07-04 こんな事態なのに冗談なんか話さないでしょ?

 すでに午後十時半を過ぎた学内がくないは、意外いがいと人が多かった。

 夜間部やかんぶの学生だろうか。


 俺たち三人は、学生生協がくせいせいきょう前の自動販売機じどうはんばいきでそれぞれ飲み物を買った。

 自販機の取り出し口からコーラのペットボトルを拾うと、俺はすぐ横にあるベンチに目を向けた。


「ああ、あのベンチか」


 柳井さんはベンチの前まで歩く。


「たしかオカ研世界では異常いじょうなかったんだよな? こっちの世界では確認したのか?」

「いえ、まだです」

「磯野、試してみるか?」


 以前なら、八月七日に体験した色の薄い世界での出来事が頭をよぎって二の足を踏んだかもしれない。


 しかし、いまはちがう。

 俺はうなずき、ベンチに腰をかけてみる。


 なにも起こらない。


「色の薄い世界への入口は、常に固定しているわけではないということか」

「そのようです」

「磯野、柳井さんも一度部室に戻りましょう。たまたまうまく色の薄い世界へ行ったところで、なにも対策たいさくがないんですから」


 竹内千尋が、めずらしく俺たちをたしなめた。

 冷静な指摘は柳井さんの専売特許せんばいとっきょだと思っていたが、竹内千尋がそれをするとは珍しい。が、ということは、俺はともかく柳井さんにも焦りがあるんだろうか。……いや、俺に対して、気を遣って提案してくれたのかもしれない。


 俺たちは部室へと戻った。




  俺はソファに、竹内千尋はパソコン前の回転椅子、柳井さんはホワイトボードを背にしてそれぞれ陣取じんどった。柳井さんはお茶のペットボトルをテーブル置いて俺と千尋を見る。


「まずは色の薄い世界で接触した得体えたいの知れない存在についてだが、それってもしかして、時空じくうのおっさんじゃないのか?」

「時空のおっさん……ですか?」


 竹内千尋は首をかしげた。

 そうか。こっちの千尋は映画一筋ひとすじでオカルト分野ぶんやまでは手を出していなかったか。


「時空のおっさんは異世界いせかいもののオカルト話の一つだ。その異世界に迷い込んでいるうちに、姿をあらわすか、電話をしてくるというのが一般的だな。時空のおっさんの特徴とくちょうは、その名の通りの年配ねんぱいで作業服を着ているらしい。現実世界に戻してもらえるのだが、時空のおっさんと接触したとき、顔や声についての記憶がなぜか曖昧あいまいになる、というのがよくあるパターンだ」

「たしかに磯野の話と似てますね」

「磯野の話に当てはめると、時空のおっさんは人間のような姿をしているだけで、実際は人間ではないんじゃないだろうか。本当は姿も顔も声も無い、われわれ人類が認識するのとはべつの伝達手段をもちいる生命体なのかもしれん」


 柳井さんはそこまで話すと「ちょっと熱くなりすぎた」と言って手を振った。


「磯野が遭遇そうぐうした、その時空のおっさん的なものは、人間が言語化する以前の概念としてしか認識できないってことなんですよね」


 千尋は続ける。


「人って、イヌとかネコとか、言葉にしてはじめて、それがなんであるのかを認識するようにできていますよね。その言語化――言葉にすることによる存在の確認は、人間の無意識へと刷り込まれているので、未知みちとの遭遇があったとしても、いままでの言語化された情報がまた無意識に当てはめられて、存在のおおよその予測よそくができる。けど、それができないってことは、実際に遭遇してもなんであるか結びつけようがない……。つまり、


 ――人間の言語ベースの認識能力では把握しきれない存在


なんじゃないかなあ、と。言葉にはしてみましたけど、じゃあどう認識するの? って訊かれたらわかりませんが」

「竹内、接触した人間の脳を操作して、言語化をあえて遮断しゃだんしているとも考えられんか? 正体を隠すための、言語化を阻害そがいする装置そうちがあるのかもしれん」

「もしかしたら、特定の記憶を消す薬を投与とうよされた可能性もありますよ。実際は、磯野はその人物を見たけど、その薬で記憶を消されているとか……」

「けど、それだとその謎の人物だけ記憶が消えてやり取りしているって、実現するとしたらかなり高度なことにならないか?」

「……なるほど、けどそんな高度な技術をあやつれる存在って――宇宙人?」

「もしくは未来人かもな。とはいえ、色の薄い世界にある丘の上の駅が、磯野の言うとおり未来的な形状けいじょうだとしたら、あながち間違いにはならんだろう」


 なんだか難しいうえに突拍子とっぴょうしもない単語が出てきたな。

 とはいえ、この理解しがたい話をすんなり受け入れる竹内千尋の頭のやわらかさに、俺は正直しょうじき驚いた。


「なあ千尋、この到底とうてい信じられない話をおまえは受け入れられるのか?」


 千尋は俺の言葉にキョトンとしたが、すぐに当然のような顔をむけて、


「磯野、さっき君は、僕の目の前で消えたんだよ? 信じるしか無いじゃないか。それに、こんな事態なのに冗談なんか話さないでしょ?」


 そう言って、無邪気むじゃきに笑った。

 ……そうだよな。


 八月七日からいままで、俺の身にはおかしなことが起こりすぎて、感覚が麻痺まひしてしまっている気がする。そんな状態にもかかわらず、この世界でも柳井さんと竹内千尋の理解を得られ、正直ホッとした。


 ふと、海岸での彼女の言葉を思い出す。


 ――なんで? ……どうして、磯野くんが


 彼女はそう言った。

 俺と彼女は、以前にも会っていたんだ。

 その記憶は俺には無い。


 けれど、俺のなかの埋もれてしまった記憶が、彼女を覚えている。

 だから、俺の心は、彼女を失うまいと必死になっている。


 それは、つまり――


 俺は、

 彼女と、

 再会したんだ。

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