「……」

 紅に言われた通り、彼女の部屋から拝借した治療具で沐漣の手当てをしていた棘縉は、先ほどの自身の失言から来る気まずさに、折角沐漣と二人きりでいるという状況なのにも関わらず、何も話し出せずにいた。

「そういえば先ほど部屋に来た時、何か話をしかけていただろう? 今なら落ち着いて聞いてやれるぞ? なんだ?」

 助け舟を出すかのように、レンのほうから棘縉に話しかけてくる。棘縉はハッとして顔を上げる。先ほどのことなどまるで気にしていない、むしろ、気にしてもしょうがないと言いたげな無関心な表情が、棘縉の心に刺さった。恐らく彼はあの程度のことなど言われ慣れているのだ。その事実に、棘縉の目にジワリと涙が浮かぶ。

「もっ、申し訳ありません!」

「何がだ。突然どうした? さっきのことなら別に怒ってなどいないぞ?」

「そっ、そうではありませんわ。いえ、先ほどのこともではあるのですけれども、それだけではありませんの。いつもいつも、わたくしの浅慮のせいで、沐漣さまにはご迷惑をおかけしてしまって……!」

 咲枝や弦、讖箴たちは知らないが、竜蹄の牢屋の壁に穴を開けたのは、棘縉の魔術だった。竜蹄船に追いつき、紅が咲枝の居場所に当たりをつけた時、棘縉が先走って魔法を使ってしまい、暴発させた結果あのようなことになっていた。一歩間違えれば竜蹄軍と剣を交える事態となってしまっていたはずだ。慎重に事を進めなければならなかった。そのことも、この謝罪には含まれていた。

「けれども、先ほども申し上げたように、全ては沐漣さまのため、のつもりでしたの。なにもお会いしてからではありませんわ。わたくしはずっと、ずっと、沐漣さまのことをお支えしたいと思って参りましたの。その想いに偽りはございません。実際にお会いしてからますます確信致しましたもの。やはりわたくしは、貴方をお支えしたいのだと。貴方のことを、お慕い申し上げているのだと……」

 そこまで一気に言うも、言い終わった途端に後悔が首を擡げてくる。沐漣が困ったような顔をして溜め息を吐き、考え込んでいるからだ。きっとどのように言えばこの聞き分けのない幼子が納得してくれるのか、考えあぐねているに違いない。やはりご迷惑でしかないのか? 自分のこの想いは独りよがりなのか? そう思って棘縉が徐々に俯いていると。

「……戦友では、駄目なのだろうか?」

「え……?」

 思ってもみなかった単語が発せられ、棘縉は呆気にとられてしまう。口からはさぞ情けない音が飛び出したに違いない。しかし、沐漣の表情は至って真剣なものだった。

「おばあさまの手前、オレが婚姻を結べない決まりを覆すことは難しいだろう。だが、いずれ皇位は継ぐ。その時、間違いなくオレには味方と呼べる存在が少ない。そこに貴女が旭晨家代表としていてくれれば心強い。こんな言い方は卑怯なのかもしれないが……オレと共に政敵と闘う、仲間となってくれることは、できないだろうか?」

 棘縉の目から、また一片、涙がポロリと零れ落ちた。恐らく沐漣はきちんと棘縉の気持ちを理解している。わかった上で、それには応えられないと告げているのだ。わかった上で、最大限の譲歩をしてくれたのだ。それも「支える」ということの、一つの形であるのだと。

棘縉はこれ以上沐漣を困らせたくなかった。けれど、今すぐ是と言えるほど、大人になりきれてもいなかった。

「わ、たくし、は……わたくしはどうやら、まだ子どもだったみたいですわ。貴方さまのそのご提案に……今すぐここで頷くことができませんの。けれども、一度きちんと考えてみます。考えた上で……もう一度貴方に、決意を伝えに参ります」

 わかった、と、それだけ一つ言って沐漣は神妙に頷き、棘縉は借りた治療具を返しに紅のところへ向かうため沐漣の部屋を出て行った。

 沐漣は座ったまま治療を受けた手を翳し、そこに落ちた棘縉の涙を、暫くの間見つめていた。

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