07-08 この量が一瞬で現れたのか……しかも、ページまでめくられて……

 昨日の土砂降りが嘘のように、雲ひとつない青空のもと、俺は文化棟横の自転車置き場から全力で走った。


 八月十三日 午前七時四七分。


 この時点で一七分の遅刻ちこくである。

 大変申し訳ない。大変申し訳ないのだが、多少の遅刻は多めに見てくれ。ほぼ徹夜てつやなんだ。


 息を切らしながら部室のドアをあけると、柳井さんと竹内千尋、そして、見かけない大柄おおがらな男の人が部室にいた。


「遅れて……すみません!」

「遅いぞ磯野」

「おはよー」

「礒野、もしかしてお前、また寝てないのか?」


 柳井さんは、ため息を吐きながらあきれた顔をむけた。


「眠いだろうが、三馬もそんなに時間がないらしい。早速さっそくはじめるぞ」

「おはよう、君が磯野君だね」

「あ、はじめまして。三馬さんですよね、よろしくお願いします」


 いまだ肩で息をする俺に、三馬さんとおぼしき人物はうなずいて笑顔で手を差し出してきた。


 握手あくしゅ


 一瞬の戸惑とまどったが、流れのまま俺も手を差し出した。

 三馬さんは色白いろじろでやや恰幅かっぷくの良い感じの人だった。


「柳井から聞いていると思うけど、私は柳井と高校から付き合いでね。去年やっと博士課程はくしかていを終えたところだ。たいして役には立たないだろうが、よろしく」と苦笑いをした。


 三馬さんは本題に入った。


「話はこれからじっくりうかがうが、まずは「文字の浮かび上がり現象」というものを見せてほしい」

「はい」


 俺はうなずいて、大学ノートを出した。


「これが、文字の浮かび上がり現象が現れたノートです」


 三馬さんはノートを受け取るとページをめくった。

 すでに書き込まれてある文章と、白紙のページをゆっくりと確認する。さらにもう一度、文章を書いているページを最初のページからペラペラとめくると、ぽつりと言った。


「この部分は……重なっているのか」

「なんです?」

「いや、まずは磯野君のその現象を見せてもらってからにしようか」


 大学ノートを受け取り、ペンを持って文章の空いているところに現在の日時を書き込んだ。

 八月十三日 午前七時五六分。


 書くべきことは決まっている。


 昨晩の霧島榛名との接触。

 彼女とともに色の薄い世界へ迷い込んだこと。

 そこは海岸だったこと。

 榛名には、俺が知らない記憶があること。

 手を離した瞬間、プラットホームへ飛ばされたこと。

 そして、時空のおっさんとの接触。


 よし。

 俺は意識を集中して、ノートにペンを近づける。そして、


 ――文字が浮かび上がった。


 四回目となる文字の浮かび上がり現象。

 今回もまた、数ページに渡る分量ぶんりょうが埋め尽くされていた。


「おお、これは……すごい!」


 三馬さんは、声をあげてノートをのぞき込む。


「この量が一瞬で現れたのか……しかも、ページまでめくられて……」


 三馬さんはしばらくノートを見つめていた。

 が、ふと、なにか思いついたような顔を俺にむけた。


「もしかしたらだが――」


 そのとき、三馬さんを含めた部室全体がゆがんだ。

 俺の視界しかいそのものが灰色へと変化し、無数の景色が通り過ぎていく。その景色は、どれもどこかで見たようなものばかりだった。

 そして、ほんの数秒の後、


 ――駅のプラットホームにたどり着く。


 それを見とめた直後ちょくご、景色はまたも歪み、


 ――霧島榛名がいた。


 彼女は麦わら帽子を被り、白いレースのワンピース姿で海を眺めている。


「……榛名!」


 俺はそう叫んで彼女の手をつかみ、


 ――抱きしめた。強く。


 もう離さない。

 二度と離れ離れにならないように。


 ゆっくりと耳に届くさざ波の音。

 海から聞こえる二羽のカモメの鳴き声。

 しおの香りと生温なまぬるい夏の空気が肌に触る。

 抱きしめた彼女の髪が、俺の顔にかかる。

 シャンプーの、彼女のいい匂いがする。


 俺は強く抱いた腕をゆるめて、彼女の顔を見た。


 ロングヘアの美女が、真っ赤な顔をして俺から目をそらした。


 ロングヘア?


 ――そうか、ここは、オカ研世界か。


 って!


「わりい!」


 俺はあわてて榛名から離れた。


 目の前にいるのはロングヘア。

 どっからどうみてもオカ研世界の霧島榛名にちがいなかった。

 当の本人は顔を真っ赤にしながらうつむいている。


 ……うわあ、めっちゃかわいい。お前そんな顔できたのか!

 じゃなくて、


 これは……どうすればいい?

 入れ替わったと言えば、おそらく誤解は解けるだろうけれども。……いや、「……榛名!」なんて叫んでいる手前てまえ、この抱きつきの言い訳にならなくね?

 そもそも映研世界に榛名はいないってことになっているんだし。


 いっそのこと、いまここで榛名の知っていることをすべて聞き出したほうがいいんじゃないか?

 けど、いまここで昨晩起きた話を榛名にするのは正直気が引ける。

 ……いや、二人きりだからこそ、昨日起こったすべてを話したうえで、知っていることを――


「……あの、」


 緊張で、切り出すべき言葉が見つからない。

 そりゃそうだ。「色の薄い世界」に囚われている霧島榛名と、いま目の前にいる霧島榛名は、大学ノートを通じてやり取りをしていた可能性があるんだ。

 しかも、目の前の榛名が世界に留まれていることと引き換えに、もう一人が現実世界から姿を消したってこともありえる。


 そうなれば、最悪だ。

 目の前の榛名は、それを承知で俺たちに本当のことを黙っていたことになる。色の薄い世界の、あの子の犠牲をどうこの子は受け入れたのか。これから訊ねることは、とても重く、つらいものとなるだろう。


 けれど、あの子を救うためにも、俺は、

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