1-4 東京バナナ

 六月上旬のある晴れた日の朝、叶依は数ヵ月振りに空港のロビーにいた。

 風邪が治ったあとで一時帰阪が決定し、今日がその出発の日だった。

 見送りには海輝と冬樹が来ていた。

「叶依、それ……何持ってるの?」

 叶依は自分の荷物のほかに、紙袋を一つ持っていた。

「これ? 東京バナナ。こないだ珠里亜に電話したら、東京バナナ買ってきて、ってうるさくてさぁ。トーキョーバーナーナァァァァー! って叫ばれた」

 叶依が『トーキョーバーナーナァァァー!』と叫ぶ珠里亜の姿を想像している時、

「あのさぁ、叶依、珠里亜ちゃんにあの話するんでしょ?」

 海輝と冬樹が同時に聞いた。

「え? あ、あれか、うん、するよ」

「こっち来てからの家なんだけど、どんな所が良いか希望あったら聞いて、それ電話してくれる? もし良いのがあったら取っとくから」

「わかった」

 空港で普通に会話しているPASTUREと、その光景に驚いている旅行客たち。声をかけようか、やめておこうか、という人の視線が増えてきたとき。

「あのー……叶依ちゃん、ですよね?」

 叶依に話しかけてきたのは、二十代後半くらいの女性だった。

「はい……何か?」

「良かったぁ。覚えてない? 私、何年か前に札幌の駅前で───」

「あ! あの時の!」

 数年前、叶依が一人で北海道に行ったあの日。札幌の駅前で迷っている叶依に、進む方向を教えてくれたお姉さんがいた。

 いま叶依の目の前にいる女性は、そのお姉さんだった。

「知り合い?」

 海輝が聞いた。

「うん。あのー……札幌でちょっと話しただけやけど」

「ふーん。……あ、どうも。葉緒海輝です。こっち冬樹ね。ってあれ? あいついないの?」

 いつの間にか冬樹はどこかへ消えていた。

 お姉さんは田辺春子たなべはること名乗った。

「叶依ちゃん大きくなったね」

「そう、かな? あの時まだ高校生だったから」

「ねぇねぇ、───ちょっと来て」

 春子は叶依を手招きし、海輝から離れた場所へ連れて行った。

 それを海輝が目で追っていた時、

「───あれ、僕の高校時代の彼女」

 いつの間にか冬樹が戻ってきていた。

「え───あの人だったの? 高校のとき付き合ってた年上の女性って」

「うん。今マスコミ系の仕事してるらしいよ」

「……マジで?」

 海輝は口を開けて顔を歪ませた。

「だから……叶依が上手いこと言ってくれれば良いんだけど……」

 それから数分後、叶依は戻ってきた。春子は叶依との話の途中で呼び出しがかかり、搭乗口へ向かったらしい。

 叶依が春子に聞かれのは、冬樹の予想通り、海輝との関係についてだった。

「それで叶依、何て言ったの?」

「別に……適当に……兄妹って」

「それだけ? どこに住んでるのかとか聞かれなかった?」

「聞かれたけど、普通に都内のアパートって言っといた」

「じゃ本当のことは何も言ってない?」

「うん。って言えるわけないやんそんな……前は言ったけど」

「ところで叶依、あの人が雑誌記者だって知ってた?」

 冬樹が静かに聞いた。

「……マジで? えっ、でも前会った時はバイオリンしてるって言ってたけど……」

「確かにバイオリンしてるよ。でも、昨日かな? 友達からLINE来て、春子が去年、記者になったって書いてあった」

「春子って───」

 春子と冬樹の関係を海輝から聞いて、叶依は開いた口がふさがらなくなった。

 叶依が親切にしてもらった女性は、実は冬樹の元彼女で、今は雑誌記者をしている。

 このとき三人がとてつもなく嫌な予感を巡らせたことは言うまでもない。

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