあごが上がってしまう。

 そうして、やっとかどを曲がり切った。


 展望広場が、視界に入った。

 俺は札幌市を一望いちぼうしながら、握りしめていたスマートフォンを耳にあてた。


「高台についた! 下でいいんだな?」

「うん! 階段を降った噴水のところ! 目の前にいるけど、いるんだけど、ドッペルゲンガーは、もう一人の磯野は、ベンチで頭を抱えたまま動かない」


 頭を抱えてる?


 なんだよ。そこにいる俺はなにやってんだよ! 

 もうすぐ世界が切り替わるってのに! 

 なに心折こころおれてベンチなんかに座ってんだよ!


 俺はスマートフォンをつかんだまま階段を走り出す。

 わき腹の痛みが増していく。

「……すまん。いま時間は?」

「えっと……あと四分、入れ替わりまで四分!」


 階段を降り、噴水のある広場へとたどりついた。


「見えた!」


 千尋と、


 ――俺が、いた。


 もう一人の俺は、ベンチで頭を抱えたまま、うつむいていた。


 あとは接触すればいいんだよな?

 にしたって、なに悠長ゆうちょうにしてやがんだ。目の前で腑抜ふぬけている俺に一発見舞みまってやりたくなった。


「磯野!」

「サンキュー千尋!」


 ベンチの真ん前。

 俺は、千尋といっしょにドッペルゲンガーを見下ろす。


 俺の声に反応したのか、


 ――ドッペルゲンガーは顔をあげた。


 もう一人の俺。


 けれど、世界の入れ替わりのときの、あのワームホール空間ですれ違った俺――もう一人のオカ研の俺とは、まるで別人のようだった。


 目の前にいる俺は、

 ただ、ひたすらに

 泣いていた。


 その双眸そうぼうは、ただただなげきという感情のみを、俺に向けてくる。


 ……おい、そんな顔するな。

 ……なんなんだ。

 ……なんだって言うんだ。


 突然、尋常じんじょうじゃない寒気さむけが俺を襲った。


 俺とドッペルゲンガーをのぞいた周囲が、ぐにゃりと歪んだ。

 いや、不安定なその空間に取り囲まれてしまった、と言ったほうが正しい。逃げ場が無い中、その空間は俺たちに向かってゆっくりとせまってくる。いやちがう、


 ――侵食しんしょくしていく。


 ドッペルゲンガーの俺も、け合うように。


 まずい。

 まずい、これはまずい。


 まずいまずいまずいまずいまずいまずい駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だお願いだやめてくれお願いだ俺を見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな――




 ――は?




 それはまたたく間で、俺は、


 ――なみだを流している。


 ベンチにいる俺と対面たいめんしていたはずの俺は、

 ベンチに腰掛けていた。


 目の前には、竹内千尋が。

 千尋のすぐうしろには、千代田怜が。


 つぎの瞬間、大量たいりょうの感情が俺の中を駆け巡った。


 ……マズい。俺の頭の、おや、心の……全身すべてが、この感情の濁流だくりゅうに押し流され、許容きょようえた感情に、俺の脳は、心は押し潰され――


 俺は、いま、


 ――死にたがっている

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