08-08 ああ、さっきノートの実験メモに書いてあったな

 と、部室のドアがひらいた。


「皆さんご機嫌きげんよう」と三馬さんは挨拶あいさつをしながら部室に入ってきた。

 そういえば、映研世界とはちがって、今回は俺が部室にむかえるかたちなんだな。


「はじめまして、磯野です」


 俺は振り返りざまに手を差し出した。


 三馬さんは一瞬驚いたようだったが、すぐに笑顔になって握手あくしゅわした。映研でお会いしたよりも固い握手だった。柳井さんにうながされて、三馬さんは長ソファに腰掛ける。


「こっちが竹内で、その女の子はちばちゃんだ」

「初めまして。最近の女子大生はなんとも可愛らしいね」

「はじめまして! 実は高校二年生なんです」と、ちばちゃんははにかんだ。

「なるほど。オカ研は大人気じゃないか、柳井」

「ちばちゃんは、姉が連れてきたんだがな」

「それでも馴染んでしまうくらい、このサークルは居心地がいいんじゃないか?」


 ちばちゃんは笑顔を返した。


「私は三馬だ。柳井とは高校時代から同期でね、いまは宇宙物理学うちゅうぶつりがく博士研究員はくしけんきゅういんをしている。今回の件でどれだけ役にたてるかわからないが――」


 三馬さんは俺に振り返る。


早速さっそくだが、話を聞かせてくれるかい?」

「あの、「文字の浮かび上がり現象」はさきに見なくていいんですか?」

「ああ、まずはどういう経緯けいいがあったのかを先に知りたくてね」


 俺は八月七日から今日一四日までの出来事を話した。

 超常現象の前置きが無いまま、普通なら信じられないこの話をいきなり伝えるのはとても不安だった。


 しかも一週間分だ。

 話す俺でさえほねれるというのに。


 けれど、三馬さんは少しも訝しがることもなく最後まで聞いてくれた。

 三馬さんは一言「なるほど」と言った。そして、話を整理しているのかそのまま押し黙り、「実に興味深い」とつぶやいた。


「おい三馬、この話を信じるのか?」

愚問ぐもんだよ柳井。磯野君が話しているとき、君と竹内君、そしてちばちゃんだったか、君たちもまた真剣な面持おももちだったじゃないか。つまり君ら三人もまた当事者とうじしゃということなんだろう? それに磯野君が話していることは、実際に体験した出来事だと踏まえて聞かなくちゃなにもはじまらないだろう」

「信用されてるんだな」

「当然だよ。そうじゃなきゃ、わざわざこんな場を設けたりしないだろう? 柳井」


 柳井さんは苦笑いをした。


「じゃあ話に出てきた大学ノートを見せてもらうとしよう」

「これです」


 ノートを受け取った三馬さんは、表紙ひょうし背表紙せびょうしを注意深く眺めたあとノートをひらき、質感しつかんを確かめるように何度か指でこすった。


「科学パルプ100%の普通の筆記用紙ひっきようしだね。私もよく使うよ」と言って、三馬さんは笑った。


 書かれている部分と白紙はくしのページを何度も見返した。

 最初のページに書かれた文章と、最後に書かれたページの文章や文字を見比みくらべると、ふむう、とため息をついた。


 三馬さんは顔を上げると「文字の浮かび上がり現象を見せてもらえるかな?」と俺にノートをひらいたまま返した。

 

 俺は大学ノートを受け取ると、今日のために考えていた内容を頭に思い浮かべてペンを持つ。


 十二日夜、文化棟玄関から色の薄い世界へ迷い込んだこと。

 海岸のような場所からプラットホームへの瞬間移動。

 時空のおっさんのような存在との接触。

 帰還後、柳井さんと竹内千尋の話から三〇分間消えていたこと。

 翌日、映研世界での三馬さんとの接触。

 いま現在、ちばちゃんになにかしらのアプローチをしているだろうこと。


 映研世界の霧島榛名との接触は除外じょがいした。

 なぜなら、千尋はともかく、ちばちゃんが同席どうせきしているからだ。


 俺は、ノートの新しいページに八月十四日 十三時一〇分と書き込み、その下にペンを近づけた。


 一瞬ののち、疲労感ひろうかんが俺をおそった。

 今回は書き込んだ腕のだるさだけでない。脳の、主に前頭葉ぜんとうようのあたりがぼーっとするような、そんな疲れだった。


すごいな! 実に素晴すばらしい!」


 三馬さんが声をあげてノートに顔を近づけてくる。

 相当そうとうな書き込みだったのだろう。以前とおなじく、数ページめくられた先へと飛ばされて、文字が埋められていた。


「いいかな?」


 三馬さんは開いたままの大学ノートを拾い上げた。


「ページが移動しているのか。こいつは凄い! この現象は何度も再現さいげんされているんだね?」


 三馬さんはノートを手に取り、その数ページをめくってじっくりと見入っている。そして「かさなっているのか」と、つぶやいた。


「重なっている?」


 映研世界でも同じ言葉を言っていたな。

 三馬さんは「いや、それはあとにしよう」と手を振った。


「なるほど。十二日のその色の薄い世界への接触は、霧島榛名さんが関係しているんだね?」

「え? いま浮かび上がった内容にそう書いていたんですか?」

「磯野君が意図いとしていなかった内容も書かれているのかい? ……ああ、さっきノートの実験メモに書いてあったな」


 ちばちゃんを見ると、俺と目があう。

 俺が口をひらこうとしたところで、柳井さんが言葉をさえぎった。


「磯野から相談されていてな。ちばちゃん、黙っていて申し訳ない。実は入れ替わる前の映研世界で榛名を目撃したみたいなんだ。磯野にしか見えない存在としてね」


 俺は柳井さんのうなずきに応えて、霧島榛名のことも含めた十二日夜のことを話した。

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