五時間目を全て泣くことに費やした利駆は、六時間目こそきちんと出席したものの(オルハが六時間目もサボったことは言うまでもない)、放課後に教科担当の教諭に呼び出しをくらうハメになった。律儀に欠席した理由を話した利駆に、教師は何故か憐みの目を向け、

「権田は普段は真面目な奴だし、この課題をこなしたら許してやるから、これっきりにしろよ」

 と言って、プリントの束を渡してきた。無断欠席したにしては情けをかけられた対応に利駆は首を傾げたものの、大人しく課された罰をこなすために、今は居残りをしている最中だった。そんな中、珍しくとりまきのファンを連れていない茜が教室に現れた。一度退出していたことは利駆も確認していたので、一人になれるタイミングを見計らってわざわざ戻ってきたのかもしれない。利駆がそう考えるほど、普段の茜の周囲は特筆して賑やかなのだ。彼は真っ直ぐ利駆に近づくと、利駆のすぐ横の席の椅子を引き、乱暴に座る。その音に利駆がそちらへと顔を向けると、彼は頬杖をついたままこちらを睨むように見つめていた。

「茜くん? お帰りになられたのではなかったのですか?」

「………………」

「茜くん?」

 茜はムスッとしたまま口を開かない。明らかに「話があります」という顔をしているのに、何から言い始めたものだか言いあぐねている様子だ。こんな時に言葉を重ねても茜を苛立たせるだけだと知っている利駆は、課題の手を止めて茜のほうへ向き直り、辛抱強く待つことにした。

「お前、さ」

「はい」

「最近、やたらあの不良野郎と一緒にいねぇか?」

「はい? 不良野郎、とは……?」

 どうして自分の周りには人の名前を直接言わない人が多いのだろう。利駆は一瞬、そんな場違いな疑問符を頭上に浮かべてしまう。

「狭山だよ狭山。もしかしてお前ら……付き合ってんのか?」

「は……そ、そんな、そんな訳ないじゃないですか! 何を仰っているのです茜くん、わたしにそんな価値などありません!」

 今日はやたらとその手の話題が振られる日だ。普段の利駆にとっては縁遠い話なので、彼女は少し面食らってしまっていた。彼女は朝のニュースの占いはあまり気にしないほうだったが、今日の恋愛運は何かおかしなことになっていたのかもしれない。

「つったって今日も五時間目はあいつといたんだろ……お前わかってんのか? お前は居候の身なんだぞ。進学しないなら、卒業と同時に蝶野を出なきゃいけないんだ。その先のことちゃんと考えてんのか? あんなくだらねぇ野郎に構うより先に、しなきゃならねぇことがあるんじゃねぇの?」

「それ、は……」

 利駆がオルハのそばにいるのは、事情を抱えている彼の、何かの力になれないかと思ってのことだ。興味本位で近づいている訳でも、ましてや茜が言うような色恋関係で一緒にいる訳でもない。少なくとも利駆にとってはそうだった。だがそれを茜にうまく説明する術を、利駆は有していなかった。

(オルハくんと秘密を共有していることは、たとえ茜くんでも言うことはできません。ですが他に、言い訳にできる理由が……)

 と、そこへ、今一番現れてほしくない登場人物が来てしまう。利駆が課題のために居残りさせられていることを知らないオルハが、彼女を探しに来てしまったのだ。

「利駆、今日あのばばあんとこに……」

「あ……お、オルハくん」

 利駆は慌てて、ガタリと椅子から立ち上がる。教室の後ろの入り口に立ったままのオルハと、利駆の隣の席に座ったままの茜の視線がバチリと交差する。先に目を逸らしたのはオルハのほうだった。

「わり、取り込み中だったか。また後で出直……」

「お前なんなんだよ?」

「あ?」

 不機嫌な、低いトーンの声で茜がオルハに噛みついていく。それに対し、オルハはとても面倒そうに一声だけ発する。利駆はこの二人が会話しているところを見たことがなかったが、それでも、この二人が明らかに相性が悪いことは、今のやりとりだけで充分わかってしまった。

「お前利駆のなんなんだよ? つか誰に許可得て利駆のこと名前で呼んでんだよ?」

「アンタこそ何言ってんだ? 人の名前呼ぶのになんで誰かの許しが要んだよ。何様のつもりだ? ふざけやがって」

「あの、お二人とも」

 白熱しそうな二人の口論に、おろおろと利駆が口を挟む。すると、今度はオルハの矛先が利駆のほうに向いた。

「利駆もいい加減こいつのご機嫌とりすんの止めろ。そういうの、マジで不毛だから」

「テメッ、ふざけてんのはお前のほうだろ! 俺たちのことよく知りもしないで、勝手に口出しすんじゃねぇ!」

「あぁ、知らねぇな。知りたくもねぇ。利駆、後で話あるから」

「あ、オルハくん……!」

 それだけ言うと、オルハは教室の扉をピシャリと閉めて、その場を去って行ってしまった。いつもなら扉を閉めるなどという面倒なことはしないはずだが、勢いに任せて閉じてしまうほど、彼も感情が高ぶっていたのかもしれない。オルハの向かった先は恐らく裏庭であろう。話があると言っていたが、だからといってこのまま茜を置いてすぐに追いかけることも、今の利駆にはできないでいた。

「何だアイツ、何だアイツ、何だアイツ……!」

 ガンッと、苛立ち紛れに茜が近くの椅子を蹴る。利駆も動揺していたので、彼のそんな行儀の悪い振る舞いを嗜めることもできずにいる。と、二人の間に漂う雰囲気とは真逆の、軽快な電子音が響き渡る。この曲は茜のお気に入りだ。つまり、彼の携帯電話の着信音が鳴っているのだった。そこで初めて利駆はあることに気がつき、ハッとして時計のほうを見やった。時計の針は、放課後になったその時から、かなり進んでいるように見える。

「そ、そうです茜くん、今日は放課後になったらすぐ現場に向かわないと撮影に間に合わないと、家で仰っていたではありませんか!」

「………………」

 聞こえているのかいないのか、茜は何も言葉を発さないまま、携帯電話のディスプレイを睨みつけて立ち上がる。ムスッとして黙ったまま、オルハがいたのとは反対側の扉に向かい、わざわざそちらから出て行ってしまう。結局、利駆はまた教室に一人取り残される形となった。

「茜くん……」

 俯きながら呟く。そうして今度は、オルハが出て行った側の扉を見つめる。

「オルハくん」

 先程オルハに言われた、【ご機嫌とりは不毛】という言葉を思い出す。それから、五時間目に彼からされた行為。考えないようにしていたことに、向き合わざるを得なかった。これまで一生懸命、鍵をかけて閉じていた箱の錠が、壊れてしまいそうなのを、利駆は感じ取っていた。

(蓋を、蓋を開けないで)

(誰もわたしに、気付かせないで)

 祈りながら、再度カタリと椅子に座る。シャーペンを手に机に向かうも、再び課題に取り組み始めるには、まだ少し時間がかかりそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る