11―45

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「レティ、カーラ」

「分かりましたわ」

「分かったぜ」


 クリスティーナに指示され、レティシアとカーラが両開きの扉へ向かった。

 そして取っ手を掴んで引っ張り始める。

 学園の地下にある扉と同様に部屋に対して内開きなのだ。


 ――ガガッ、ゴゴゴゴゴゴゴ……

 ――ガガッ、ゴゴゴゴゴゴゴ……


 扉が開かれると、扉の向こうから生臭い臭いが漂ってきた。

 オークの拠点のような生臭さではなく、魚のような臭いだ。


 ――もしかして、海に繋がっているのだろうか?


【マップ】


 僕は、『マップの指輪』に刻印された【マップ】の魔術を起動して、現在位置を確認した。

 ホールの入り口の扉から、この反対側の扉まで【スケール】の魔術で測ってみたところ、およそ2キロメートルだった。

『ローマの街』は、海沿いにあるわけではないので、近くに海があるとは思えない。


『海じゃなくて湖かな?』


 しかし、魚の生臭さに混じって微かに潮の香りがするような気がした。


「オイ! 奥が明るいぜ」

「ホントですわ。それにしても長い通路ですわね」

「どんな危険があるか分からないから注意して」

「生臭いわね……」

「微かに潮の香りがする……」


 レリアがそう言った。


「海に繋がっていますの?」


 パーティメンバーたちが開いた扉の前で奥を見ながら雑談を始めた。

 僕も少し上昇して彼女たちが見ている景色を見ようとする。

 左腕にカチューシャがしがみついているが、【フライ】を慣性モードで使っているためか、ほとんど抵抗を感じなかった。


 扉の向こうには、長い通路があり、緩やかな上り坂になっているようだ。

 浮いた状態では、通路の奥が見えない。

 扉の上部に遮られてしまうからだ。


 僕は、パーティメンバーを避けながら前に出た。

 そして、床に着地する。


 入り口付近で扉の向こうを見ると、凄まじく長い通路が奥へ延びていた。

 幅10メートル、高さ10メートルくらいの地下迷宮の通路がずっと奥まで続いており、最奥部が豆粒のように小さく見えている。

 通路は、緩やかな上り坂になっているので、ほんの少し見上げる格好になる。


 カーラたちの話では、奥が明るいということだったが、【ナイトサイト】を使っている僕にはそうは見えなかった。

 試しに【ナイトサイト】を切ってみる。


「あ……」


 思わず声が漏れた。

 周囲が暗くなり、通路の一番奥がボンヤリと光っている。


「どうしたの? ユーイチ?」

「いえ、カーラが奥が明るいと言っていたので【ナイトサイト】を切ってみたら、ホントに明るかったので」

「疑ってたのかよ?」

「そういうわけじゃないけど……」

「……外に繋がっているのかしら?」

「どうかな? それにしては、風の通りを感じないし……」


 通路の空気は淀んでいる。


「長い通路じゃのぅ」


 左腕にしがみついていたカチューシャが感嘆の声を漏らした。


「しかし、この臭いはたまらんのぅ……主殿、【エアプロテクション】を使っても良いかぇ?」

「どうぞ」


 海沿いの『ウラジオストクの街』で生まれたカチューシャだが、この臭いは苦手のようだ。

「潮の香り」というよりも「魚臭い」と表現したほうが相応しい臭いなので仕方がないだろう。


 カチューシャがしがみついている左腕付近の空気が暖かくなった。カチューシャが【エアプロテクション】を使ったためだ。


「うへぇ……生臭ぇな……」

「耐えられないほどではないだろう?」

「そりゃ、この広い部屋で拡散してるからだろ。通路の中は、もっと臭そうだぜ?」

「我慢しろ」

「死臭ではない……」

「そうですわね」

「髪に臭いが移ってしまいそうですわ」

「冒険者なのだから、我慢なさい」

「分かりましたわ。お姉様」


 背後から、マリエルのパーティメンバーたちの声が聞こえてきた。

 開いた扉から漏れ出た悪臭は、マリエルたちが居る位置まで達しているようだ。


「ユーイチ、どうするの?」


『ロッジ』


 僕は、レティシアが開いて保持している扉の近くの壁際に『ロッジ』の扉を設置した。


「とりあえず、『ロッジ』に入ってください」


 この場に居る全員に向かってそう言った。


「分かったわ」

「了解した」

「分かったぜ」

「ええ」

「了解……」


 ――ゴゴゴゴゴゴゴ……

 ――ゴゴゴゴゴゴゴ……


 レティシアとカーラが扉を保持するのを止めた為、扉が自動的に閉まっていく。


 ――ガチャ


 僕は、『ロッジ』の扉を押し開いた。


「オフィリスは、外で待ってて」

「畏まりました」


 僕は、『ロッジ』の中へ入り、いつもの席に座った。


「やはり主殿が作られたこの部屋の中が妾は一番落ち着きまする」


 カチューシャがそう言って僕の腕を放して左隣に座る。

 会話が出来ているということは、【エアプロテクション】を解除したようだ。


 クリスティーナたちパーティメンバーに続いて、マリエル、アンジェラのパーティメンバー、そして最後にレヴィアたち使い魔が『ロッジ』に入り、扉が閉められた。

 僕は、『ロッジ』の扉を『アイテムストレージ』へ戻す。


『現在時刻』


 時刻を確認してみると、【08:14】だった。

 いろいろあったので、もっと時間が経過しているかと思ったが、まだ1時間ちょっとしか経っていなかった。

【戦闘モード】を使ったあとは、刻印体――【大刻印】を刻んだアバターのような体――であっても時間の経過が分かりづらいのだ。

【大刻印】には、時計機能があるので、そういうときは現在時刻を確認すればいいだけなのだが。


「じゃあ、ユーイチ。偵察をお願いしてもいい?」


 僕の向かい側の席に座ったクリスティーナがそう言った。


「了解……カチューシャさん?」


 僕は、クリスティーナに返事をしてから、左を向いてカチューシャを呼んだ。


「何じゃ? 主殿?」

「僕は、オフィリスに憑依して偵察に行ってきますので、僕の体をよろしくお願いします。カーラが変なことをしないように護っていてください」

「相分かった。妾にお任せあれ!」


 カチューシャが力強く頷いた。


「オイ! ユーイチ! 何でオレだけ名指しなんだよ!」


 カーラが隣のテーブルから抗議してきた。


「日頃の行いのせいですわ」


 テーブルの向かい側から、クリスティーナの隣に座ったレティシアがそう言った。


「じゃあ、偵察してきます」


 僕は、カーラたちには反応せず、そう言ってテーブルに突っ伏した。


『オフィリス憑依』


 目を閉じてオフィリスに憑依した――。


 ◇ ◇ ◇


 テーブルに突っ伏して座った状態から、いきなり直立した状態になった。


 目の前に広いホールが広がっているのが見える。

 オフィリスは、【ナイトサイト】の魔術を使っていた。

 パペットのドライは、暗い場所でも僕が指示しないと使わなかったが、ホムンクルスは命じられなくても使うようだ。

 目のような器官が存在しないパペットと違い、刻印を刻んだ人間に酷似したホムンクルスは、暗所では周囲が見えないからだろう。


『寒い……』


 元々、気温が低い地下迷宮だが、落とし穴を落ちた下層は、更に気温が低いのだ。

 氷点下ではないだろうが、おそらく摂氏5度前後だと思われる。

 オフィリスに憑依する前は、厚手のローブを着用して、更にその上に外套まで羽織っていたので、まだマシだったが、オフィリスはメイド服を装備しているため、かなり寒く感じた。

 特に剥きだしの太ももやミニスカートの中の股間がスースーする。


『オフィリス、【インビジブル】と【エアプロテクション】を起動して』

『分かりましたわ』


 オフィリスの身体が暖かい空気に包まれた。


『【トゥルーサイト】は?』

『起動中ですわ』


【トゥルーサイト】と【レーダー】は、起動していたようだ。前に起動するように指示したので、それを守っているのだろうか?


『あ、一応【レーダー】を拡大しておいて』

『畏まりましたわ』


 視界の真ん中に円形のウィンドウが拡大表示されたが、周囲には何も映っていない。


『じゃあ、扉を開いて奥へ移動して』

『はいですわ』


 オフィリスが扉の取っ手を掴んで手前に引いていく。

【エアプロテクション】を起動しているので、扉が開く音はしない。


 扉を半分くらい開いたところでオフィリスは中へ身体を滑り込ませた。


 扉の向こうは、物凄く長い通路が奥に向かって延びていて、その通路は、緩やかな上り坂になっている。


『映画やゲームなんかだと巨大な丸い岩が転がってきたりするんだよな……』


 流石にそんなベタな罠が仕掛けてあるとは思えないが、落とし穴があった以上、他にも罠が無いとは言い切れない。


『ご主人サマ?』


 僕が考え事をしているとオフィリスに念話でそう呼び掛けられた。

 オフィリスに僕の思考が漏れてしまったのかもしれない。


『ごめん……。じゃあ、奥に向かって走って移動して』

『分かりましたわ』


 オフィリスが奥へ向かって走り始める。物凄い加速だ。

 走り出して3歩目には巡航速度になった。5メートルくらいの大きなスライドで跳躍しながら走るスピードは、僕がフェリアと一緒にコボルトなどを狩っていた頃に【ウインドブーツ】で走ったときよりもずっと速い。オフィリスは、あの頃の僕たちよりもずっとレベルが高いので当然と言えば当然だろう。


 オフィリスは、地下迷宮の長い通路を疾走し続けた――。


 ◇ ◇ ◇


 緩やかに登り勾配のついた長い通路をオフィリスは、飛ぶように疾走している。

 あれから、5分くらい経ったが、未だに通路の出口には到着しない。

 また、今のところ落とし穴や大きな岩が転がってくるような罠もなかった。


 床にスイッチがないか注意して見ていたが、特に怪しいものは発見できなかった。

 天井にもスライムの穴のようなものは見当たらない。


 それから、数分が経過した頃、通路の出口が見えてきた。

 そして、【レーダー】に赤い光点が現れた。


『ストップ!』


 ――ザザーッ!


 オフィリスは、身体を左に向けて地面を滑るように急停止する。

【エアプロテクション】を起動していてもブーツの裏と接地面が擦れる音がした。【エアプロテクション】内の空間で発生した音だからだろう。


『敵に注意しながら、歩いて出口に向かって』

『畏まりましたわ』


 オフィリスが出口のほうに向き直って歩き出す。


 どうやら、通路の奥には広い部屋があるようだ。

 奥の部屋までの距離は、100メートルくらいだろうか。

 部屋の中に居るモンスターが【レーダー】に映っていることを考えると、100メートル以内のはずだ。


【ナイトサイト】を起動していても奥が明るくなっているのが分かる。

 もしかすると、部屋は屋外で空が見えているのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 オフィリスが通路の終点に到着した――。


 大きな部屋の中には、何十体もの半魚人がたむろしていた。

 スケルトンのように整然と並んではおらず、立ち止まっている者や彷徨うろついている者など様々だ。

 半魚人は、黒に近い深緑色の鱗に包まれた肌を持ち、体の大きさはノーマルオークくらいで、手には三つ叉の槍を持っている。

 このモンスターは、サハギンだろう。

 サハギンは、【インビジブル】を見破る能力を持っていないようで、オフィリスが発見された様子はない。


 魚のような生臭さもこいつらが原因だったようだ。


 ――何故、モンスターなのに生臭いのだろう?


 見た目は半魚人だがモンスターであるサハギンは、冒険者と同じ刻印体のような体なので、臭うとは思えなかった。


 ――冒険者も汗をかくと汗臭くなるように、サハギンは生臭い汗のようなものを分泌しているのだろうか?


 僕は、昨日のマリエルを思い出した。


 この部屋は、50メートル四方くらいの広さで、天井の高さも同じくらいある。

 ここは屋外ではなく、天井一面が発光していた。僕が『ハーレム』の大浴場で作った天井とよく似た構造だ。


 そして、部屋の中央に四角いプールがあるのが見える。

 大きさは、10メートル四方くらいだろうか。


 天井にも抜け穴はなく、地下迷宮は、この部屋で行き止まりのようだ。

 しかし、中央にあるプールが気になった。


『オフィリス、【マニューバ】を起動して』

『はいですわ』

『あのプールの中に入って、奥を調査して』

『分かりましたわ』


 オフィリスの身体がフワリと浮かび上がり、サハギンたちを飛び越え部屋の中央のプールへ向かって飛行する。

 そのまま、足のほうからプールに沈み込んだ。

【エアプロテクション】が掛かっているためか、かなりのスピードで水面に落下したにもかかわらず、衝撃で水面が大きく波打つことはなかったものの、サハギンたちが一斉にこちらを見た。

 しかし、サハギンたちは、【インビジブル】で姿を消しているオフィリスには気付かず、警戒レベルが上がっただけのようだ。


 オフィリスは、水中で反転した。

 プールだと思っていた水溜りは、下向きの通路だったのだ。

 5メートルくらいの深さのところで折れ曲がり横方向への通路が続いていた。

 この通路は、水没した地下迷宮の通路という印象だ。

 同じ技術で作られているように見える。


 水没した通路はかなり長いが、オフィリスは【マニューバ】で移動しているため、かなりの勢いで水中を進んでいった。


 それから、数十秒くらいで通路から海の底へと飛び出した。


 ――海に抜けた!?


『ローマの街』から海までどれくらいの距離があるのか知らないが、地下迷宮は『ローマの街』近くの海底に繋がっていたようだ。


『オフィリス、後ろを見て』

『はいですわ』


 オフィリスが海中で反転した。

 海中にある棚状の地形に四角い大きな穴が空いているのが見える。


『上を見て』


 オフィリスが頭を上に向けた。

 海面までは十メートルくらいの距離があるようだ。


『視線を戻してから、ゆっくりと浮上して』

『畏まりましたわ』


 オフィリスの身体がゆっくりと上に向かって移動していく。

 棚状の地形の向こうには海岸に向かって海底が延びている。

 海岸から通路の出口までは、数百メートルくらいの距離があるようだ。


【レーダー】には、何も映ってはいなかった。

 魚が泳いでいるのが見えるが、【レーダー】には表示されていない。

 猫は【レーダー】に映ったので、ある程度大きな魚じゃないと映らないのかもしれない。


 オフィリスは、そのまま海面へ向かって上昇していく。


『綺麗だな……』


 僕の眼前には、コバルトブルーの海が広がっていた。

 海面に近づいたことで太陽の光が強くなってきたのだ。

 元の世界の日本の海と違って、透明度が高く水中でも明るい海だった。

 イタリアの西側にある海なので、おそらく地中海だろう。

 地中海には、8つの海域があるようだが、あまり興味がないので、僕はどの海域がどの辺りにあるのかよく知らなかった。エーゲ海やアドリア海は有名なので、だいたいの位置は知っていたが。


 眼前に広がる光景に見蕩れている間に海面へ到着した。

 オフィリスが海上へ出る。


 数百メートル先に海岸線が見え、砂浜の向こうには草原が広がっている。

 その奥には、木々が生い茂っていた。しかし、深い森という感じではない。


『オフィリス、もう上昇しなくてもいいよ』

『はい』

『この場でゆっくり右方向に一回転してみて』

『分かりましたわ』


 オフィリスが海上でゆっくりと回り始めた。

 海面は、穏やかで凪の状態だ。


 僕は、船を探した。

『ローマの街』から近いため、漁に出ている漁民が居るのではないかと思ったからだ。

 海岸には、港らしきものは見あたらなかったが、小さなボートでも魚を獲ることはできるだろう。

 しかし、周囲には、船どころか人工物が見あたらない。


『【ワイド・レーダー】を起動してみて』

『はい』


 オフィリスの視界から【レーダー】のウィンドウが消え、代わりに【ワイド・レーダー】のウィンドウが開いた。

 沖の方に緑の光点がいくつか表示されたが、海上には何も見えなかったので、おそらく大型の水棲生物が映っているのだろう。


 オフィリスが一周回って停止した。

 海岸の方を向いているが、ここからでは『ローマの街』の城壁も見えなかった。

 森に遮られている為だ。

 しかし、かなりの距離を移動したので、もしかするとここが見通しの良い場所だったとしても、地平線の向こう側に隠れて見えなかったかもしれない。


『砂浜まで移動して』

『畏まりましたわ』


 オフィリスが岸に向かって移動を開始した。

【マニューバ】を使っているので、あっという間に砂浜に着いた。

 陽の光に照らされたカーキ色の砂浜だ。

 海と違って、日本にもありそうな普通の砂浜という印象だった。


『じゃあ、オフィリスは、ここで待ってて』

『はいですわ』


『憑依解除』


 僕は、オフィリスを砂浜で待たせて憑依を解いた――。


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