6―39

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『現在時刻』


 現在の時刻は、【17:24】だった。

 そろそろ、ミナたちが『ユミコの酒場』へ行く時間だ。

 僕はゆっくりと身体を起こした。


「うぅーん……」


 マリが目を覚ましたようだ。マリは、途中で寝てしまった。

 僕の身体は、ローションや体液でべたべただったが、ここは、遠隔で自動清掃機能を発動させることができない。

 僕は、マリを抱き起こして風呂へ誘った。


「マリさん、お風呂につかりましょう」

「んっ……ぁはいですわぁ~っ」


 まだ眠そうだ。

 一般人なので、刻印を刻んだ我々とは違い、いきなり完全に覚醒するわけではないのだ。


【フライ】【エアプロテクション】


 僕は、【フライ】を起動して、マリを抱えて湯船に入った。

 お湯は、38度設定にしてあるので、それほど熱くはなく、一般人がいきなり入っても大丈夫だろう。

 他の使い魔たちも次々と湯船に入ってくるが、『ハーレム』の大浴場のように湯船が大きくはないため、全員がつかるのは無理そうだ。それでも、湯船は4メートル×3メートルくらいあるので、二人で入るには大きすぎるサイズなのだが。

 湯船につかった僕とマリの周囲を50人弱の使い魔たちが取り囲んだ。かなり距離が近いので、視界に入る裸体が気になって入浴に集中できない。使い魔たちも【エアプロテクション】を使ったのか、身体にローションなどは付着していなかった。


「ああ……気持ちいいですわ……」


 マリは、入浴を楽しんでいるようだ。

 トモコの話によれば、こういった、お風呂は庶民には珍しいらしい。

 庶民でも年に一度くらいは、家族旅行のような感覚で高級旅館に行ったりするのだろうか?

 次の商売として、庶民のために安い銭湯を経営しようかとも思ったが、普通の銭湯が潰れてしまう可能性が高いためその考えは却下した。


「マリさん、この街に住む一般的な庶民でも高級旅館を利用することはあるのですか?」

「いいえ、それはございません。ああいった旅館は、一見様を断るので商家の方しか利用しませんわ」

「じゃあ、こういうお湯の張ったお風呂は珍しいのでしょうね」

「はい」

「こういったお風呂に入る機会はあるのですか?」

「ええ、一人用の小さなお風呂は、多くの家に設置されています。しかし、川から水をんで来るのが大変なので、普段はタライにお湯を入れる湯浴みが一般的ですわ」


 マリを見ると、髪がお湯につからないように苦心くしんしているようだ。


「別に大丈夫ですよ。最後に自動清掃機能を発動させますので、濡れていても乾きます」

「そうなんですか……?」

「ええ、ですから髪を濡らしても問題ありません」

「ありがとうございます」


 長い髪を濡らしてしまうと、乾かすのが大変なのだろう。この後、『組合』に戻ったり、家に帰ったりしたときに雨も降っていないのに髪が濡れていたら不自然だ。風邪をひいてしまうかもしれないし。


「マリさん、身体は大丈夫ですか?」

「はい、おかげさまで癒されましたわ」

「何か困ったことがあったら、この娼館に来てください」

「ありがとうございます」


 僕は、レイコに指示しておこうと、顔を上げるとレイコは目の前に居た。


「レイコ、マリさんに限らず、この娼館に助けを求めてきた人が居たら、問題の解決に協力してあげて」

「ハッ! 畏まりました」


 僕はこの娼館にそれほど居ないと思うので、実質的な責任者はレイコになる。問題の対処は、レイコに一任するつもりだ。この街で冒険者をやっていたので、僕よりも正しい判断ができるだろう。


「じゃあ、上がろう。そろそろ『ユミコの酒場』へ行く時間だよね?」

「「はいっ!」」


 使い魔たちの返事が浴室に響いた。


【エアプロテクション】『装備2換装』


 僕は、湯船を出て服を着た。

 引き戸を開けて、脱衣所へ出る。


「じゃあ、全員服を着て」


 使い魔たちに服を着るよう指示して、【フライ】をオフにする。

 マリが服を着るのを待ってから、鍵を開けた。


「あっ」


 マリが声を上げた。

 自動清掃機能が発動したのだろう。


「ご主人様、わたくしが……」


 そう言って、甲冑姿のフェリアが扉を開ける。同時に僕の身体が回復系魔術のエフェクトで光った。外に出るのでバフをかけ直してくれたようだ。


 部屋を出ると、娼館の入り口付近に人が何人か集まっていた。

 僕は、外套がいとうのフードを上げて近づいた。


「何か御用ですか?」


 近所の住人らしい無精髭を生やした男に話しかけた。


「ここは、何ができるんだい?」

「娼館です」


 男は振り返って、他の者に言った。


「ほら見ろ! やっぱり娼館だろうが?」

「なんだよ、飲み屋じゃなかったのか」


 男は、こちらを向いた。歳は、30代半ばくらいだろうか。身長は、僕と同じくらいだ。


「なぁ、坊ちゃん。いくらでそのたちを買えるんだい?」

「1ゴールドです」

「おお、『春夢亭しゅんむてい』より安いな」

「その代わり、1時間20分程度のサービス時間ですけどね」

「うーん、それだと安いか微妙だな」

「ええ、ですから好みの方を利用してください」

「まぁ、金ができたら、一度試してみるわ」

「営業は、明日からの予定なので、よろしくお願いします」


 それを聞いて、集まっていた町人たちは帰って行った。

 僕は、レイコのほうを見た。


「じゃあ、レイコたちは、『ユミコの酒場』へ行って。マリさんも『組合』へお帰りください」

「畏まりました」

「ユーイチ様。今日は、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました」


 レイコのパーティメンバーとマリが外へ出て行った――。


 ◇ ◇ ◇


 僕は、残った使い魔たちに『夢魔の館』の案内を続けることにする。


「じゃあ、入り口から左方向にある扉だけど、あそこは、事務所のつもりだったんだけど、よく考えたら事務所なんて必要ないので、娼婦たちの控室にしたんだ」


 左奥の扉の前に歩いていく。

 そして扉を開けて、中に入った。

 使い魔たちも僕の後について中へ入ってくる。

 この部屋は、幅が3メートル弱で、右方向の奥行きが14メートル弱の細長い部屋だ。

 部屋の真ん中やや奥側にエントランスにあったものと同じ幅1メートル、長さ3メートルくらいの背もたれのない長椅子が縦に2基並んで設置されている。長椅子と長椅子の間は、2メートルくらい空いていた。

 奥の壁には扉がある。扉のデザインは、どれも基本的に同じだ。見た目は木製で、幅が1メートル弱、高さが2メートル強だ。この部屋に入る扉は、エントランス側へ開くものだったが、奥の扉は、この部屋のほうへ引いて開けるものだ。


 僕は、奥の扉を手前に引いて開け、その先の廊下に出た。

 4メートルくらいで奥の壁に突き当たる。そこから右方向を見ると幅2メートルくらいの廊下が向こうまで続いている。

 左方向には柵があり、長さ2メートル、幅1メートルくらいの長方形の穴を囲っていた。

 天井を見上げると、左隣の場所に同じような、長さ2メートル、幅1メートルくらいの穴が天井に空いている。


「ここは、階を移動するため場所です。階段が無いので【レビテート】か【フライ】などで移動してください」

「「はいっ」」

「これは斬新な発想ですね」


 トモエが感想を述べた。商家の娘なので、いろいろな建築物を見た経験があるのかもしれない。


「まぁ、全員が魔力系魔術を使えるからできる芸当だけどね」


 最初は、階段を設けようと思っていたのだが、全員が飛行魔法などを使えるので、飛んで階を移動したほうが早いだろうと考えたのだ。問題は、僕が居ない間に来た娼婦希望者だが、そのためにこの廊下の奥にある部屋を用意した。


【フライ】


 そして、僕は廊下を右に曲がって【フライ】で奥へ移動し始めた。

 この廊下は、約40メートルと結構長い。幅も2メートル近くあるため、廊下としては割と広い印象だ。

 しかし、窓がないため閉鎖的に感じる。


 突き当たりに扉がある。

 扉を引いて開けて、中へ入った。


 中には、『ロッジ』にあるのと同じ6人掛けのテーブルと長椅子のセットが1つだけ置いてある。

 テーブルの向こうには、石畳の床から50センチメートルくらいの高さに奥行き約3メートル、幅4メートルくらいの畳敷きの寝間がある。畳の上には、布団が敷かれている。寝間のある一角の天井には光源を設置していないので、奥は薄暗くなっている。

 入り口から右を向いた一番奥に扉があるのが見える。あの扉は、女子トイレのドアだ。女子トイレの向こう側は、つながってはいないが、男子トイレがある。

 僕は、寝間のところまで行ってから振り返る。

 使い魔たちが部屋の中に続々と入ってきた。

 全員が入ったところで、この部屋の説明をする。


「ここは、娼婦希望者のための部屋です。娼婦希望者が訪ねて来たら、まず、この部屋に通してください。そして、年齢が40歳以上に見える場合には、『女神の秘薬』を飲ませてください。また、食事等も振る舞っておいてください」

「「はいっ!」」

「『女神の秘薬』や食事代にかかったお金は、レイコに請求してください。遠慮せずに必ず請求するように」

「「はいっ!」」

「娼婦希望者には、この部屋を自由に使ってもらってください。できれば、誰かがここで相手をしてあげるか、最低でも定期的に何か問題がないかのぞいて、希望を聞いてください。睡眠を取りたい人には、奥の布団で寝てもらってください。また、奥の扉は、かわやの入口です」


 この部屋は、入り口の扉の開閉などで自動清掃機能を発動させることができない。1日に4回、6時間ごとに自動的に発動するのだ。

 ちなみに自動清掃機能で食べている最中の食事等が消え去ってしまうのかと言えば、以前はそうなるのだろうと思っていたが、実際には消えない。必要なものかそうでないものかを自動的に判別しているようで、例えば、テーブルの上にこぼした食べ物は消えるが、食器などに入っている食べ物は、食べかけのものでも消えない。おそらく、カビたり腐敗したものは器に入っていても消えると思う。


 僕は、使い魔たちの間を抜けて、廊下へ出た。

 そのまま、廊下の端まで【フライ】で移動する。

『昇降場』――僕が勝手に付けた名前だ――の前で止まる。


「この娼館の階を移動するこのような場所を今後『昇降場』と呼びます。では、今から上の階に移動するので【レビテート】か【フライ】を使ってついてきてください」

「「はいっ!」」


 僕は、柵のある場所の左側に移動して、【フライ】で上昇して天井の穴をくぐった。

 穴をくぐると1階にあったものと同じ柵で囲まれていた。

 柵を越えて廊下に着地する。使い魔たちも次々と柵に囲まれた穴から出てくるので、僕はスペースを空けるために壁際に移動した。

 2階の外壁に面した長手方向の廊下には、縦1メートル×横1メートルくらいの正方形の嵌め殺しの窓が2メートルおきくらいに設置してある。窓の下枠の高さは、1メートルくらいだ。窓から外を眺めると、既に真っ暗だった。天井全体が淡く発光する設定にしてあるが、廊下は割と薄暗い印象だ。

 2階から10階までは、全て同じ構造になっている。娼婦たちの個室があるだけだ。

 廊下を見ると左側には窓、右側には22個の扉が約2メートルの間隔で並んでいる。


 一番近くの扉を開く。

 部屋の中は廊下よりも薄暗い。必要なら【ライト】などの魔法を使えばいいので、暗めに設定したのだ。『ハーレム』の寝間と同じくらいの光量だ。

 部屋の広さは、幅2メートル弱、奥行き3メートル弱だ。壁芯で、その大きさに設計してあった。

 部屋の中には、据え付けのベッドとクローゼットがある。それだけで、部屋の面積の半分くらいが占領されていた。

 狭い部屋ではあるが、一人になれる空間があったほうがいいだろう。

 常に使い魔たちに監視されているので、僕もそういう一人になれる部屋が欲しいくらいだ。


「ちょっと狭いけど、これが娼婦のプライベートルームです。部屋の割り当ては、レイコたちが帰ってきたら、レイコに任せるつもりです。一人になりたいときなどに利用してください。鍵はかからないので、他人の部屋に入るときには、ノックをするように」

「「はいっ!」」


 部屋の扉を閉めて、僕は廊下を移動する。40メートル以上移動して廊下の突き当たりを右に曲がる。

 6メートルくらい進むと右にも廊下がある。右を見ると、左右に扉の並んだ廊下が向こうまで続いている。

 つまり、2階以上の建物は、22部屋が2つ合体した島が2セットあるのだ。一つのフロアに88部屋の個室がある計算になる。それが9階あるので、792部屋の個室がこの建物には存在する。

 その廊下を曲がらずに反対側の廊下まで移動した。

 右に曲がると、左側に窓が並び、右側に部屋の扉が並んだ廊下が向こうまで続いている。

 廊下の端から端までは、48メートル弱だ。

 窓から外を見ると大通りが見える。

 街灯があるので、通りがそれなりに見える。付近の住人だろうか、通りを歩く人がこの建物を興味深げに眺めていた。


 僕は、飛行して廊下の突き当たりまで移動した。

 右に曲がった。こちらからも6メートルほど先に右に入る廊下があるのが見える。

 奥には、下へ降りる穴を囲んだ柵が見える。柵の向こう側の空間の天井には、上の階へ上がるための長方形の穴が空いている。つまり、千鳥ちどりに穴が空いているのだ。同じ位置に穴を開けたほうが【レビテート】などで一気に上昇下降ができて便利かとも思ったのだが、娼婦希望者の一般人が転落する可能性がゼロとは言えず、何となく危険な感じがしたので、一階ずつ上がるように千鳥に穴を設置した。柵も一般人の落下防止のためだ。刻印を刻んだ身体なら、うっかり転落しても怪我すらしないだろう。運が悪くてもHPが少し減る程度だ。僕たちのレベルならそれもないだろう。


 僕は、柵の近くまで移動した。


「柵の向こうの天井から、上の階に上れますが、この階より上の階は全く同じ構造です。つまり、娼婦が増えたときのための個室があるだけです」


 そう言って、僕は柵を越えて、1階に降りた。

 そして、そのまま建物の角方向へ移動し、次の柵の中にある長方形の穴へ入り、地下に移動する。

 地下フロアに柵はない。これ以上、下の階が存在しないからだ。

 降りた場所は、幅2メートル弱、長さ10メートル弱の廊下だった。

 廊下の突き当たりの左の壁に扉がある。一階だと、玄関のある方向だ。

『夢魔の館』は、『組合』から大通りを西門方向へ15分ほど歩いた左側にあるので、通りから見れば南に建物があるが、玄関は建物の北側にあることになる。男子トイレは、北西の角にあり、昇降場は、南東の角にあるのだ。


 僕は、その扉に向かって移動した。

 扉を開けて中に入ると、『ロッジ』とよく似た部屋に出た。違いは、『ロッジ』の半分のサイズということだ。現在の『ロッジ』には、6人掛けのテーブルが4×4の16台あるが、この部屋は4×2の8台だった。


 入り口の扉から、壁沿いに10メートルほど進んだ右の壁に扉がある。この扉の向こうは、寝間になっている。

 その扉の反対側の壁には、裏口の扉が繋がっているので、僕が扉を召喚すると、あの壁に扉が出現するはずだ。

 また、部屋の一番奥の壁の真ん中にも扉がある。その扉の向こうは、大浴場だ。


 僕は、10メートルほど移動して寝間の扉の前まで来た。そして、使い魔たちの方へ向いた。


「このフロアは、娼婦たちが使う施設です。食事を採りたい人は、ここのテーブルを使ってください」

「「はいっ!」」


 僕は、扉を開けた。

 中は、薄暗い。畳の間になっていて、布団が敷いてある。

 横に広い部屋だ。設計通りなら、奥行きが8メートル弱で左右の長さが24メートル弱あるはずだ。


「ここは、寝間になっているので、休みたい人は利用してください」

「「はいっ!」」


 僕は、奥の扉に移動した。

 そして、扉を開く。ここは、大浴場だ。

『ハーレム』の大浴場よりは狭いものの、奥行きは20メートル以上あり、幅は18メートル弱の空間だ。天井の高さが3メートル弱なので、その点も『ハーレム』に比べると狭く感じる要因となっている。

 洗い場が入り口から8メートルくらいあって、その奥が湯船となっている。


「この奥は、大浴場です。お風呂に入りたいときに利用してください」

「「はいっ!」」


 風呂には、娼婦の仕事で何度も入ると思うので、娼婦たちが入りたいと思うかどうか分からないが……。

 僕は、扉を閉めた。


「向こうの壁と僕が持つ裏口の扉が繋がっています。僕が扉を召喚すると、その壁に扉が出現するはずです」

「「はいっ!」」


『ロッジ』


 僕は、『ロッジ』の扉を部屋の隅に召喚した。


 そして、扉を開けて中に入った――。


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