第一章 新参、来たりて

「あれっ? おはようございます、オルハくん」

「……おぅ」

 ひんやり冷えた、すっきりとした空気の朝の通学路にて。今にも瞑りそうな目で欠伸を噛み殺すオルハに、利駆はくすりと笑みをこぼす。以前は朝は遅刻、授業中は裏庭で昼寝の生活を続けていたオルハだったが、利駆に「付き合おう」と告げて以降、彼の攻撃を交わし続ける利駆に少しでも付け入る隙を逃さないために、極力彼女のそばを離れないようにしていた。そのため、朝の登校時にいつの間にか彼が隣で歩いていることも増え、始めこそ戸惑いはしたものの、今では利駆ももう慣れっこだった。何故気がついたら突然、気配を感じる間もなくそこにいるのかは、恐らくウンウン唸って悩んだところで永遠に答えは出ないことなので、最近はあまり考えないようにしていた。そんな風に、利駆はだんだん“人ならざる者”がそばにいることに順応していっていた。

「今日は珍しく朝からお越しなのですね」

「うるせぇ」

 利駆にそんなつもりはなかったのだが、遅刻癖のあることを暗に非難されたと思ったのか、オルハは不満そうにそう返す。寝坊もできず、昼寝もできない生活は、オルハの睡眠時間をかなり減らした。急な無理がそんなに長く続くはずもなく、彼が朝から来るのが難しいことは相変わらず多い。たまにこうして間に合っても、大抵はこんな風に眠そうなのだ。それでも、オルハが授業にきちんと出席するようになったことは大きな、そして良い変化だと利駆は思っていた。

 そうして二人並んで通学路を歩いていると、ふいに第三の声が背後からその場に楽しげに躍り出てきた。

「オールハくんっ。やっほー!」

 利駆の思考を遮った声は、少し高めのトーンの男声。それとともに現れた少年は、やけに親しげに織羽の肩に手を置いた。利駆やオルハと同年代のように見えるが、彼らのように制服は着ておらずラフな格好で、誰もが忙しいこの時間帯に余裕を見せているところを見ると、私服の学校に通っているか、そもそも学生ではないのかもしれない。

 名前を呼ばれた当のオルハは、全く反応する素振りを見せない。少年の様子から、まさか知らぬ仲ではないのだろうとは思われるのだが。

「ねぇ、オルハくんってば」

「オ、オルハくん。お知り合いのようですが」

 利駆はたまらずオルハに呼びかける。だが、オルハの態度は変わらず、肩に掛けられた手を乱暴に払いながら言う。

「知らね。無視しろ」

「えー! 何ソレ酷くない?」

 痺れを切らしたのか、少年は後ろから回り込んで利駆たちの前に現れた。なんというか、とても華やかな印象の人だった。チャラチャラと華美に着飾っている訳でもないのに、雰囲気が明るいせいだろうか。アイドルは茜で見慣れていると思っていたが、彼がその手の職業の人だと言われても疑わないかもしれない。利駆がそんな風に分析していると、オルハが彼に蹴りを入れ出す。

「邪魔だ、どけ」

「ちょっとちょっと、いきなり何すんの」

「そりゃこっちの台詞だ」

 まるでそこに取り合うサッカーボールでもあるかのように、男たちは蹴りの応酬を始めてしまう。歩きながら技を繰り広げるオルハも器用だが、後ろ歩きしながら足捌きを披露する男性はもっと上かもしれない。

「……ハァ。アンタらが来てるとは思ってたけど」

「あれれー? あんまり驚いてない感じ?」

「こないだから気配だけは感じてたからな。どうせサワの奴も来てんだろ」

 やっぱりバレてたか、と苦笑する少年は、次にオルハの隣できょとんとしている利駆のほうに目を向けた。一目見た感じでは、これといった特徴もない、ごく普通の人間の少女。それが少年の抱いた、利駆の印象だった。

 利駆のほうも意識を彼の顔に向けたところで、その視線に彼が気がつき、パチリとウィンクを飛ばしてきた。

「初めましてー。ボク戀羽」

「初めまして、権田利駆と申します。オルハくんのお友達ですか?」

 握手を求めて差し出してきた戀羽の右手を、オルハはバチンと叩き落とした。同時に「違う」と否定することも忘れなかったが、今度は戀羽のほうが、その言葉を無視した。

「まぁそんなとこー。病気が治ったって聞いたのにオルハくんてば一向に帰ってこないからさ、うるさーいご主人サマに、彼を連れ戻してこいって頼まれてんの」

「病気……? もしかして貴方も、オルハくんと同じ種族の方なのですか?」

 病気というのはアレルギーのことであろう。それが【何の】アレルギーであるかを知っていたとしたら、戀羽もオルハの同族ということになる。それに気がついた利駆は、ほぼ確信した上で問いかけた。

 それに対し、戀羽は口に人差し指を宛がいながら、にやりと笑うことで肯定の意を表した。彼は、やはりそのことを知った上でオルハと一緒にいるのか、と思うと同時に、少し感心もする。こんなどこで誰が聞いているとも知れない街中で、迂闊に“吸血鬼”という単語をそのまま口にしてしまわない程度には、この人間は頭が回るらしい、と。

(もっとも、そんなに賢そうにも見えないんだけどねー……)

 あくまでも冷静に利駆へと評価を下す戀羽は、再び視線をオルハに戻した。

「って、ことなんだけど。なーんで帰ってこないのさ、オルハくん?」

「うるせぇ。アンタにゃ関係ねぇ」

「いやいやいや、こうして駆り出されてる時点で関係大有リだからね?」

 蹴りこそやめたものの、相変わらず冷たく言い放つオルハの態度に、戀羽は「ぶー!」と口を尖らす。そうして大袈裟に肩を竦める戀羽だが、オルハはまるで取り合わない。利駆が心配そうにおろおろと両者を見比べる。

「オルハくん、いつか話して下さったあの場所に、戻るよう言われているのですか……?」

「アンタは黙ってろ」

「その娘が必要なら一緒に連れてっちゃえばいいのにさー。なんでそうしないの?」

話が利駆のことに及ぶと、オルハはぎろりと戀羽を睨んだ。

「コイツは関係ねぇ。ここに留まるのはオレの意思だ。帰るつもりもねぇからさっさと失せろ」

「へーぇ、ほーぉ、ふーん」

 口元に当てていた人差し指を頬へと移すと、戀羽はその場でクルクルと回り出した。軽やかなその身のこなしは、見ていて気持ちが良いほどだった。やがて止まった戀羽は指を、今度は利駆に突きつける。

「そんなにこの娘のどこがいいのかねー」

「人の話聞いてんのか」

「聞いてる聞いてる。ま、今日のところは退いてあげるけど、また来るから。じゃないと怒られるのはボクのほうだしぃ」

「来んなっ!」

 オルハは遂に学生鞄を戀羽のほうへと投げつけた。戀羽に当たるはずだった鞄はだがしかし、虚しくも地面にボスリと落ちただけだった。ひょいっと一歩飛び下がると、戀羽は頬に当てていた右手の人差し指を自分の輪郭に添えた。その口端はにぃっと上がり、笑みの形を刻んでいる。端正な顔が、途端にいたずら小僧のそれへと豹変した。

「それになんだか、他人に関心が無かったオルハくんがそれだけ気にするその娘にボクも興味湧いてきちゃったし。またね、利駆ちゃん♪」

 そう言って身を翻すと、現れた時と同じ唐突さで戀羽は姿を消した。人ならざる者特有の身のこなしに、利駆は目をぱちくりとさせる。

(一瞬で姿を消してしまうなんて……やはり彼も、人間ではないのですね)

 二人目の吸血鬼の登場に、利駆は今後の生活へ想いを馳せる。これまでより賑やかな生活に様変わりしてしまうことは、まず間違いなさそうだ。

 そんな利駆の横でオルハは、大仰にため息を吐いた。そうしてくるっと向きを変えると、元来た道を戻り始めた。

「オルハくん?」

「疲れた。帰る」

「そんな、学校は?」

「んなことよりアンタ。またアイツが来ても無視しろよ? まぁ今日はもう来ないとは思うけど……しつこかったら股間蹴り上げろ」

「はいっ?」

 驚いている間に、オルハの姿も消える。暫くぽつんと一人道の真ん中で立ち尽くしていた利駆だが、やがて小さく一つ息を吐くと、オルハとは反対の方角に、当初の予定通り通学を再開させた。オルハの最後の忠言についてはあまり深く考えたくなかったため、頭の中では一生懸命、先日の歴史の授業で習った年号を暗唱していた。

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