07-03 たった一度の失敗でそんな顔してたら、救えるもんも救えなくなっちまうだろう?

 G-SHOCKジーショックとスマホの待ち受け画面を見比べる。

 どちらも八月十二日 午後十時十一分。


 柳井さんの話によると、約三十分のあいだ、俺は玄関前から姿を消していたらしい。

 目の前から人が消えるという超常現象ちょうじょうげんしょうたりにした二人は、ふたたび俺があらわれるまで待っていた。


 柳井さんは、モスバーガーでの話を竹内千尋に伝えたそうだ。

 二人は目の前で起こった俺の消失しょうしつについて、俺が話したことと関係があると考え、その場にとどまっていたらしい。


「礒野、風邪かぜひくよ」


 竹内千尋が俺のリュックの中からバスタオルを取りだして頭にかけた。


 俺は目の前できざまれる二つの時間を見つめつづける。

 一秒、一秒ととき経過けいかしていくたびに、俺のなかの後悔こうかいもまた刻まれていく。


 あの手を離していなければ、

 榛名と引き離されずに済んだんじゃないのか?


 あの手を離していなければ、

 榛名も一緒に連れて帰れたんじゃないのか?


 あの手を離していなければ、

 榛名を、榛名を置き去りに――


「磯野!」


 竹内千尋が俺の肩をさぶる。


「大丈夫? 落ち着いてからでいいから、なにがあったのか話してくれる?」


 俺は右手の甲で目をぬぐった。

 一つ深呼吸をする。


 ……もう一度。


 そして、呼吸を整えてから――


「霧島榛名がいたんだ」

「磯野、それはモスで言っていた、オカルト研究会の世界の霧島榛名のことか?」

「いえ、この世界の――存在していない霧島榛名です」



 俺は二人に、文化棟玄関から消えたときの出来事を話した。


 霧島榛名とともに走馬灯そうまとうのような空間をて、砂浜へとたどり着いたこと。

 そこは色の薄い世界であったこと。

 彼女とは直接の面識めんしきがないのに、なぜか彼女は俺の名前を呼び、俺とのあいだになにかあったような素振りを見せたこと。

 手を離した瞬間にプラットホームへと飛ばされたこと、着信と得体の知れない存在との接触。


 ――そして、置き去りにした霧島榛名は、俺にとって大切な人だと確信したこと。


「三〇分のあいだにそんなことがあったのか」

「僕たちからすれば、磯野が帰ってきただけで心底しんそこホッとしたよ」


 俺は、二人にいままでのことを話したことで、後悔が、またもこみ上げてきた。


 己の行動の迂闊うかつさ。

 彼女を置き去りにしてしまった事実。


 あのときの判断を問われたら、誰もが間違ってはいなかったと言うだろう。


 あの世界の住人との接触せっしょく。それはとても大きな成果せいかだった。

 さらに、あの世界からの脱出だっしゅつには、あの住人からの連絡れんらくを待てばいい、という方法を知ることができたからだ。


 もしそうだとしても、彼女を置き去りにするくらいなら、いっしょににあの世界で留まっていたほうが正しかったんじゃないのか? 彼女を見つけだすまで、現実世界に帰ってくる必要はなかったんじゃないのか?


 後悔なんてしている場合じゃないのはわかっている。それでも俺の中の激情げきじょうがそれをゆるしてくれない。


 ふるえる足を止めようと、手でそれをおさえる。

 震える肩を止めようと、肩に力を入れる。


 その肩を、柳井さんがつかんだ。


「磯野、いいか、磯野が手を離さなくても、おまえと霧島榛名は引き離されただろう。モスで聞いた話をもとに考えれば、最初の海岸はその世界の中で霧島榛名がいる場所で、磯野のいる場所は駅のプラットフォームだ。磯野はどうしたって海岸に留まれなかったし、霧島榛名もまた連れて来れなかった。だから、


 ――磯野、おまえは悪くない」


 こらえていたはずの目の奥が熱くなる。

 ダメだ、ダメだ。……こんなところで情けない顔を、さらすな。


 どうにか堪えようと、俺はくちびるを強くむ。だが――


「俺、榛名に会ったんですよ? それなのに、そんな機会、また訪れるかすらわからないのに――」


 ……ダメだ……とまってくれない。

 この世界の霧島榛名は存在していないんだ。

柳井さんに訴えたところで、どうにもならないことくらい俺自身がいちばんわかっているはずなのに。


「磯野」


 俺のうったえに、柳井さんは俺の肩をつかんだまま顔をのぞきむ。


「磯野、いいか、これはチャンスだ。いままでのおまえは、なにもわからない中、二つの世界を彷徨さまよってきたんだ。だがな、現実世界に存在しない霧島榛名を、今日、おまえは発見したんだ。これをなんて言うかわかるか?


 ――前進ぜんしんだ。今日、それもさっきの三〇分で、おまえは解決に向けて大きく前進した。


それなのに、なんでそんなしけた顔を晒してるんだ? いままでとは比べものにならないくらいの大きな手掛かりをつかんだんだぞ。

「でも――」


 俺の言葉をさえぎって、柳井さんは言う。


「喜べ」


 もう一度。


「一回の失敗くらいなんだっていうんだ。磯野、おまえはこれからな、その霧島榛名って子を救うために、おそらく数えきれないくらの失敗をするだろう。けどな、その山ほどの失敗の中から、彼女を救いだす方法を見つけるんだ。それなのに、


 ――最初の、たった一度の失敗でそんな顔してたら、救えるもんも救えなくなっちまうだろう?」


 俺は柳井さんを見た。

 柳井さんは俺を見て微笑む。


「おまえはその霧島榛名って子を救いたいんだろ? なら覚悟を決めろ、磯野」


 俺はうなずいた。


「よし、じゃあまずは状況把握だな。だが、一度頭を切り替えるためにも休憩きゅうけいにしよう。喉がかわいたしな」


 柳井さんはそう言って立ち上がった。

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